12
潤のいる生活は簡単に数日が過ぎていった。
朝はほぼ同じ時間に起きて、簡単に朝食を取って市場へと出掛ける。
夜はお店を閉めてから、一緒にスーパーに行って買い物をして帰る。
夕飯は潤の手料理。
その後はお揃いのマグカップにコーヒーを煎れて、一日の事を軽く語り合う。
こうして文字にして言ってみると、まるで仲の良い夫婦みたいだけど。
生憎、お互いにそんな感情は持ち合わせていない。
ピンクと水色のマグカップが、横に仲良く並べられて食器棚に収まっているのを見るのは、ハッキリ言って妙な気分。
あたし達はただの同居人。
お互いに、持ちつ持たれつってヤツ。
潤は行くところがないし。
あたしはお店を手伝って貰えるのは、正直、助かっている。
潤は、手際も要領も良い。
覚えも早いし、夜は本や図鑑を読んだり、あたしのパソコンで色々調べたりと、花の勉強もしている。
そんな潤の姿には正直驚いた。
だって。
絶対、適当なヤツだと思っていたし。
テキトーにやって、テキトーに過ごして。テキトーに働いて……
そんなイメージだったのに。
花屋のキツイ仕事を、一度も文句も弱音も吐かずにこなしていく。
――まさか……本気で花屋になるつもりじゃないよね?
「先に帰ってていいよ」
あたしは手を動かしながら、花のチェックをする潤をちらりとだけ見て言った。
時計の針は、既に21時を回っている。
あたしは明日販売するための、ミニブーケの制作をしていた。
基本的に、花束やアレンジメントは、夕方以降に作って次の日の販売に備えておくもの。
潤が、車で駅前とか、オフィスがあるような所を回って移動販売を始めたから、以前よりも作る量はずっと多いのだ。
しかも。
作った分は、全部完売させてくる。
顔の良い男の特権なのかな?
これって凄いと思う。
あたし一人で同じように移動販売しても、全部は無理な気がするもん。
お陰様で、お店の売り上げは少し伸びた。
この提案も潤だし。
慣れ染めは何であれ。
ウチに転がり込んできたとはいえ。
ホント、凄く役に立ってる。
「んー?待ってるよ。終わるまで」
潤はそう言いながら、あたしの目の前のパイプ椅子に腰掛けた。
シンとした店内に、ギギィと、古ぼけたような音が立った。
そして、あたしの手先をじっと見つめる。
「いいのに。別に」
「どーせ、飯だって一緒に食うじゃん?」
「そうだけど……」
「夜に一人で帰すのもなんだし?」
「子供じゃないんだから。
それに今までは一人で帰ってたし」
「今は一人じゃないじゃん?」
―――……
思わず、手が止まる。
何でこういう事、平気で言うのかな、コイツって……。
そういう言葉って、普通の女の人なら勘違いしちゃいそうな言葉じゃないの……?
手は止まったまま、目の前の潤を疑わしく見つめる。
どういうつもりでそんな事を言ってるのか……。
――女に慣れた言葉。
ずっとウチにいたいから、あたしを取り込んでおきたいとか?
ヒモにでもなるつもりじゃ……
まさか、ね?
再度手を動かし始めると、潤は背凭れに寄り掛かりながら、あたしに向かってニッと歯を見せて笑った。
「赤のラナンキュラスに白いカモミールか……
面白い組み合わせだなー」
「あれ?よく知ってるね、花の名前」
「勉強してますからー。
コレに、ミスカンサスかドラセナ入れると良さそうじゃん?」
潤は立ち上がって、近くでブーケを覗き込んだ。
ミスカンサスか、ドラセナ――……
入れると、確かに甘い感じから、少し締まって大人っぽくなる。
「………。
うん。いいかも。
……って、ゆーか。驚いた」
「んー?」
「こんな何日か働いただけで、そんな風に言えるようになるなんて……」
「オレ、結構花屋に向いてると思うわねぇ?」
「え……?まぁ、うん……。
でも、向いてるだけじゃ、出来ないでしょ?」
「えー?楽しいなーと思うんじゃ駄目?」
腰を屈めていた潤は、そう言いながら姿勢を正した。
そして、微笑みながら少し斜めに首を傾げてあたしを見下ろした。
「楽しい?」
あたしは逆に見上げてそう訊いた。
楽しい、って……思ってるの?
