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零が、あたしを好き?
その言葉を頭で理解したときと同時に心が震えた。
そこからじわっと熱いものが身体の内側に広がる。
泣きたいくらい、嬉しかった。
溢れて止まらない気持ちを、今、あたしも伝えたかった。
あたしも、好き。
とてもとても。
好き。
零が、好き。
だけど、やっぱり雪乃のことが脳裏を掠めた。
昨日、大粒の涙を流した横顔。
今日、えくぼを作ってあたしに向けた笑顔。
その雪乃の顔が交互に思い出されて、大きな痛みが胸を貫いた。
「そんな顔、すんなって」
あたしの頬には涙が零れ落ちていた。
零はそっと、あたしの涙を長い指先で拭った。
さっき手を繋いだときに温かいと感じたその指先は、雪のせいでひんやりと冷たかった。
「分かってるから。アイツのことがまだ好きだって。
だからホントは、まだ言うつもりなかった。拒絶されたらオシマイだと思ってたから。
だけど、オレの気持ちを知っておいて欲しくなった。
オレたち、雪の中で出逢ったじゃん? あのとき、奇跡だって思った。
だから今も、雪の中で告白したら、もしかしたら奇跡は起きるかもしれない、って……」
――奇跡?
あたしにとっても、これは奇跡だよ……。
あの日、啓人に振られなかったら、零とは出逢えなかった。
こんな風に零と一緒にいられなかった。
だけど、だけど……。
「分かってるから。今すぐどうこうって、ないから。今は何も答えなくていい。
待つよ。花音さんがアイツのことを忘れるまで。じゃないとスタートラインに立てないのは分かってるし。
花音さんがアイツのことを忘れられたら……オレのこと、考えて欲しい。
オレは年下だし、子供かもしれないけど。だけど花音さんのこと、真剣だから。
本気で好きだから」
――「本気で好きだから」
大きく胸に響くその言葉。
真剣な眼差し。
「……うん」
それだけ答えるのが精一杯だった。
すると、零は包み込むような笑顔を見せた。
あたしが苦しんでいるのを分かっているかのように。
その優しい顔を見たら、ますます胸が締め付けられて苦しくなった。
零にも何て失礼なことをしてきたんだろう。
きっと沢山傷付けた。
いつだって零は、あたしのところにまっすぐに来てくれたのに。
雪乃だって、まっすぐだ。
あたしは何て卑怯な位置にいるの?
雪乃のことを盾にして、踏み込んでいかなかった。
本当は、零に振られるのは怖かった。
これ以上自分が傷付きたくなくて。
零のことが好きなのに、逃げていた。
雪乃への気持ちが嘘だったわけじゃない。
本当に幸せになって貰いたいと思ってる。
出来ることなら、傷を負わせるようなことはしたくなんてない。
けど――あたしも二人に対して、真摯に応えたい。
きちんと真剣に、偽りなく応えたい。
二人ともあたしにとって大切な存在だから――。
雪乃に、きちんと話さなくちゃ。
すぐには許してもらえないかもしれないけど。
だけど、許してもらえるまで話をしたい。
嘘を吐きたくないし、黙ったまま零と付き合うことなんて出来ないよ。
きちんと本当のことを伝えなくちゃ、前に進むことなんて、今、出来ない。
「もう少し、待って……」
零の瞳を見つめて、あたしはそう言った。
涙で声は少し擦れていた。
雪乃と話をして許して貰えたら――零にきちんと言おう。自分の気持ち。
素直な本当の想いを。
そして――。
零のことも聞こう。
嘘も偽りもない、零の全てを。
「うん。オレの気持ちは変わらないから」
零が頷いたところで、炎が一つふっと消えた。
長いろうそくはいつの間にか、なくなる寸前の短さになっていた。
ろうそくが刺さっている周りの雪は溶けかかり陥没している。
