13
決壊したものは、急に修復できない。
止まらない理由も、上手く説明がつかない。
何をどうして欲しくて。
自分もこれからどうすればいいのかなんて。
ただ、苦しくて仕方ない。
甘い香りが、日曜日の零の腕を思い出させた。
それと同時に、啓人の違う感触と匂いも。
もう、元の場所に戻れないことだけは、確かなこと。
零のシャツに顔を埋めたままでいると、目の前にあった人の気配が消えた気がした。
あたしは、ゆっくりと持ち主のなくなったシャツから顔を上げた。
いない。
零が、いない。
どこに行ったの?
もしかして、気分悪くして帰っちゃったとか?
小さな不安がよぎる。
トイレかな……?
何も言わずに行っちゃったの?
小さな不安は次第に大きくなり、思わず立ち上がった。
キョロキョロと大きく店内を見回す。
「どうしたの?」
その声が聞こえた途端、あたしの中に安堵が広がった。
振り向くと、そこには不思議そうな顔をした零の姿があった。
「黙っていなくなったから、帰っちゃったのかと思って……」
そう言うと、零は予想外に微笑んだ。
そして、ぽんぽんっとあたしの頭の上で、大きな手が跳ねた。
「涙、止まったね」
「……あ」
ホントだ。
だって、心配のほうが強くなっちゃったから。
「会計しに行ってたんだ。
黙っていなくなってゴメン」
「――て、あたしの奢りって言ったのに!
いくらだった? あたし、払うよ!」
「奢りって、さっきのは冗談。
オレが最初から奢るとか言ったら、花音さん、遠慮しそうだし」
遠慮……するかもしれないけど。
年下の学生に奢らせるなんて、普通気が引けるでしょ。
それに……。
「付き合わせてるの、あたしなんだし、あたしが払う」
「こーゆーとき、女の子に払わせる趣味ねーってば。
それより、花音さんが好きそうな店がこの近くにあるから行ってみる?」
「好きそうな店……って?」
「それは着いてからのお楽しみ」
にっこりと零は微笑み、「行こっか」と、先に歩き出した。
あたしは慌ててバッグを持ち、後を追った。
こういうところ、上手いなぁと思う。
これ以上あたしが払うって言う雰囲気ではないようにもっていくところ。
それに、こういうのって、女の子にとって心地良い扱い。
再度車に乗り込み15分ほど走ると、鎌倉山の森林からまた海の見える道に戻った。
山と海の、しかも美しい景色が、両方楽しめるなんて贅沢だなぁ、なんて思う。
けれどあたしの隣はそんな余裕はなさそうに、少し前のめりでフロントガラスの向こう側を睨んでいる。
「確かこの辺だったと思うけど……」
お蕎麦屋さんはカーナビを使って行ったけれど、海沿いにあるはずだからと、今回は使っていない。
零の記憶と勘が頼り。
見つからなくてもそれはそれで楽しいし、いいかな、なんて楽観的に思っていると、
「あった!」
と、零は興奮した声でフロントガラスを指差した。
無垢の木の壁にガルバリウムの黒い屋根、正面は大きなガラスが連なるシックで和風モダンな店舗だ。
店頭には『ガラス工房』と、手彫りの木製看板が掲げられている。
「わぁ……綺麗……」
店内に足を踏み入れると、思わず感嘆の声が漏れた。
繊細な細工の置物や、グラス、花瓶等、全てガラス製品だ。
透明で、なんて美しい色なんだろう。
「いらっしゃいませ」と、すらっとした小綺麗な三十代くらいの女性店員が声を掛けてきた。
ひとつに纏めた長い黒髪に、大ぶりなリングピアス。ロングスカート。ゆったりめの白いシャツ。
お店の雰囲気に合った、ナチュラルでお洒落な可愛い人だ。
「どれも可愛いですね」
「ありがとうございます。
そう言って頂けると嬉しいわ。
ウチは全部手作りの一点物なんですよ。
どうぞゆっくり見ていって下さいね」
店員さんは嬉しそうに微笑んで答えてくれた。
あたしは遠慮なく、目の前のりんごの形をしたペーパーウエイトを手に取って眺めた。
赤からピンク、ピンクからクリアーのグラデーションになっていて、ちょこんとしたがく片に葉がついていて、可愛い。
手作りの一点物と言うだけあって、どれもみな凝っている。
キラキラしたものは、好き。
大好き。
アクセサリーやジュエル、スワロフスキー、ストーン。
高価なものではなくても、心に留まる可愛いものは沢山ある。
ここにあるガラス達も。
見ているだけで、胸が躍って楽しい。
「やっぱり、こういう店好きだった?」
没頭して見ていると、零が隣に並んで言った。
「うん、好き!
