03

「美味しい……」


何が入っているんだろう?
ピンク色はきっとチェリー。
それにフレッシュなオレンジ。
フルーティで、甘くて、飲みやすい。
でも、決してジュースのような甘さだけじゃなくて、大人の女性に好まれるような味。
フローズンの食感も、堪らなく合う。


「ホント?」

「うん。すっごく美味しい!」


彼は、親に褒められた子供みたいな顔で微笑んだ。

あんまりにも可愛い顔で嬉しそうに笑うから、なんだかこっちが照れくさくなってしまう。

あたしは思わず俯いて、またカクテルを口にした。


………。

……て。
視線を感じるんですけど……。


顔を上げると、彼の笑顔が飛び込んでくる。
しかも、目が合うと更に極上の微笑み。
綺麗なアーモンド形の目尻が下がって、大人っぽいと思った顔つきは、一気に可愛らしくなって。

ドキッとする。
久し振りに味わう甘いときめきが、また襲ってくる。

普通の女の子なら、これだけで参っちゃうコも――きっといる。


「オレ、倉田 零(くらた れい)。
名前、訊いていい?」

「あ……えっと、長瀬 花音」

「カノン? どういう字?」

「花に音って書いて、カノン」

「花の音かぁ。すんげぇ、綺麗な名前だね。
なんか、花が開く瞬間ってあるじゃん?
ああいう感じってゆーか、イメージがする」


また極上の笑顔で、零はさらりと言う。

名前を褒められるのって、女の子は絶対悪い気はしない。
きっと、分かってて言ってるんだろうな。
やっぱりこれも、女慣れしている、証拠。


「ありがと」


お礼の言葉を述べたつもりなのに――温かいものが頬を伝わるのを感じた。
言葉とは、遠い感情。


思い出してしまった。

前にも同じ言葉を言われたこと――。


入社したての頃――新人教育を担当した、課長の森 啓人(もり けいと)に。

180cmはある長身に、何かスポーツをやってたであろう、ガッチリとした身体。
いかにも高そうなスーツをパリッと着こなして、いつもてきぱきと仕事をこなしていた。
一見クールだけれど、話してみると気さくで優しくて。その上、誰が見ても格好良かった。
仕事も出来て、25歳という若さで課長という彼は――非の打ちどころがなくて。
女子社員の憧れで、噂の的だった。

あたしだって、憧れてた。

だから――あのとき。
部署の飲み会の、出席者用紙を彼に手渡したとき――。


「長瀬さんて、花音って名前なんだ?
花の音って……凄く綺麗な名前だね。
何か……あ、そう、花が開く瞬間みたいな……そんな感じの名前」


出席者の名前を見ながら、彼はそう言った。

憧れの人にそんな風に言ってもらえて――その言葉は、あたしの胸に刺さった。
あまりにも嬉しくて、忘れられない言葉になった。
――今も。



「ゴメン!
何かオレ、変なこと言った?」


零の慌てた声に、あたしはハッと我に返った。


「あ……ゴメン、違うの」

「でも、」

「前にも、同じことを言われたの。
それを、思い出しちゃって……」


心配そうにあたしを覗き込んでいた顔は、一瞬強張った気がした。


「同じこと……?」

「今日、振られた彼に」

「彼氏……」

「うん。付き合う前に言われたことがあって。
思い出しちゃった。また泣いちゃって、ゴメンね」


苦笑すると、零は哀しそうな顔をした。


「そっか……。
こっちこそ、思い出させてゴメン」


零はそう言うと、しゅんと視線を落とした。


そんなに気にすることないのに。
何だか不思議な子。


そう思うと、零は、ぱっと顔を上げた。
また目が合うと、今度は怒ったように言った。


「つーか、花音さんを振るって、信じられないんだけど!」

「え?」

「オレ、めちゃくちゃタイプなんだけど!」

「ええっ?」

「マジで」


鋭く大人びた眼差しを、あたしに向けてくる。


って――ヤダ。
ドキドキしてる。

こんな年下の男の子に、本気かどうかも分からないことを言われて。
一気に酔いも回ってきたようにふわふわする。
気が付くと、涙も一気に引いていた。


「花音さんの気が少しでも軽くなるんだったら、オレに話して。
何でも聞くから」


零の、真剣な顔。

若くて可愛い年下のオトコノコ。
いかにも女の子にモテて、遊んでいて、慣れたような。


彼も――女の子皆に調子良かったよね。
誰にでも、ひいきなく優しくて。

社内恋愛だったから、会社の皆に内緒で付き合ってるのが悔しかった。
あたしたちが付き合っているのを知らないで――彼を誘う女の子たち。
それに調子良く話を合わせて、笑っているのを見るのは、本当は嫌で堪らなかった。

社内ではあたしたちの関係は秘密だったんだから、都合の良いことに、藤下優香も知らないだろう。
あたしとの関係を綺麗に清算して、クリスマスはきっと、彼女と仲良く過ごすんだ。


哀しいよりも、無性に悔しくなってきた。
胸をグッと圧迫するような苦しさに、思わず拳を作った手にぎゅっと力が入る。

何であたしがクリスマス前にフラれなきゃいけないの?
結局、男って地位と金なの?

啓人と藤下優香が仲良さそうに寄り添っているのが、頭に浮かぶ。
聞こえないはずの笑い声まで――聞こえてくる。
想像したくもないのに、そこからどうにも離れない。


「花音さん?」


可愛い顔であたしを覗き込んでくる零にも、なぜか無性に腹が立った。

だって、どうせ女の子みんなに同じようなこと、言ってるんでしょ?
適当におだてて、気分を良くさせて――散々、遊んでるんでしょ?

それなのに、馬鹿みたい。
ドキドキさせられた、なんて――。


「零は、あたしのこと、慰めてくれるの?」


意地悪に、言ってみた。
八つ当たりだって、分かってるんだけど。


「オレに出来ることなら。
……て、ゆーか、花音さん、もう酔ってる?」

「酔ってないよ」


本当はもう、良い感じに酔いは回ってきている。

あたしはカウンターに頬杖をつき、上目遣いに零の顔を見つめる。
そして、大人の余裕を持って、また意地悪く言った。


「零は、女の子に、慣れてるよね?」

「は? 慣れてるって、な――」

「今夜は、あたしにつきあってね」


あたしは、言いかけていた零の言葉を遮った。
頭の中の、啓人と藤下優香を掻き消すように。


あたしだって――。
啓人なんか、もう知らないし。
オトコノコと軽く遊んでやるんだから!
どうせ零だって、ヤレればいいんだろうし、ソレが目的でしょ。
遊びなら、若くて優しくて女慣れもしてるカッコイイ子のが、いいし。



そのときのあたしは――。
酔った勢いもあったけれど。
本当は、慰めて欲しくて、優しくされたくて……。
あたしのこと、可愛いとか褒めて欲しくて、必要とされたくて……。

ズタズタに切り裂かれた気持ちを、誰かに包んでもらいたかった。
ひとときでも、忘れさせて欲しかった。


それが、零だったんだ。

update : 2007.01.〜(改2010.3.31)