06
昨日の夜は寝られなかった。
ずっと頭が痛かったのは、ボールが当たったせいだけじゃない。
――『言うなよ』
あのキスは、やっぱり口止めってことなんだろう。
アイツが沢木さんのことを好きだって、誰にも言うな、っていうこと。
あたしがアイツとキスしちゃったって、隼に言われたら困るのを分かってるから。
そりゃあ、あたしだって、めちゃくちゃ性格良いってわけじゃないけど、言うなって言われたら誰にも言わないつもりだったのに。
……ファーストキス、だった……。相手がアイツで。その上、口止め如きでされて、最悪。隼に見られなかっただけマシだと思うしかない。
めちゃめちゃ腹が立ってきて。でもどうにかして忘れたいあの感触が甦ってきて、あたしはぶんぶんと首を振った。
「サーワー、ちょっとぉ、何やってんのー?」
涼香の声がして、あたしは動かしていた頭を止めて振り返る。
校門の手前のところに涼香がいて、あたしと目が合うとすぐに駆け寄ってきた。
「もーっ、どうして昨日は返事くれなかったの?」
涼香はぶすくれた表情であたしに文句をつける。
昨日、クラスの友達からたくさんメールが来ていた。けれど、涼香とひなからのメールにさえ、どうにも返事をする気にはなれなかった。
……隼にも。弁明のメールを送ろうとしたけど、それもできなかった。花火大会のこと……デートだってひとりで浮かれていただけだったって分かってショックで、結局何を彼に伝えたいのか分からなくなったから。
そんな落ち込みマックスの状態で、『蜂谷くんにお姫様抱っこされてたって!? 家まで送ってもらったって!?』なんて、テンションの高い二人のメールに答える気分じゃなかった。
「ごめん、頭痛くて寝てた」
あたしは取りあえずへらっと笑ってみせた。
「えー、大丈夫なの?」
「うん、まぁ、今日は一応平気。ぶつかったとこ、触るとまだ痛いけどね」
「ならいいんだけどー。でもさー、役得でしょー。蜂谷くんにお姫様抱っこ!」
きゃーとか言いながら、涼香は自分の身体を抱き締めてくねらせる。心配よりも、そっちの興味の方が絶対的に強いことが丸わかり。
あたしは盛大な溜め息を落としてから、涼香を上目遣いに見る。
「やめてよ。もー、ホント、最悪……」
「最悪とか言わないでよー。つーか、気を付けた方がいいかもって言うのはあるかもね」
「何が?」
涼香の言葉に、あたしはきょとんとして訊き返す。
「蜂谷くんファンの女の子に、文句とか言われなきゃいいけど」
顔を顰めて答えた涼香に、あたしは眉を寄せた。
「はあ? そんなことする人って、いるの?」
そうしたら涼香の方が、何言ってんの、って顔をした。
「いるから。だから気を付けろって言ってんの」
きっぱりと言い切られて、驚いた。
その上涼香は、目で合図しながらあたしのブラウスの袖を軽く引っ張ってきた。あたしは涼香の目線の方に視線を移す。
――と。校舎の下駄箱の陰から、見たことのない女の子二人と目が合った。そしてすぐに目線は逸らされる。女の子たちは顔を見合わせてから、校舎の奥へ行ってしまった。
「ね?」
それ見ろと言わんばかりに涼香が言う。
あたしには、何だか信じられなかった。芸能人じゃあるまいし。マンガやドラマじゃあるまいし。ちょっとカッコイイからって、ファンだとか、そんなのってあるわけ?
むむっと考えていると、後ろから声を掛けられた。
「沢木さん」
あたしはその高いけれど落ち着いた声に振り向いた。
沢木さんだった。目が合うと、爽やかな笑顔が向けられる。
「おはよう。良かった、学校来たのね。頭打ったところ、大丈夫? 具合はどう?」
「ああ、うん。触ると痛いけど、大丈夫だよ。ありがとう」
「昨日、アオに一応確認はしたんだけど、アイツ、当てにならないから。そっか、良かった」
ホッとした顔で両手を唇の前で合わせる彼女を見て、あたしは自然と笑顔になる。やっぱり彼女は最初のイメージと違って、感じの良い子だ。アイツとは大違い。
「心配してくれてありがとう。あ、そう言えば……」
手紙のことを思い出した。アイツに破られちゃったけど、本人に返さないわけにはいかないから、あの状態のまま仕方なしに持ってきたんだった。
涼香もいるからどうしようかな、なんて一瞬悩んで言葉に詰まっていると、涼香にぐいっと腕を引っ張られた。
「サワ、行くよ」
それは低い声。強い力で引っ張られていって、あたしはすぐに対応できずに腕を引かれるままだった。沢木さんは向こう側で突っ立ったまま、ただ微笑を浮かべている。
「ちょ、ちょっと、涼香? 待って、何、急に」
あたしは足を止めようとするけれど、涼香はそれでもぐいぐいとあたしを引っ張っていく。
腕を引かれながら振り向いてみたら、沢木さんはいなくなっていた。――ううん、いた。校舎ではなく、校庭の方へと歩いていた。後姿はもう随分と小さくなって。
涼香は下駄箱の前に来てようやく足を止めた。そして無言のまま自分の下駄箱の扉を開け、上履きを出す。
あたしは溜め息を吐いた。
「ちょっと、涼香さ、沢木さんに失礼じゃないの?」
言いながら、自分の上履きの入った扉を開いた。
「あたし、あの子、キライ」
隣でぼそっと涼香が言った。
あたしは下駄箱に手を突っ込んだまま、涼香の方を向く。
「え?」
「何? アオって……蜂谷くんのことでしょ?」
「あ、それは……」
幼馴染みだから、と、言おうとしたら、「あー、ヤダ」と涼香の大きな声が重なり、言えないまま涼香の言葉が継がれる。
「サワも噂は聞いたことあるでしょ? あれ、ホントだから」
「噂って……」
「すぐに人のオトコ取るわ、寝るわ。女子には愛想ないけど、男子には媚び売ってさ。ヘンなバイトもしてるみたいだし。そんなヤツよ」
あたしは息を飲んた。噂は知っていたけど、涼香があまりにも嫌悪感を込めた口調だったから。
「……でも。……でも、喋ってみたら、そんな子には思えなかったけど……」
「サワは知らないから。うちは隣の中学だったからよく知ってる。友達、彼氏取られたし。コレ、事実だから」
反論はすぐに切って返される。あたしは、それ以上言えなくなった。
涼香は不機嫌な顔で教室に向かい歩き出す。あたしもすぐに靴を上履きに履き替え、涼香の後ろを歩いた。
胸のあたりがもやもやと重たかった。