何で分かったの?」
「携帯ストラップがガラス細工だったから。
――花音さんに似合うな、って。
こういうの、好きなのかな、って思って」
――携帯ストラップ。
そんなものまで見ていてくれたんだ。
だけど、これは――。
ガラスの靴の携帯ストラップ。
靴の中央には、小さなルビーが埋め込んである。
あたしが――ガラス細工や小さなアクセサリーが好きだから。
ヨーロッパ出張のおみやげにと、コレを選んできてくれた。
「コレ、元彼がくれたんだ」
「え……?」
零の顔が曇った。
いや、あたしが曇らせた。
こんなもの、いつまでも付けているからだ。
馬鹿みたい。
さっきも気が付いたのに、結局このままなんて……。
ふと、決心がついた。
「捨てちゃおう!」
「え?」
「せっかく海に来てるんだもん!
海に流しちゃおう!」
「ええっ?」
「だって、こんなのまだ付けてるなんて馬鹿みたいだし。
海に流したら、少しはすっきりするかも。
もう、これで終わり、って」
笑って見せると、零は複雑な表情からどこか安堵したように微笑んだ。
「オレも付き合うからさ」
「うん、もちろん。
今日はあたしの運転手なんだから、最後まで付き合ってもらうね」
あたしは、バッグから携帯電話を取り出すと、ストラップを外した。
掌の上でキラキラと輝く小さなガラスの靴。
もう綺麗サッパリ啓人のことは忘れよう。
あたしを裏切って、違う女と結婚する人なんて。
啓人のシンデレラに、あたしはなれなかった。
ただ、それだけのこと。
あたしは、それをコートのポケットの中にしまった。
「じゃあ――ここで新しいストラップ買おうかな。
今日から、再出発するんだし」
「うん、そうだね」
零がそう答えたところで「ごめんなさい、お話聞こえちゃった」と、店員さんの声が割り込んだ。
広いとも言えない店内で、お客としているのはあたし達だけ。この場にいる人に自然と耳に入ってしまうのは当然のこと。
……恥ずかしい。
そんな気持ちも吹き飛ぶほど、彼女は穏やかに、そして優しく微笑んだ。
「ね、こんなものがあるんだけど、どうかしら?
良かったら、見てみない?」
と、彼女はストラップが並ぶ棚から商品をいくつか手にし、すぐ傍のカウンターの上に並べて見せてくれた。
それは、ダイヤ型にカットされた赤と緑と透明の、三色のガラスのストラップだった。
「これね、元気が出るお守りなの。
神社で祈念とお清めもしてもらってるの。
あとね、こっちは恋愛のお守りと……これは願いごとが叶うお守り」
「元気が出る、お守り……?」
あたしは、三色の中のひとつ――透明の、元気が出るお守りを手に取った。
掌に載せると、照明で七色の光が散った。
キラキラキラキラ。
――綺麗。
「じゃ、コレ、下さい」
そう聞こえたと思うと、するりとあたしの手の上からストラップが消えた。
「えっ!?」
隣を見上げると、零は今あたしの手から奪い取ったストラップを揺らしながら目を細めて微笑んだ。
「オレが買ってあげたいの。
花音さんが、早く元気になるように、って」
「えっ、そんなの駄目、駄目! 悪いし! 自分で買う!」
「いーから。コレ下さい」
零はさっさとストラップを店員さんに手渡した。
「だって、そんなの駄目だよ!」
あたしはそれを店員さんから貰おうとしたけれど、零に「いいから」と制された。
「じゃあさ、花音さんがオレの分買ってよ。
なら、いい? 交換こ」
「え? 交換?」
「そ。交換」
それなら、アリなのかなぁ?
