04

 何でこうなってるんだろ……。
 クラウンのマークの付いた光沢のある黒いタクシーは、車内のシートも同じ色の革。その上に白いレースのカバー。
 広めの後部座席。隣を見ると、蜂谷蒼生は足を広げシートに深く寄りかかって、デンと座っている。
 あたしと言えば、頭を打って強制的に家まで送ってもらっているはずなのに、このひとが隣にいるせいで、遠慮がちに端っこにちょこんと座っていて。
 妙に緊張して仕方ない。
 だって、こんなこと初めてだし。こういう狭い空間に、男子の隣に二人きりで座るなんて。(タクシーの運転手もいるけど!)
 さっきからお互いに黙ったまんまで。それが余計に落ち着かない原因でもあるんだよね。
 早く家に着いて欲しい……けど、最低でもあと10分はかかる距離だ。
「あの……」
 沈黙に居たたまれなくなって、あたしは恐る恐る隣に声をかけた。
「何?」
「蜂谷、くん……サッカー部でしょ? 今日、部活ないの?」
 彼の顔は、何言ってんの? と言いたげに、眉を寄せたみるみる不機嫌な顔になって、あたしを見下げる。
「テスト前だし。それに、さっき、末央が言ってただろ、部活ないんだから送ってけ、って」
「あっ、そ、そっか……」
 あたし、愛想笑い。
 て、言うか。何であたしが気を遣ってるの!?
 はぁー、と溜め息が漏れた。もう、無理して喋るの、止めよう。
 背凭れに頭を付けて寄りかかった。
「痛っ!」
 付けたばかりの頭を浮かせて手で抱えた。ボールがぶつかったところ。違うところに気が行ってて、頭の中から抜けてた。あたしって、本当に馬鹿!
「……ホント、馬鹿」
 だから、言うなよ! アンタが!
 顔を上げて、キッと隣を睨む。けれど、全く効果はない。
 だから、何なんだ、そのしかめっ面!
「名前、何だっけ?」
 睨んでいる最中に、脈絡のない質問が振られた。
「え……? あ……沢木、美麗、だけど」
「そっか、そーいやさっき、沢木って言われてたな」
 言われてみて、その通りだと思った。つい答えちゃったけど。
 て、言うか、あたしのことなんて、全く興味がないと言うか、どうでもいいんだな。
 そう思ったのに、物凄く視線を感じた。蜂谷蒼生の、視線。
「サワキミレイ……って、末央と一文字違い? どーいう字?」
 それって、あんまり答えたくない質問だ。
「美しいに、秀麗の麗」
 きっと、似合わないとか言われるんだろうなと思いつつ、あたしは答えた。
「ふーん。いい字を両親から貰ったんだな」
「えっ……?」
 返ってきたその言葉に驚いて、あたしは彼の顔を見た。
 彼は不思議そうな顔で見返す。
「何?」
「……え、あ、だって、そんなこと、初めて言われたから……。名前、似合わないって、みんなに言われるし……」
「ふーん? つか、似合わねぇって、どういう意味?」
 逆に訊かれて、こっちが困ってしまう。どういう意味って、どういう意味?
 あたしは小首を傾げて見せる。
 それ以上の返答もなかったから、代わりに違う問いを投げた。
「そう言えば蜂谷くんは、沢木さんに“アオ”って呼ばれてたよね? それって、何か意味あるの?」
 彼は眉を一瞬顰めて。それから言った。
「ソウキのソウが、蒼いって字なんだよ。草かんむりに倉って書くヤツ。ちっこいころ、アイツ、ソウキって呼べなくて“チョーキ”になっててさ。それで、呼びやすく、誰か大人がそう呼べって言ったんだろな」
 あたしに説明しながら、彼は懐かしそうな顔をした。
「へぇ……」
 そう答えつつ、もしかして、と思う。このひとって……。
「蜂谷くんてさ、沢木さんのこと、好きでしょ? すっごーく、愛しいって顔してる」
 途端に、隣の顔は赤くなった。耳まで。
「そっか、やっぱりー!」
「ちょお……っ! ちげ……!」
「顔、真っ赤だよ? 分かりやすすぎでしょ?」
「こ、これはっ、オマエがヘンなこと、突然言うからっ……!」
 慌てる彼が、何だか可愛くも見える。……て、いうか、面白い。