炎もじりじりと音を立てて揺れ、燻ぶり始めた。
「火が消えちゃう……」
「消える前に、ふーってやって?」
「零も一緒に吹いてくれる?」
「いいの?」
「一緒にやりたいの」
今、言葉で“好き”と伝えられない精一杯。
あたしの一番傍にいて。
零の「せーの」と言う言葉のあと、二人で炎に息を吹きかけた。
オレンジ色に揺れていた炎たちは、ものの見事に全部いっぺんに消え失せ、そこに闇が戻った。
「ありがとう、零」
「うん」
「こんなに素敵な誕生日、初めてだよ、あたし。
一生忘れない」
「オレも」
零は少し照れくさそうに微笑みを見せてから、すっと立ち上がった。
「もう、時間だ」
手が差し伸べられる。
「もう帰らなくちゃね。
花音さんのお父さんと約束したし」
「うん」
本当は帰りたくなんかない。
ずっと一緒にいたい。
けれど約束を守らないと、両親に零のことが悪く思われてしまうかもしれない。
あたしは目の前の手を取った。
冷たい。
あたしのために雪を運んでくれた大きな手。
握り合った手は冷たいのに。
でも、そこからじわじわと生まれてくる温かさ。
こうやって少しずつ、二人の距離が縮まっていくといいな。
あたしたちは新潟を後にした。
たった一時間の、新潟でのできごと。
けれどあたしにとって、その一時間が途轍もなく大切な時間になった。
絶対に一生忘れられない、あたしの想い出。
この雪景色も。
手を繋いで歩いた道も。
二人で作った雪のケーキも。
一緒に消した炎も。
プレゼントのカノンの曲も。
――そして、零の気持ちと笑顔。
全てがあたしの胸に大きく響いたよ。
全てがあたしの宝物。
自宅に着いたのは午前零時を回る20分前だった。
父に何て説明しようかとドキドキして家のドアを開けたけれど、既に父も母も就寝していたようで、家の中の明かりはなく、しんと静まり帰っていた。
父には相当心配をかけただろう。
不安定に泣いたり、啓人と別れたことを告げたり――その上で、年下の男と共に消えたんだから。
けれどあたしが帰ってくる時間に就寝しているなんて、きっと気を遣っているんだ。
それに対しても胸がちくちくと痛んだ。
父も母も優しい。
あたしたち子供のことを、一人前として扱い尊重してくれる。
だからますます胸が痛くなった。
啓人のことも、もっと前にきちんと話すべきだった。
雪乃もまだ帰っていなかった。
どんな思いで零を待っているんだろう。
帰っていないということは、パーティ会場でまだ彼が来るのを待っているのかもしれない。
胸が痛い。
ごめんね。
ごめんね、雪乃……。
でも、零の気持ちを聞いてしまったから、もうこれ以上嘘は吐けないの。
あたしは自室に戻ると、すぐにデスクに向かった。
零に貰ったガラスのジュエリーケース。
カノンのオルゴール――。
ゼンマイを巻いて、蓋を開いた。
しんとしていた部屋の中に、流れ始めるカノンの曲。
清涼感のある音符が軽やかに舞う。
手の中にあるそのジュエリーケースを、そっとテーブルの上に置いた。
箱の中はオルゴールの部分に仕切りがあり、隣は空っぽだ。
底面のガラスが部屋の蛍光灯に白く反射している。
そこを、人差し指でそっとなぞった。
あたしね。
ここに自分でデザインしたジュエリーを入れたいって思ったの。
ひとつでもいいの。
たったひとつでもいいから。
やりたいことを、やってみたいことを、やろう。
自分の道を確立したい。
それがどんなに困難でも。
ふらふらと流されるばかりの自分から卒業したい。
自らから何かに向かって頑張りたいの。
変わりたいの。
こんな風にも思わせてくれた零って凄いよ。
あたしはカノンを聴きながら、決意をし、辞表を書いた。
もう、迷わないよ――。