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脱いだブーツのすぐ横に置いてあったサンダルを突っ掛けて、あたしは玄関のドアを開けた。
家の前の道路には雪乃と麻衣ちゃんが立っていて、ドアが開いたことに気付いた二人は、同時にこちらへと振り向いた。
「お姉ちゃん……」
「あ、花音さんっ、こんばんはー。お久し振りです」
麻衣ちゃんは、明るい声であたしにぺこりと頭を下げた。
あたしは二人に笑顔を向ける。
「おかえり。遅かったから心配したよ。
麻衣ちゃん、久し振りだね」
つばきにもずっと会っていなかったけど、麻衣ちゃんとも会うのも随分久し振りだ。
暫く会っていない間に、格段に大人っぽくなっていて驚いた。
この頃の成長って著しい、とか思う。
――それにしても。
学校の友達とのクリスマスパーティーに行ったのに、高校の違う麻衣ちゃんと一緒にいるなんて……。
麻衣ちゃんは、昔から雪乃の一番の親友だけど、何かあったってこと?
それは……零と、なのかな……。
「それじゃあ、雪乃、またメールか電話するね」
「うん。ありがとう、麻衣。じゃあね」
二人はお互いに手を振り合うと、麻衣ちゃんはぺこんとまたあたしに頭を下げた。
「花音さん、おやすみなさい」
「うん、おやすみ。気を付けてね」
あたしも、手を振って返す。
麻衣ちゃんが歩き出したところで、ふと写真のことが頭を過った。
「あ、麻衣ちゃん、待って!」
呼び止めると麻衣ちゃんは、歩き出した足をすぐに止めて、こちらに振り向いた。
「はい?」
「ああ、ごめんね。
ねぇ、麻衣ちゃん、もしかして今日、写真持って来てくれた?」
あたしがそう言うと、麻衣ちゃんはきょとんとした顔で首を傾げた。
「写真って何ですか?」
あれ? 麻衣ちゃんじゃない?
「あー……ううん、ごめんね、何でもない。気を付けて帰ってね」
「ハイ。じゃあ、おやすみなさい。
バイバイ、雪乃」
麻衣ちゃんが再度手を振ると、雪乃も同じように手を振り返した。
姿が見えなくなるまでその場で見送ると、どちらともなくあたしたちは玄関の方へと向かった。
「ねぇ、写真って、何?」
家の中に入り、ドアが閉じられると、雪乃は不思議そうな顔で訊いてきた。
「ああ、うん、今日出掛けるときに、玄関に雪乃の写真の入った封筒が置いてあって。
結構前のものっぽかったから、もしかしたら麻衣ちゃんが持って来てくれたのかと思って」
「あたしの写真?」
「うん。
どこかの部屋で撮ったみたいな、普通の写真」
「えー? 誰だろ?」
雪乃は少し眉を顰めてから、さっと靴を脱いで家へと上がった。
そして、そのままリビングに向かう。
あたしは、前を歩く雪乃の背中を呼び止めた。
「雪乃」
動いていた足がぴたりと止まり、雪乃はゆっくりとあたしの方へと振り向いた。
あたしは固唾を飲み込むと、言った。
「あのね、雪乃に話があるの」
「話?」
何の警戒心もない、不思議そうな顔。
ずきりと胸が痛む。
「……うん。ちょっと大事な話」
「分かった。じゃあ後で二階に行ったときに」
「うん」
あたしが頷くと雪乃は背を向け、ただいま、と、リビングのドアを開けた。
雪乃が先にリビングに入っていくと、思わず、ふうっ、と、息を漏らした。
切り出すだけでも勇気がいる。
第一段階をクリアーしたような気分だ。
まだ話もしていないのに、心臓はばくばくしている。
深呼吸をして、あたしもリビングに足を踏み入れた。
「ただいま」
あたしが顔を出すと、ソファーに座る母が少し驚いた表情を見せた。
「あれ? 二人一緒だったの?」
「ううん。玄関であっただけ」
「ああ、そうなの?