 あたしは指を差しながらイヒヒと笑った。
「絶対、好きだよねー? て、言うか、じゃあ何で他の女子と付き合うのかわかんないんだけど」
 言ったあと、ぎくりとした。隣の顔つきが全く変わっていたから。あたし、調子に乗り過ぎた。
「えと……ごめ……」
「言うなよ、誰にも」
 謝ろうとしたあたしの声に被せて言って、威圧するような顔を目の前まで近付けてきた。
 少しだけ怖くて、それ以上何も言えなくて。あたしは小さく頷いた。
 車内が途端にしんとする。運転手は黙ったまま車を走らせるだけ。
 あたしは、背凭れに寄りかかり、ひっそりと息を吐くと、隣の男が言った。
「160センチ、45キロ」
「えっ……?」
「もーちょっと太れば、胸も大きくなるかもしんねーのに」
 一気に顔へ血が上った。保健室まで抱いて運んでくれたのは、コイツだったんだ!
 もう、もう、信じられないっ! 最低っ! 最悪っ!大体、女の子にそんなこと言うヤツいる!?
 怒りと恥ずかしさで、膝の上の手が震えて。あたしはその手を拳にしてぎゅっと握り締めた。
 俯いて垂れた髪の隙間から、あたしは隣の男を睨む。飄々とした顔をして、悪気はこれっぽっちも感じない。端正な顔立ちを、崩してやりたいと思う。――と、ふと思いついた。
 あたしは、鞄を開け、朝の手紙を取り出した。そして、ヤツの目の前に、ずいっと差し出した。
「これ、沢木さんに渡しておいてくれるかな。あたしの下駄箱に、間違えて入ってたの。困るんだよね、こういうのって」
 ラブレターだって、馬鹿でも分かるでしょ?
 封筒を見る瞳が細まる――と、思ったら、そのまま表情は変わることなく、あたしの手から封筒は奪われた。そして、あっと思う間もなく、それは二つに引き裂かれた。
「ああああーっ!」
 あたしは、思わず大声を上げる。
 蜂谷蒼生は、思い切り眉を顰めた。
「ウルセー」
「ウルセーじゃないでしょ! 信じらんないっ! 人の手紙破るかな!」
「じゃあそんなモン、オレに渡すんじゃねーよ」
「だって、隣に住んでるんでしょ! それくらいしてくれてもいいじゃん!」
「オマエ、マジでムカツク」
 冷えた低い声が言って、あたしの膝の上に二つになった封筒が投げつけられた。凄むような態度に、あたしはそれ以上また何も言えなくなる。
 ……信じられない。
 もう顔なんか見たくもなくて、あたしは膝の上の封筒をそのままに、溜め息を吐きながら窓の方を向いた。
 家まではもう随分近づいていた。あと少しだけ我慢すれば、この空間から解放される。
「次の信号を右に入ってください」
 あたしは運転手に道を告げた。
 三回ほど家までの道のりの説明をすれば、すぐに見慣れた黄色の壁と緑の屋根が見えてくる。
 あの黄色い家です、と運転手に言ったら、きちんと門の前に横付けしてくれて、車のドアが開かれた。
「……送ってくれて、ありがとう」
 言いたくなんてなかったけど、一応は、蜂谷蒼生にお礼を言った。
 二秒ほど待ったけど返事がなかったから、あたしは膝の上の封筒を掴んでタクシーを降りた。
 礼儀として、車が出るまでは見送ろうと思っていたら、思っているうちに彼はタクシーから降りてきた。
 何で?
 無表情なまま、彼はあたしの前に立つ。
「おい」
「は、はい」
「親にはちゃんと話しとけよ。あと、もし頭痛とか吐き気とか出てきたら、救急車呼べ。それと、酒は飲むなよ」
「え、と……お酒は飲みません。未成年だし」
「……」
「……」
「……」
 これって、一応心配してるの?
 タクシーは走り去っていった。家の前でまた二人きりになってしまう。
 何だか帰りづらい。でも早く帰りたい。
「じゃあ、あの、あたし……」
 帰るね、と切り出そうとしたときだった。
 蜂谷蒼生のずっと向こうに、黒のマウンテンバイクに乗った隼が見えた。

 

update : 2012.12.13(11.12.19〜12.02.07)