18
アタシノスキナヒト――。
窓の外の風は悲鳴のような音を上げていて、頭の中で反響している雪乃の声と混ざり合う。
思考回路が上手く回らない。
なんで、と、どうして、が繰り返し、繰り返し――。
目の前の笑顔が歪む。
けれど、写真から目を離すことも出来ない。
「ちょっとお姉ちゃんってば、そんなにガン見しないでよー。
何か、恥ずかしいじゃん」
雪乃は微かに頬を紅潮させて、唇を尖らせた。
あたしははっとして写真から顔を上げ、無理矢理に唇の端を上げ平静を装う。
「あ、ゴメン……すっごいカッコイイ子だな、って……」
「そうなんだよね。
顔がイイでしょ? 頭もイイでしょ? サボってばっかりのクセにさぁ。
それに、女には優しいし、調子イイし、そんなんで、モテまくりだよ。
あ、南青山に住んでて、車はミニってのも女子受けイイんだよねー。
夏休み中に免許取ったんだって」
南青山。
ミニ。
本当は、零に似ている違う誰かで――出来ればそうであって欲しいのに、それは少しずつ、裏切られ、あらわになっていく。
『ハタチ』と言った零が、本当に雪乃の同級生なのか。
雪乃の好きな人なのか。
「車って、同級生って言ってなかった?」
それでも、少しの期待を持っているのか。
それとも、ハッキリとさせたいのか。
あたしは、雪乃に尋ねた。
「あー、同級生って言っても、1コ上なの。
高校に上がってすぐ、アメリカに一年近く行ってたんだ。
なんでもね、お父さんが有名な建築家で、お母さんはインテリアプランナーらしいんだけど、アメリカに住んでるんだって。
だから向こうの建築の高専か何かに行ったみたいなんだけど、何か、家庭が複雑みたいで……その辺はあたしもよく分からないんだけど……結局一人でこっちに帰ってきたの。
ほら、ウチの学校って、エスカレーター式の私立じゃん?
あたしは高校からの外部入学だからよく分かんないけど、何か、手続きとかも凄くうるさいらしくて、一年も休学してたから留年してるんだ。
でも、お陰で英語ペラペラだし、余計にモテる要素が増えてるんだよね」
「そう、なんだ」
頭が痛い。
胸も、ぎりぎりときつく捩られているみたいだった。
それでも、もっとハッキリするために、聞きたくなった。
「名前、何クン、って言うの?」
雪乃は小さな声で「え?」と薄く微笑みを浮かべてから、長い髪の先を弄りながら答えた。
「……零。
倉田 零」
――やっぱり。
もう分かっていたことなのに、その衝撃は思っていた以上だった。
どうして――?
どうして零は、あたしに嘘を吐いたの?
最初があんな関係だったから、適当に言っただけ?
雪乃とあたしが姉妹ってことだって、知らないんだよね、きっと。
「雪乃は、彼のこと、何で好きになったの?」
「ソレを訊くかな?
んー……、この間もちょっと言ったけど、まぁ、零はさ、学校一の女たらしっていうか、来る者拒まず去る者追わずで有名なんだけど……でも、最近はちょっと違うって言うか、変わったのは確かで」
「変わった?」
「ここんとこ、って言うか、今は誰とも付き合っていないみたいだし、告られても断ってるみたいで。
学校も真面目に来てるし、あたしのことも……」
雪乃は少し照れ臭そうに、長くてサラサラの髪を耳にかけた。
「あたしのことも、最初みたく、ちゃらんぽらんな感じには接してないって言うか……。
何て言うかな、あたし個人を表面だけじゃなくきちんと見てくれる。
零ってね、結構他人に一定以上は線引くタイプで、調子はいいけど内面は見せない感じって言うか……特に女の子には。
でも、あたしとは、普通に冗談言い合ったり、悪いところは怒るし……。
あたしも、そういうのが出来る男の子って初めてだし、一緒にいて安心出来て、楽しいの」
もしかしたら、零の好きな人は――。
「雪乃は、トクベツなのかもよ?」
そう言うと、雪乃はテーブルに身を乗り出した。
「そう思う?」
「……うん」
「あたしも、ちょっと他の女子との付き合いとは違うよなぁなんて、思ってて。
ああー、でもっ! そんなのって自意識過剰だよね?
あれだけ女に慣れてる男なんだから、わっかんないんだけどっ」
「……そっか。
でも上手くいくといいね」
それは――。
本心なんだけど――。
それなのに、胸が痛むのはどうしてなんだろう。
大好きな妹が、優しい零と上手くいけば、嬉しいはずなんだけど……。
そう――。
零は、優しい。
あたしに嘘を吐いていても、全てが嘘だったわけじゃない。
あたしを慰めて、元気にさせてくれて、助けてくれて。
それは本物だったんだから。
でも、もう会えない。
彼は、妹の好きな人なんだから。
だからもう、二人で会うなんて、駄目。
こんな曖昧な関係は、続けられない。
――『じゃあ、はい。約束』
ついさっき、あたしに向けられた声も笑顔も、触れた小指の感触も、鮮明に思い出された。