あれ? いいのかな?
それって、アリ?
「そんなに悩むことないじゃん。
オレ、どれにしよっかなぁ」
あたしが悩んでいるのを余所に、零は楽しそうに選び始めた。
うーん。交換なら、まあ、いっか。
何だか、嬉しそうだし。
「やっぱ、コレかな」
零はそう言いながら、あたしと同じダイヤ型カットの赤いガラスのストラップを手に取った。
それって……さっき店員さんが『恋愛のお守り』って言ってたヤツ……。
それを選んだってことは、零には好きな人がいる、ってこと、だよね?
何となく、胸のあたりがもやもやとした。理不尽に。
どうしてそうなるのか、自分でも分からない。
これって……もしかして、ヤキモチ、なのかな……?
こうして、あたしのためにいきなり来て付き合ってくれたり、優しくしてくれたり、甘い言葉をくれるから……。
零にそんなひとがいるなんて、って――なんとなく、悔しい気分って言うか……。
身勝手なヤツ……あたしって。
零はあたしのために、こんなにしてくれてるのに。
そういうひとがもしいるなら、応援してあげなきゃいけないのに。
「どうしたの、花音さん?」
「ん、何でもないよ。
じゃ、それ貸して」
あたしは零から赤いガラスのストラップを受け取り、店員さんに「お願いします」と渡した。
先に、零の方の会計。
あたしは、ありがとう、と言う。
次に、あたしの方の会計。
今度は零に、ありがとう、と言われる。
何だか、気恥しいというか、くすぐったい。こういうのって。
店員さんが、小袋に商品を入れようとすると、零は「このままでいいです」と言った。
「つけていい?」
そうあたしに確認を取りながら、自分の携帯電話にストラップをつけ始めた。
何も付いていないシンプルな携帯電話。
このくらいの年でつけてないのって、珍しい気がする。
「ちょうど、何もなかったから欲しかったんだよね。
花音さん、ありがと」
満面の笑み。
ドキッとする。
あたし、零のこの顔に弱い……かも。
思わず目を逸らして、あたしも自分の携帯電話に『元気の出るお守り』をつけた。
さっきまでは啓人から貰ったガラスの靴のストラップがあった場所に、今は零が買ってくれたストラップが揺れる。
何だか、少し不思議。
でも特に違和感もない。
「仲がいいわよねー」
目の前で揺れる透明のガラスを見つめていると、店員さんにいきなり言われた。
驚いて顔を上げ、え、とも、あ、とも言えぬ間に、
「はい」
と、零が答えた。
ええっ?
