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交差点の赤信号で、足を止めた。
車の黄色いライトが、低い唸りと共に目の端をすり抜けていく。
商店街の殆どの店はもう閉まっているのに、街は沢山の光で溢れ、明るい。
どうやって帰ってきたんだろうと思える程、帰り道のことは、殆ど覚えていない。
それなのに、頭の中は妙に冴えていた。
足が疲れているのは、よく歩いたせいだろう。
少し尖ったヒールの靴に擦れる爪先が、じんじんする。
ふくらはぎも、ピンと張っている。
潤……今頃どうしてるかな……。
怒られてるのかな……。
通り過ぎる車を横目で流しながら、そんなことを考える。
新しく現れた光は、目の前に伸びる白いラインで止まった。
エンジンの音が静かに響く。
信号が、青に変わる。
あたしは、さっと右足を前に出す。
この横断歩道を渡って、数メートル歩いた先の角を曲がれば、店はすぐだ。
ほら、もう、看板が見えてくる。
父と母が残してくれた。
あたしの、未来への懸け橋。
潤が残してくれた。
希望と強い心。
渡された時からずっと握りっ放しの掌を開く。
熱のこもった鍵は、まるで潤との体温を共有しているようにも思えた。
シャッターに鍵を差し、下から押し上げると、夜空に冷たい金属音が高く響いた。
店のドアを開ける。
街の灯りで、店内がぼんやりと輪郭を映し出す。
「……え」
暗い中に、薄っすらと浮き上がった白いモノが目に飛び込んだ。
急いで壁のスイッチを押し当てると、青白い光がチカチカっと一瞬光ってから辺りを露わにした。
カウンターの上に置かれた、花束へと近づく。
そして、手に取った。
――ホワイトスター。
葉を落とした真っ白な小花が、ひとつひとつ主張するように、ラウンド型に整えられている。
純白の、小さなブーケ。
そっと抱き締めると、愛らしく揺れた。
「……これが宿題……?」
――信じ合う心。
「……馬鹿。
大丈夫だよ……」
胸が、きゅっとする。
潤の、想い。
そこに、あたしの想いも重なる。
泣きたくなる気持ちに駆られて、固く瞼を閉じた。
そして、ゆっくりと深呼吸をしてから、カウンターのスツールに腰掛ける。
人差し指で、愛でるように花びらをなぞった。
カウンターの上に薄っすらと陰影をもたらす花の影さえ、じんわりと胸に沁み入った。
もう一度、瞼を閉じる。
――『ちゃんと、意味調べといて』
ハッ、と。潤の言葉を思い出して、目を開いた。
もしかして……まだ何かある、とか?
いてもたってもいられなくなり、慌てて立ち上がる。
急いでカウンターの端に置いてあるノートパソコンを開き、立ち上げた。
ホワイトスターの意味を、潤に教えたのはあたしだけど。
わざわざ意味まで、自分できちんと調べた事はない。
調べなくても、知っていたから。
ううん。
知っているつもりでいた。
ブルースターと同じ意味だから、って。
結婚式で花嫁が身につけると幸福になるという、サムシングブルーの言い伝えで、ウエディングブーケによく使われるブルースター。
花の意味も良いんだよ、って。信じ合う心って意味があるんだって、父が言っていて……。
ただ、それだけで――。
検索一覧を見て、目を見張った。
あまりにも呆気なく、知りたい意味は分かってしまった。
「めちゃめちゃ……キザ……」
ははっ、と。破顔した。
それと同時に鼻の奥がつんとして、ぎゅっと瞼を閉じた。
自然に。
涙が零れ落ち、頬を伝っていく。
「――っ」
もう、涙なんて枯れ果てたと思っていたのに。
それなのに、底がないように次から次へと溢れ出る。
胸が、詰まる。
温かいモノが身体中に広がるのに、苦しい。息が、出来ない。
熱く熱く、火が付いたように、身体の奥が燻る。
――信じ合う心
――幸福な愛
――身を切る想い
小さな花の星に託された、潤の想い。
大きく、息を吸い込んだ。
微かな香りが、抱き締めた花束から入り込み、それがまた温かい想いを身体中に満たしていく。
誰かを好きになって。
その気持ちが通じ合い、二人の想いを深めて相手を確信し信用しても、人の気持ちほど不確かなモノはない。
今好きな気持ちも、いくら愛してると互いに誓い合っても、この先全く変わらない保障なんてどこにもない。
だけど――。
信じたい。
信じていようと思う。
自分の気持ちも、潤の気持ちも。
変わらないと。
そう、信じたい。
入り口のガラスドアに、車のライトが幾筋も通り過ぎていく。
暗い中も真っ直ぐに進んでいく、光。
不安なんて、山程ある。
この先、また躓くことも、迷うこともあるだろう。
けれど、立ち止まらず、光のように真っ直ぐ自分の道を進みたい。
胸を張って誇れる自分でありたい。
潤も――きっと。
いつか、その光がまた交わることを信じて。
願いを込めて、小さな星たちをもう一度優しく抱き締めた。
END
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