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「何言って――?」
「カンナとの、ドラマ共演を条件に、オマエの居場所を教えるってね。
焦ったわ。園長に、潤は今日、事務所に戻るなんて聞かされて。
間に合って良かったよ。
オマエが自分で戻ったら、この契約はパーになっちまうんだから」
頭の中で、ビー玉が弾けたみたいだった。
カチンと音がして、するすると四方八方に散っていく。
何……それ……
条件?
契約?
怒りともつかない何かが突き上げてきた。
仕事を取るために……?
自分の力じゃなく――他人の力で?
卑怯な真似をしてまで――
震え出した手を、拳を作って握り締める。
あたしの腕を掴んだままの彰くんの手を、思い切り振り払った。
そんな事をするなんて思っていなかったせいなのか、彰くんは一瞬、身体がよろけて、驚いた顔であたしを見た。
「そんな事してっ! 後悔するのは彰くんだよ!」
思わず叫んでいた。
彰くんは「ハッ」と、嘲ったように息を漏らす。
「後悔?」
ありえないと言わんばかりに、皮肉な笑いを浮かべた。
そんな彼を、あたしは見据えた。
「自分の力じゃない他人の力で貰った仕事なんて、簡単に崩れるよ」
そう。
自分の実力で勝ち取ったものじゃないものなんて、簡単に崩れ去る。
あたしの場合、ライフスターの仕事がそうだ。
あんなに大きな仕事でも。貰った時は嬉しくても。
潤の関わりがなければ、それは簡単に崩れてなくなる。
あたし自身が掴み取ったモノじゃない――。
「簡単?
分かってねーのは、アンタだろ。
こーゆーとこなの、芸能界ってのは。
何でも利用しないと上になんて上がれねーの!
甘っちょろいコトばっか言ってんなよ!
実力だけで仕事が取れる世界じゃねーんだよ!」
「甘っちょろいのは彰くんでしょっ!?」
荒げた声に、彰くんは瞳を見開いて固めた。
「他人のせいなんかにしてんじゃないわよっ!
自信があるならもっと自分を信じなさいよっ!
今のまま成功したって、心のどこかにずっと、拭えない虚しさが残るだけだよ!」
「黙れっ!!」
振り上がった手を見て、殴られる、と、咄嗟に目を瞑った。
だけど何もなく、恐る恐る瞼を開けると、潤が逆に彰くんの胸ぐらを掴んでいた。
「葵に、手、出すな」
ぞっとするくらい、怒りのこもった瞳と、低い声だった。
彰くんは、そんな潤をただ睨み上げた。
「そんなに大事なら、何で苦しめんだよ」
彰くんが、つっかかったように、短い沈黙を切った。
「オマエのせいで、苦しんでんじゃん、おねーさんは」
「そーだよ……」
潤は彰くんから視線を外し、眉根を寄せて呟く。
「オレがいると、余計に葵を苦しめんだよ……」
何を言ってるの?
苦しめる?
そんな風に思ってたの?
苦しかったけれど、それは潤のせいなんかじゃなくて。
それよりも、温かい気持ちを貰った事が大きくて。
ずっと一緒にいたいと。離れたくないと思っていたのに。
「守りたいと思ったのに、それが出来ない!
オレがいることで、迷惑しか掛けられねーんだよ!
守りたいから!
だからケジメをつけたいんだよ!
葵のことが一番大切だから、これ以上ココにいられないんだよ!」
――嘘……
息を切らせて言った潤の苦しげな顔を見つめた。
こんな形で潤の気持ちを聞かされるなんて。
彰くんは、ハッ、と、これ見よがしに鼻を鳴らし、吐き捨てるように言う。
「また、逃げんのか」
「逃げるわけじゃない!
オマエに分かるわけねーよ!」
「じゃあ、何なんだよ! オレには逃げてるようにしか見えねぇ!
一番欲しいモノが見つかっても、いつまでも中途半端でふらふらしやがって!