でも、否定するのも変なのかもしれない。
別に仲が悪いわけでもないんだし。
けれど、仲がいいとか、そんな風に言われると、なぜか落ち着かないと言うか……どきまぎしてしまう。
それって、あたしだけなのかな。
零は、澄ました顔。
やっぱり、あたしだけかも。
「また良かったら、二人で遊びに来てね」
にこやかに言ってくれた店員さんに、それにはあたしが「はい」と答えた。
何だか勘違いをされているのかもしれないけど。
知り合いでもないのだから説明するのもややこしいし、それでもいいのかもしれない。
お店を出ると、ちょうど海に夕陽が沈みかけていた。
陽は海に落ちかけているというのに、力強い光が四方に伸びて瞬き、眩しくて目を細め、手をかざした。
同じ空にあるのに、混ざり合わないオレンジとブルー。
言葉ではとても表現できない色。
……綺麗。
あまりの美しさに、感動が込み上げる。
海に沈む夕陽をタイミングよく見られるなんて、滅多にないこと。
一人じゃなくて。
横にいる誰かと、こんな風に同じ感動を分かち合えるのって、いいよね。
どちらともなく足を止めて、しばらく見つめていた。
横で零が、前を見たままあたしに言った。
「綺麗だね」
「うん」
「こんな風にさ、誰かと綺麗なものを見られるのって、何か良くない?」
「あたしも今、同じようなこと思ってた」
お互いに顔を見合わせて笑うと、道路からすぐ下の海岸へと向かった。
砂浜に座り込んだときには、もう陽はほとんど海に消えかけていた。
そう思う次には、強いオレンジ色はすうっと見えなくなった。
あんなにずっと長い時間、明るく照らしている太陽が一旦沈み始めると、何て速いのだろう。
美しいものは、一瞬のような気がする。
だからこそ、心が震えるのかもしれない。
汐風が吹きつけて、そして、通り過ぎる。
肌に刺すように冷たい、夕方の風。
「昨日、あたし……零にどこまで話した?」
いきなりダークな話題に入ったせいか、零は一瞬躊躇したように何も言葉を出さないまま海からあたしへと顔を向けた。
「ゴメン。あたし、飲み過ぎて、ホントに全然覚えてないの」
零は「うん」と、また海に視線を戻した。
そして、一呼吸置いてから話し始めた。
「二年付き合った彼氏に、大事な話があるって言われて行ったら、違う女と結婚するから別れてくれ、って言われたって。
相手は専務の娘で。結局は出世とお金なんだ、って……。
大事な話って、プロポーズだと思ってたとか、自分は結婚したいと思ってた、とか……誕生日もクリスマスも、もうすぐなのに、って……」
「………」
「あと、彼氏のことも言ってたよ。
背が高くてカッコ良くて、仕事が出来る女子社員の憧れの人だって、ね」
「……そっか。
ほとんど話してたんだね」
「うん。
聞いてて辛かった。
すっげ、酔ってたし……」
「………」
目の前の海には既に陽の色はなくて、薄い夕闇が広がっていた。
ほんの数分前までは、まだ明るくて夕陽があんなに眩しかったのに。
月も、星も、姿を現し始めている。
濃紺の海は軟体動物のようにうねり、姿を変えては平たくなり、そしてまたどこかで立ち上がる。
波の音が、耳の奥に響く。
間近で見る海は、とてつもなく大きくて。
あたしは、今日あったことを掻い摘んで話した。
零はずっと、海を見つめ黙ったままだった。
それでも、波の音に負けそうなあたしの声を聞き逃さないようにと、注意深く真剣に聞いていることは分かった。
話し終わると、自然の音だけになる。
波と、風の音。
背中の向こう側で、車のクラクションが短くなった。
反射的に振り返ったとき、横で零は急に立ち上がった。
パンパンっと音を立てて服に付着した砂を振り払い、あたしを上から見る。
「ね、花音さん裏切られて悔しくない?」
「……そりゃあ、悔しいよ」
「忘れたいと思ってる?」
「もちろん、忘れたいと思ってるよ」
だってそれは、さっきガラス工房で決心したこと。
二度と元には戻れない。早く忘れたい。
それは、頭では理解している。
けれど、なかなか気持ちがついて行けないのが現状。
それは、信じていた人だったから。
裏切られた傷が、あまりにも大きい。
「オレ、花音さんが元彼のことを忘れられるまで傍にいるよ」
「え?」
「忘れられるまで、傍にいる。
だから、ゆっくりで、いいんじゃない?」
傍に?
ゆっくりで?
「だって、零は……」
「オレって、最初からそういう役回りだったじゃん?
ひとりでいるのって、結構しんどいでしょ?
オレのこと、いいように使っていいよ。寂しくなったら、いつでも呼んでよ」
「役回りって……」
「花音さんが元彼を忘れて元気になる――そうさせるのがオレの役目」
それって――あたしに優しくしてくれたり、一緒にいてくれるのは義務感みたいのものってこと?
