05
――嘘ぉ……。
どうしようとか、何か考える間もなく、愛車に乗った隼はどんどん近付いて。
あたしを見つけた隼は、驚いたように目を大きくさせている。
「……口、開いてる」
「えっ!? あっ……」
蜂谷蒼生に言われて、あたしは慌てて掌で口元を押さえる。もうそのときには、隼はあたしの目の前にいた。キイッと、ブレーキの音を立てて彼の愛車が停まる。
「は、隼! あの、このひとは……」
どうしよう! 男と家の前になんかいたら、絶対に誤解される!
どうにか説明しようとしたら、その前に隼が口を開いた。
「蜂谷?」
「え?」
隼から出た名前に驚いた。
どうして知ってるの?
無愛想な顔の蜂谷と、不思議そうな顔の隼を交互に見ると、隼が言った。
「おっどろいたなぁ。蜂谷って美麗と知り合い? ……って、そっか、学校、同じだっけ?」
「え、待って。隼こそ、何でこのひとのこと知ってるの?」
あたしは口を挟んだ。
隼はきょとんとしてから、あー、と察したような声を上げる。
「塾が一緒なんだよ。駅前の。クラスが同じなんだ」
な? と、隼は蜂谷蒼生に振ると、「ああ」と彼は素気なく答えた。
そんなの知らない。全然知らない。
「隼、駅前の塾なんて行ってたの?」
「あー、通い始めたのは結構最近なんだ……っと、」
と、隼は何かに気付いたような顔をしてから、苦笑いに変えて言った。
「……って、オレ、もしかして、邪魔者だよな?」
「ええっ!? ち、違……!」
やっぱり勘違いされたことに、あたしは慌てて否定しようと声を上げた。なのに――。
「うん、邪魔」
にっこりと笑顔で答えた。蜂谷蒼生が。
「なっ! 何言ってんの!」
「今、ミレイのこと口説いてる最中なんだけど、カタイんだよな、これが」
「ちょっ……! やめ……っ!」
「マジなんだけど、信じてくれねーし。なぁ、坂下、協力してくんねぇ?」
哀しい顔をして、一転。蜂谷は隼に媚びた笑顔をする。
何を言い出すの、このひと! 信じられないっ!
あたしはもう言葉が出てこなくって。ぶんぶんと顔を横に振るのが精一杯。
隼はそれを見て、くっくと笑う。
「んじゃ、花火行く?」
蜂谷も一緒に、と、隼が楽しそうに言った。
――花火――今朝したばかりの二人の約束。
「花火?」
蜂谷が眉を顰めて訊き返す。
うん、と、隼が答える。
「花火大会。今朝、行こっかーって話になってて。花火見るなら、人が多い方が楽しいし。な、美麗、いいよな?」
「……え、あ……う、ん……」
屈託のない顔で訊かれて、あたしはそうとしか答えられなかった。
――ショックだった。
二人きりで行くものだと、そのつもりで誘ってくれたのだと、そう思ってたから。
こんなに軽いノリで、他の誰かも誘うことが出来るなんて……。
「んじゃあ、そのことは近くなったら決めよーぜ」
またな、と、隼はあたし達に片手を上げ、坂下家の門を開けた。
キイッと金属の鳴る音がして、カチッと愛車のスタンドが立てられる音がして、そのあとにドアの開く音が聞こえた。すぐにバタンと閉まった音が響き、急に静かになった。
あたしは、何か言うことも、動くことも出来なかった。
デートだってひとりで浮かれていたことが、馬鹿みたいに思えて。
あんまりにも哀しくなってきて、目の縁から涙が滲み出てくる。
だけど、この男の前で泣くのも嫌で、あたしは俯いて歯を食いしばった。
「ふぅん」
馬鹿にするような声が聞こえてきて、あたしはそこで顔を上げた。
「何っ?」
「オマエ、あーゆーのが好みなんだ?」
「だからなんなの!? ……って、何であんなこと言ったのよ! ……もうっ、もう、最低っ!」
「怒鳴るなよ。近所に丸聞こえだぞ?」
ニヤッと、意地悪く蜂谷は笑った。
ちくしょう、この男……。
あたしはクッっと唇を噛み、手の中の手紙を握り潰し、歩き出した。
「……じゃあね」
もうとっとと帰ろうと、自分の家の門を掴む。
――と、反対の手首を取られた。ぐいっと引っ張られて、強引に後ろを向かせられる。
その途端、覆われた影。
何が起こったのか、すぐになんて判断出来なかった。
ほんの一瞬だけ触れた唇と唇。
けれど確実に触れた唇と唇。
痴漢にあったときに急に声が出ないっていう話は本当だった。あたしは声を上げられない。ただ目の前の綺麗な顔が、ゆっくりと離れていくのが目に映るだけで。
「言うなよ」
息がかかるほどまだ近くにある顔が言った。焦げ茶色の瞳が射るようにあたしの目の奥を見ながら。
動けないままのあたしを置いて、彼は踵を返した。
そのまま遠退く後姿を見つめ、あたしはずるずると地面にへたり込んだ。