40
薫ちゃんにまで、あんなに心配を掛けてしまった。
そして、啓人の本当の気持ちを知ってしまった。
彼女の中の大きな不安も。
藤下さんがあたしのことを怨むのは、当然のことだ。
だからと言って、あたしが何かできることなんてない。
既に答えを出して進んでしまった以上は、どうにもならない。
でも――本当のことを知ってしまって、どうしようもなく心が乱れた。
自分の不甲斐なさに腹が立って。どうにもならない焦燥が湧き立ち、苦しかった。
今日こそは雪乃に零のことを話そうと思っていたけれど、今の気持ちのまま雪乃とそんな話をする気分ではなかった。
だけど、昨日の雪乃の様子は気になっていた。
「ただいま。ねぇ、雪乃は?」
家に帰り、リビングに入ると、まず父と母に訊ねた。そこに雪乃の姿がなかったから。
いつもなら、この時間はここで父達と一緒にテレビを見ていることが多いのに。
ソファーでリラックスしていた父と母が、騒がしい画面からあたしの方へと振り返る。
「おかえり。
雪乃なら部屋にいるわよ。何だかねぇ、自分の部屋にずっとこもってるのよ」
「ずっと?」
訊き返したあたしに、母は溜め息を交え答える。
「ご飯以外はほとんどね」
「雪乃、何か様子がおかしいの?」
問うと、母は目の前に座る父と顔を見合わせた。
「それがねぇ、別に様子が変ってわけでもないんだけど。ご飯を食べていてもいつも通りだし。一緒にいて、特に違和感はないの。
だけど……殆ど部屋から出てこないって言うか……。
家にいるなら、いつもはこの部屋にいることも多いのにね。疲れてるのかしら?」
――部屋から出てこない?
「そうだね。イブの日がオールで昨日も帰ってくるの結構遅かったから、疲れてるのかもしれないね」
あたしは極自然に聞こえるように母に言った。
あまり父と母には心配をかけたくない。
母の言葉を聞いて、雪乃のことが更に心配になったから。
あの時――あの事件の後の雪乃は、部屋にこもってばかりだった。だから……。
「ああ、そうそう」
急に思い出したように母が声を上げて、考え込む態勢だったあたしはそちらに引き戻された。
「何?」
「あのね、また無言電話があったのよ。それも今日は二回も。
嫌よねぇ……何かしら。続くと気になるわ」
「無言電話? また……?」
一瞬、背中にぞくりと奇妙な感覚が走った。
それは嫌な予感の予兆のようで。
ただの間違い電話ではなくて、悪戯?
それとも……?
「まぁ、たった数回じゃ悪戯なのかよく分からないからね。
取りあえず、お父さんがいるときは、お父さんに電話出てもらいなよ。ね」
母に言いつつ、自室に戻ろうと身体の向きを変えてリビングのドアノブに手を掛ける。
すると、また後ろから母に、花音、と呼び止められた。
「そうそう、あとね、ピアス、探してみたのよ。雪乃から貰ったっていうピアス。
探したけどやっぱり落ちてなかったわよ。
小さいからねぇ、後からひょっこり出てくるかもしれないわよ」
「あ、うん。ピアス……お母さん、探してくれたんだ、ありがとう。
自分でもまた探してみるね」
お礼を言って、あたしはリビングを出た。
ピアス――何処で落としたのかなぁ?
家の中じゃないのかな……。
考えながら、あたしは二階へと向かった。
そしてそのまま自室には向かわず、雪乃の部屋のドアをノックした。
ドアの隙間から室内の光は漏れていなかった。部屋の中の電気が点いていないようだ。
「雪乃、お姉ちゃんだけどちょっといい?」
声を掛けたけれど、返事がない。
もしかしたら、もう寝ているのかもしれない。
あたしは、そっとドアを開いた。
鍵は掛けられていなかった。
部屋は真っ暗だった。
廊下の明かりが室内をぼんやりと照らし出す。
その暗がりの中で、ベッドに横になっている雪乃の姿が浮き出された。
「雪乃?」
声を掛けると、雪乃は横たえていた身体をゆっくりと起こした。
「……何?」
雪乃は気だるそうな声で答える。そして顔に掛かっていた髪を左手でかき上げる仕草をした。
「寝てた? ごめんね」
「ううん……」
「ねぇ、どうしたの?」
「………」
「何かあった?」
「……何もない、よ」
無気力な声の、返答。
あたしは小さな息を吐くと、ドアの横の壁にある部屋の照明のスイッチを入れた。
ぱっと天井が光り、暗かった室内は一気に明るさを取り戻した。
そして雪乃の腰掛けるベッドへと向かい、目の前でしゃがみ込んだ。
俯いたままの雪乃の顔を、少し低い位置から覗き込む。
泣いていたことを示すのは、赤く腫れた瞼。
「何もないわけないでしょ?
もしかして、昨日の写真のこと? あの写真に何か意味があるの?」
「……別に。何もないよ」
「じゃあどうしてお母さんに嘘吐いたの?
ねぇ、あたしには話して?」
「何でもないから。それに今、頭が痛いだけ」
「雪乃……?」
「頭痛いから寝たいの。ホントに」
「ねぇ、雪乃」
「もう、お願いだから! 寝かせて!」
雪乃の口調が強くなったのと同時に俯いていた顔は上がり、泣きそうな顔はあたしを睨んだ。
その顔がとても辛そうで。あたしはそれ以上聞くことはできなかった。
「……分かった。ごめんね」
あたしがそう言うと、雪乃は起こしていた身体をベッドに横にして、頭から布団を被ってしまった。
何があったの?
あの写真は何の意味があるの?
疑問も心配も晴れぬまま、あたしは立ち上がり、壁側を向き言葉を発しない雪乃の身体に一度そっと手を置いた。
そして入り口にゆっくりと向かうと、照明のスイッチをオフにした。
また雪乃の元に闇が戻る。
暗くなった部屋は、雪乃の気持ちを表してるようで、胸がきりきりと痛んだ。
「話せるようになったら話してね……」
あたしはそう言い残し、部屋のドアを閉めた。