「零はどうしてあたしにこんなに優しくして慰めてくれるの?
あたし、零に何にもしてあげられないよ?」
零は、ふーっと長い息を空に向かって吐き出した。
そうしてから、あたしの方を向き、真剣な瞳で見つめてきた。
「花音さんとの出会いは、偶然じゃなくて必然、って言ったじゃん。
オレにとって、花音さんを元気にするのは使命だって思ったから。
泣いてる花音さんは見たくない。いつも笑ってる花音さんでいて欲しいから。
これは、オレのエゴみたいなものだから、何もしてあげられないなんて考えなくていいよ。
とにかく、使命感みたいの、感じちゃったワケ」
「使命感?」
「そう、使命感」
零はそのまま前に少し歩き出したかと思うと、小石を拾って海に低く投げた。
小石は海に小さな波紋を広げながら、てん、てん、てん、と、海面を五回かすめてから波に呑まれた。
ザザン、と大きな音が立ち、砂の上を海水が滑り零の足元まで近づく。
白く広がったそれがあっと言う間に退くと、零はこちらに振り返った。
「それって、変かな?
だけどさ、オレら、もう出逢っちゃったじゃん?
それを、失くすことは出来ないっしょ?
友達って、見返りなんて求めないっしょ?」
――友達。
――見返り。
じゃあ、いつかあたしが立ち直ったとき。
あたしが零に、何か、してあげられるのかな……。
あたしも立ち上がり、零の横に並んだ。
「ね、コレ、零が海に捨てて」
そう言って、啓人から貰ったストラップを零に手渡した。
「え? コレ……」
「あたし、ボールとかも、力が足りなくて投げても遠くまで飛ばないんだ。
コレが波で戻って来ちゃったら、嫌でしょ?
それに、零がいてくれるから、今あたしは笑えるんだよ。
だから、零に投げてもらって、ここからまた新しくスタートしたい」
零は、掌の上のストラップを黙ったまま見つめた。
そして、握り締めると、あたしを見た。
目で、「うん」と答える。
次の瞬間、零の手からキラキラとしたものが放たれた。
それは綺麗な放物線を描き、波に呑まれる。
消えてなくなった瞬間、自分の中の黒く濁ったものが、少しだけ剥がれ落ちた気がした。
「あー! ちょっとスッキリしたっ!」
「ね?」と、あたしは気持ちの良い笑顔を向けた。
けれど、零は何か考え込んだ顔をしていた。
あれ……?
そう思ったかと思うと、いきなり隣で大きな声が上がった。
「イイコト、考えた!」
「びっくりした……!
何、急に?」
「ね、元彼とその婚約者の驚いた顔、見たくない?」
零はいかにも名案が浮かんだとばかりに、悪戯を仕掛けた子供みたいな笑顔をあたしに向ける。
「ええっ!? 何っ?
何言ってるの!?」
「週末にあるっていう忘年会、オレが花音さんの恋人として迎えに行くの。
ヤツら、ビックリすると思わない?」
忘年会に、零があたしの恋人として!?
「ええっ?
ちょっと、何言って――!」
「えー……オレじゃ役者不足?」
零は眉間に皺を寄せて頬を膨らませる。
こんなときに、そんな顔が可愛いと思うあたしもどうかしてる。
――と、いうか。
あたしみたいな平凡な子が、こんなに格好良い人を連れて行ったら、それだけで普通は驚きだと思うんだけど……。
「役者不足とか、そういう問題じゃあなくて……」
「じゃあ、どういう問題?」
「問題って言われても……」
ない、のか?
あたし、もう、フリーなわけだし……。
「じゃー決まり!」
零はあたしの両手を取り、ぶんぶんと上下に勢いよく振った。
ええっ!?
嘘でしょっ!
状態は半分飲み込めないまま零は勝手に決定する。
「ひと泡吹かせてやろ」
そう言った零に何か反論したかったけれど、その理由が特別に見つからなかった。
それに、零の意気揚々とした顔を見ていたら、反論する気も失せてしまった。