02
初めて会ったのに、手を繋いでる。
けれどなぜか、違和感はなかった。
お互いに黙って、手を引かれるままに歩く道。
代官山から中目黒の街並みへと、少しずつ景色が移り変わる。
さっき頬に触れてきた指先は冷たかったのに、今はもう温かい。
大きくてしなやかな掌は、優しい感じがして、安心できる。
緊張がないことも、不思議。
こんな風に思うのは、特別な状況からなるものだろう。
女の子に、慣れてるなぁ、とも――。
それでも今、あの人のことで泣かないでいられるのは、彼のおかげだ。
彼に連れて行かれたお店は、駅近くの小さなビルの地下で、看板には「LIZE」と書いてあった。
中はコンクリート打ち放しの壁に、照明は全てダウンライトで、シルバーと黒のモダンなインテリアが大人っぽいお洒落なバーだ。
「ちょっと待ってて、オレ、着替えてくるから」
そう言うと彼は『Staff Only』と書いてある奥の黒いドアに早足で入って行った。
あたしは一人、空いているカウンターの端に座った。
カウンターに肘を突いて、ふと店内を見回す。
既にテーブル席は満席になっている。
店内にいる客のほとんどは、若くて可愛い女の子たちだ。
そこに混じるように、仲の良さそうなカップルもちらほらと見える。
週末の夜を楽しむように、皆笑みを浮かべて会話に夢中になっている。
小気味良く流れるジャズの中に、大きな笑い声が響いた。
甲高い声が耳障りで、気分が悪い。
思わず、大きな溜め息が漏れる。
「いらっしゃいませ。何にいたしますか?」
落ち着いた低い声が言った。
カウンターの向こう側にある人の気配に顔を向けると、30代くらいの男の人と目が合った。
背が高くてがっちりした体形に顎鬚は、威圧感も存在感もある。
この店の、マスターかな?
「……カシスオレンジ」
「かしこまりました。
レイが女の子を連れてくるなんて、初めてですよ」
マスターはそう言って、何か企んでいるような顔で、楽しそうにニヤリと笑った。
――て。
レイって言うのか。
そういえば、まだ名前も訊いてなかったな。
目の前で、氷の入った細長いコリンズグラスに、カシスリキュールが注がれる。
次に入れられたオレンジジュースがカシスを舞い上げ、ボルドーとオレンジ色が混ざり合い、そしてまた二層に分かれていく。
軽くステアされ、オレンジスライスが載せられる。
綺麗なグラデーションに変わったその液体が、目の前に差し出された。
「お待たせしました。どうぞ」
グラスの中の美しい色を楽しむことなく、あたしは片手で持って一気に飲み干した。
……美味しい。
一息吐くと、空になったグラスをテーブルの上に載せる。
「同じの、下さい」
すかさず言ったあたしに、マスターはふっと微笑んだ。
何か見越したかのような、顔。
「結構、いきますね」
まあ、こんな泣きはらしたボロボロの顔じゃあ、何かあって飲みたい気分と思われてるのは、当然だろうけど。
マスターは、もちろんそれ以上は何も言わずに、また同じカクテルを作り始める。
あたしはそれを、作るよりも速いペースで飲み干す。
ほんの十分くらいの間に、あたしはカクテル三杯を飲み干していた。
四杯目が出来上がったとき――向こう側で、ドアの開く音がした。
着替え終わった彼がそこから出てくる。
急に、店内の雰囲気が変わった気がした。
店に来ている女の子たちは、落ち着かないようにひそひそと話し、ドアから出てきた彼を盗み見るようにしている。
どうやら一部の子は、彼が目当てで来ているらしい。
……うん。
それも、分かるかも。
確かにカッコイイもん。
アイロンのかかった白シャツに黒のパンツ姿の彼は、さっきのカジュアルな服装のときとはまた違い、随分と大人びている。
すらりと高い身長で、スタイルも良くて、着こなしも抜群で――モデルみたい。
それに加えて、ハーフにも見える整った顔立ち。
女の子ならきっと、視線が吸い込まれてしまう。
あたしも自然と、見とれていた。
――と、目が合った。
まるで当然のようにこちらを向いた彼は、あたしににっこりと微笑んだ。
あまりの屈託のない満面の笑顔に、ドキッとする。
そしてそのまま女の子の視線を浴びながら、まっすぐあたしの所に向かってきた。
「お待たせ。
もう飲んでた? ごめんね」
「あ、うん」
「何飲んでるの?
あ、カシスオレンジ?
甘いの、スキ?」
「うん。どっちかって言うと、甘いのしか飲まないかも」
「女の子には飲みやすいかもな。
フローズンとかもスキ?」
「好き」
「じゃ、待ってて。
今、オレのオリジナル作るから、飲んでみて」
彼は少年っぽい可愛い笑顔で微笑んだ。
女の子たちの視線が痛い。
だけど……ふつふつと胸のあたりに込み上げる何かがある。
これって、優越感、かな?
真剣な顔つきに変わった彼は、そんなことには全く気付かずにカクテルを作り始めた。
手際良く、リキュールの瓶を次々と扱う。
思わず、見とれてしまう。
長くて綺麗な指……。
その手は元彼のとは違う、長い指のしなやかな手。
けれど、節は骨ばっていて、大きくて――男っぽい。
最後にその長い指で、出来上がったフローズンカクテルにストローが挿され、あたしの前にすっと差し出された。
ピンクとオレンジがグラデーションになっていて、上には白いデンファレの花が載せられている。
女の子らしい色の組み合わせが、可愛い。
「綺麗……」
そう言うと、彼は少し照れたような顔をした。
「それ、キミのイメージなんだけど」
カウンターに手を着き、同じ目線で覗き込まれた。
とくん と心臓が鳴る。
鼓動が早くなる。
これって――口説き文句?
女の子皆に、こんなこと言ってるの?
ちょっと、ちょっと!
あたしってば、真に受けちゃ駄目だってば!
あたしは何でもないように平静を装って、「いただきます」とストローに口をつけた。