あ、さくらちゃんもつばきちゃんも元気だった?」
母があたしにそう訊ねてくると、雪乃は、あれ? というような顔で急にこちらの方へ振り向いた。
雪乃があたしをじっと見つめる。
「元気だったよ。……って、雪乃、どうかした?」
「え。だって、お姉ちゃん、綺麗な格好してるから、てっきりデートだったのかと思ってた。今日クリスマスだし」
雪乃はそう言ってから「あっ」と口を押さえた。
多分、父と母には内緒のことだったと思ったのだろう。
雪乃は、啓人と別れたことを父に報告したことは知らないし、昨日父と零が顔を合わせたことだって知らない。
「あー……」
雪乃は、なんとか誤魔化す言葉を探そうとしているような声を上げた。
あたしも何を言っていいやら悩んでいる間に、ソファーに座る父が先に言った。
「花音のデートは昨日だったんだよな」
「ちょっとっ! おとーさんっ!」
さあっと血の気が引いた。
父は、零の名前だって知っている。
これから雪乃にちゃんと話そうっていう前に、そんなことを父の口からバラされたら――!
「何だ? 雪乃に秘密なのか?」
父はしれっとした顔で言う。
確かに今までは、父と母が知っていることなら、雪乃に先に話しているけど。
「べ、別に、秘密、じゃ、ないんだけど……」
「何だ。じゃあ、いいじゃないか。
昨日お父さんだって会ったんだし」
「えっ!?
お父さん会ったの!? どんな人っ!?」
雪乃は興奮してソファーに小走りし、ボスンと音を立てて勢い良く座って、父の方に身を乗り出した。
「花音より年下のカッコイイ子だよ」
「え? 年下?」
ああー、もうっ! 言っちゃった……。
雪乃は驚いてあたしの方を勢い良く振り返った。
あたしは雪乃をちらりと見て、小さく溜め息を吐く。
「お父さん、雪乃にはあたしから話すから。
それに、まだ彼氏じゃないし」
咎めるように父に言うと、母は横でクスクスと笑っていた。
「お父さんってば、朝は、年下って、怒ってたくせにねー」
止めるに止められない、怒るに怒れない状況。
何だかあたし、空回りしてる気がする。
これじゃあ雪乃に話しにくくなっちゃうよ……。
「じゃあ、あとでじっくり聞かせてもらお」
雪乃はあたしに意味深な笑みを見せてから、腰掛けたばかりのソファーから立ち上がった。
「あ、ねぇ、そう言えば、あたしの写真ってどれ?」
「あー、写真? 電話の横に置いてあるわ」
雪乃が思い出したようにあたしに向かって訊くと、先に母が答えた。
電話に一番近いあたしがその封筒を手に取り、こちらに向かってきた雪乃に、はい、と手渡す。
雪乃は不思議そうな顔をして無言でそれを受け取り、中の写真を取り出した。
――あれ?
写真を目にした途端、雪乃の顔は一瞬硬直したように見えた。
気のせい?
「雪乃、その写真、やっぱり麻衣ちゃんが持ってきたの?」
母がテーブルの上のお茶を手に取りながら訊いた。
雪乃の肩が、反応したようにピクンと揺れた。
「うん。麻衣だって言ってた」
その言葉に驚いて、雪乃を見た。
「さっき麻衣と会ったの。玄関に置いておいた、って言ってた」
平然と、母に雪乃は言う。
麻衣ちゃんじゃないことは、さっき聞いて知っている筈なのに、何で?
何も言えずに見つめていると、雪乃は目を細めてあたしに小さく首を振った。
どうして?
「ごめんね、お姉ちゃん。あたし、今日疲れてるの。
やっぱり、話、明日でいい?」
雪乃は、もの悲しいような笑みを浮かべて、あたしに言った。
「……うん」
そうとしか言えなかった。
そして雪乃はそれ以上何も言葉を発さずに、すぐにリビングを出て行ってしまった。