そういうトコがムカついて堪んねぇ!
オマエは周りを理由にして流されるだけで、自分の道を自分で選んでねーんだ!
ホントに欲しいモノ、死にもの狂いで掴んでみろよっ!
オレは、何に代えても自分の夢を掴みてーんだよっ!」
捲くし立てるように潤に向かって言い放った彰くんは、微かに握り締めた拳が震えている。
彰くんは――本気で潤を恨んでいるのか、傷付けたいだけなのか?
それとも、救い出したいのか――?
――ああ、そうか。
潤の事を、本当によく知ってるのは、彰くんなんだ。
同じ環境で、兄弟のように育ってきた友達。
だからこそ、色んな想いが葛藤して、混乱して。
羨ましくて、悩んで、悔しくて、嫉んで、恨んで。
誰しも、聖人君子じゃない。
優しいだけでなんて、いいひとで在り続けるなんて、いられない。
彰くんにとっては、潤だから、なんだね。
潤を恨む事で、自分を奮い立たせる部分もあったんだ。
それでも、全部が全部、培ってきた繋がりを、立ち切れていないじゃない。
完全なヒールになり切れないのは、そのせい。
そして、潤は――
あたしのこと、大切に想ってくれた。
――『何に代えても守りたいモノが見つかったんだ』
それはあたしだったんだ……。
「彰くん」
彰くんは、俯いたまま、唇をぴくりと引き攣らせる。
「潤は、ちゃんと分かってるよ。
あたしは、潤が一番大切だから、かまわない。
潤の才能を知っちゃったから、その方がいいと思ってるの」
隣で、潤が息を飲んでいるのが分かった。
視線が、あたしに向けられているのも。
「畜生……」
彰くんの唇がそう動いたように見えたけれど、雑音によってハッキリとは聞き取れなかった。
さっきよりもずっと、周囲に人が集まっている。
遠巻きに「ロケ?」「あれってジュンだよね?」と、囁かれているのが聞こえた。
どうしよう……。
そう思った時だった。
「潤っ!!」
急にどこかから、切羽詰まったような声が聞こえた。
ざわめきが、大きくなる。
人を割って向こうからこちらに走ってくる姿に、息が止まった。
「社長……マネージャー……カンナ……」
潤が漏らした名前の通り、飛び込んできたのは、病院で会ったスーツの男性と、矢沢カンナだった。きっと、見た事のないスーツの男性がマネージャーだ。
矢沢カンナは、たった今、テレビの画面から抜け出たような綺麗な出で立ちだ。
顔も、サングラスや帽子で隠すことをしておらず、まるで、目立つようにと故意にそうしているように思える。
彼女の登場で、周囲が更に騒がしくなり始めた。
湿気を含んだ夜気が、じっとりと身体に纏わりついてくる。
なのに、背中を冷たいものが走った。
心臓が、まるで耳元にあるんじゃないかと思えるくらい、大きな音を立てる。
「どこに――いたんだ!
帰るぞ!」
走ってきたせいか息が上がって、ところどころ掠れた怒鳴り声が劈いた。
その少し後ろにいた彼女が、一歩前に歩み寄った。
そして、心配そうに、愛おしそうに、潤を見た。
長い髪が、風でさらさらと揺れる。
「……潤くん」
甘ったるい、懇願するような声が言った。
「一緒に、戻ろう」
固まっていた潤の肩がぴくりと動いた。
あたしはそんな潤を見上げるしかなかった。
壊れそうなほど速く打ち付ける鼓動を抑えようと、ぎゅっと胸元で拳を握った。
彼女は――やっぱり潤にとっての、彼女なの?
分刻みであろうスケジュールの彼女が、連絡を聞きつけて、事務所も違う社長と共に迎えに来るなんて。
何か余程の理由でない限り、考えられない。
しかも、既に噂になっているのに。こんなところを人に見られたら、それこそ大きな問題になるかもしれないのに。
潤は、チラリと彰くんの方へ顔を向けた後、社長の顔を真っ直ぐに見た。
そして、きゅっと唇を一の字に固く結ぶと、見上げていた筈の顔は勢いよく下がった。
「すいません……でした。
戻ります。ちゃんと、戻ります。
だから、あと……10分だけ、待って下さい。
彼女と話がしたいんです」
身体を深く折り曲げたまま、潤が言った。
――潤……
社長は眉を吊り上げて、見る間に紅潮した。
「何を言ってるんだ!
駄目だ! そんなの信じられるわけがないだろっ!?
そうやってあの時隙を見て逃げ出したクセに、何を言ってるんだ!! 今すぐ戻るぞ!!」
「アレは――!!」
潤はそこで言葉を詰めた。
そして、苦々しく唇を噛んでから、もう一度頭を深く下げた。
「お願いです。5分でもいいんです。彼女と二人で話したいんです。
時間を――下さい」
――あたしも、ちゃんと訊きたい。
つい、今、潤の気持ちを知ったばかりなのに。
嫌だ。このままあやふやなのは。
全部ちゃんと訊いて、笑ってさよならするつもりだったのに。
このまま。潤の口から真実を訊けないまま、別れるのは嫌だ。
潤がどんな気持ちでいるのか、何で芸能界から逃げたのか――訊きたい。
「お願いします。
話を……させて下さい」
あたしも潤と同じように頭を下げた。
「ふざけんなっ!
お前、分かってんのか、自分の立場を!
カンナだって仕事を抜け出して迎えに来てるんだ!」
「分かってるから、戻る気でいるんです!
だから、話をさせて欲しい!」
「駄目だって言ってるんだ!
今すぐその女から離れろ!」
躍起になったように社長は声を上げ、潤の方に手を伸ばした。
だけど、触れたかと思った瞬間、それを彰くんが払い除けた。
――えっ!?
「行け! 潤っ!」
彰くんの叫ぶような声が耳に入って。
一瞬だった。
驚いて目を見開いた途端、急に手を取られ、ぐっと強く引っ張られる。
――信じられない。
何が起こったか理解出来たのは、走り始めてからだった。
逃げる、なんて思わなかった。
しかも彰くんが助けてくれるなんて。
ただ、潤に引っ張られる方へと走る。
ざわめきのような声が、後ろから聞こえたけれど、振り向く余裕もなかった。
すぐ、目の前の金属の階段を上っていく。
夢のある遊園地らしき色で塗られたカラフルな階段は、どこまで続いているのか、かなり上まであるように見える。
こんな所を上っていって、逃げ道はあるのか、追い詰められやしないのか――。
だけど、もう、ただひたすら走るしかなかった。
段を踏む度に作り出される金属の音は、後ろからも自分たちのものでない音が追いかけてきて、不安と焦りが足元から湧き上がってくる。
「どいて!!」
ゆっくりと階段を上っているカップルの横を強引に駆け抜けると、女の子が驚いて小さく悲鳴を漏らすのが聞こえた。
申し訳ないけれど、構っている余裕もない。
「潤!! 待てっ!!」
ただでさえ、こんな場所で追いかけられていることに注目を浴びているのに、大きな声で名前を呼ばれて、周りに気付かれないわけはない。
上からも、下からも、様々な方向から視線が突き刺さるのを感じる。
それでも、あたしたちは階段を走った。
――観覧車!
ようやく長い階段を上り切ると、観覧車の乗り口と、数人のお客さんが並んでいるのが見えた。
「潤っ!!」
後ろからまた息を切らせた大声が上がり、列の波が一斉に何事かと振り返った。
皆、潤とあたしの姿に驚愕したように声を上げ、目を固める。
並んでいる人を押し退け、潤は係員にチケットを投げ捨てるように渡した。
「ごめんっ!!」
驚いて慌てる切符係を振り切り、次に乗る筈だったお客さんが驚いて動かないのを幸として、あたしたちは観覧車に飛び込んだ。