花屋の仕事……
「花とか木ってさー。スゲエ生命力を感じない?生きてるなーって感じ。
自分が世話して、少しづつ育ったり、花を咲かせたり……
蕾だった花びらが開くのとか、結構感動した。
ちゃんと花を見たことなかったし。
こんな風に感じたのも初めてだ」
真面目に答えた潤。
その瞳は、『花屋が夢』と言っていた事が嘘だとは思えないような色だった。
「――うん……」
あたしはそう一言だけ答えた。
――何か……
しくん。と。
胸の奥の方で、何とも言えない疼きがあった。
潤のその言葉に反応して。
響くような、痛みとは違う疼き。
だって。
あたしも花屋を始めてから、初めて思ったコト。
潤と同じコトを、あたしも感じたんだもん。
それって本気で言ってるの?
調子が良くて、嘘吐きで。
何が本気なのか分かんないよ。
だけど。
辛いと思っていたこの仕事が。
潤と一緒にやる事で、楽しいと感じる事がずっとずっと多くなった。
一人じゃない、誰かと感じて分け合える気持ち。
潤は一体、いつまでここにいるつもりなんだろう……?
その日。
店先からひょいと男の人が覗いてきた時に、陽が落ち始めている事に気が付いた。
彼の向う側は、ビルの合間に茜色の空とその色に染められた雲を覗かせていた。
「いらっしゃいませ」
微笑んで、声を掛ける。
金髪に、耳には沢山のピアス。
ルーズなデニムにTシャツ、キャップ。
所謂B系。今風の若い男の子。
歳は潤と同じくらいかな?
「あのー、お見舞いに持って行く花なんすけど、どーいうのがいいのかなぁ?」
少し照れ臭そうに、頭に手を添えてゆっくりと店内に入って来た。
男の人が花屋に入るのって、結構勇気がいるんだよね。
「花器があるか分からないんでしたら、アレンジメントが良いと思いますよ。
ご予算はどのくらいですか?」
「んーと。3千円くらいで……」
彼がそう答えて、あたしからふと視線を奥にやった時だった。
「あっ」と声が出て、視線がそこで固まる。
「潤……何でこんなところにいるんだよ」
―――えっ!?
彼の言葉に驚いて、瞬時に潤へと視線を移した。
潤の知り合い?
それなのに。
名前も呼ばれたのに、潤は俯きがちの顔を上げようともしない。
何で――?
「オマエ、潤だろ?」
「………」
彼はずかずかと近づいて、潤の肩を掴んだ。
それでも潤は口を閉ざしたまま、顔を上げようとしない。
「オイ、知らない振りなんかすんなよ。
いくら身なりを変えたって、オレがお前に気付かない訳ないだろ?
小さい頃からずっと一緒に過ごしてきたんだから」
ふん、と。彼は鼻で笑ったように言う。
小さい頃からずっと、って……
潤は施設で育ったって言ってたけど、そこで一緒だった人?
何で、潤は何も言わないの?何か逢いたくなかった理由でもあるの?
それに、身なりをかえたって、って……何?
潤は変わらず何も言わない。
あたしは息を飲んで、二人を見つめた。
「園長、入院してるんだ」
「えっ!?」
彼が言った言葉に反応して、潤は顔を上げてようやく彼を見た。
彼はしてやったりと言った感じで、鼻を鳴らしてニヤリと笑みを見せた。
「やっぱり園長の事になると反応するんだな?
オマエ、売られたようなモンなのに、相変わらずだな?」
「………。
入院って、何だよ……?」
「ははっ。馬鹿みてぇ」
「いいから、言えよ」
低い声と鋭い目つきに変わる。
彼はそんな潤の様子に、笑いを止めて言った。
「どうやら末期の胃癌らしいぜ?
この近くの病院に入院してるんだ。今から見舞いに行くトコ」
「――……」
潤は顔を歪めて黙り込んだ。
彼の方は、そんな潤の反応を楽しむみたいに、口の端を緩く上げている。
園長、って……。やっぱり施設の……だよね?
売られたようなモンって、何?
潤の過去に何があったの?
訊きたいけど、口を出す事が出来ない。
ただ、分かるのは、潤がその園長の事を心配しているという事。
――苦しそうな顔をしてる。
末期の胃癌……。
そんな事を訊いて、心配しない方がおかしいだろう。
まして、施設でお世話になった園長ならば。
「潤、お店は平気だから、一緒にお見舞いに行ってきなよ」
あたしがそう言うと、潤はあたしの方へと顔を向けた。
「………」
複雑な表情をしてあたしを見つめ、黙り込む。
行きたいけれど、きっと葛藤があるんだろう。
「園長って、潤がいた所のでしょ?
心配しない方がおかしいよ。
お店は全然平気だから、行ってきなよ」
ね?と、安心させるように笑顔を見せると、潤は黙ったまま小さく頷いた。
あたしはショーケースの中から、オレンジ系の色味のアレンジメントを一つ取り出し、潤に持たせた。
二人は知り合いだというのに、殆ど口を開かないまま店を後にした。
店先で二人を見送ったけど、潤の背中は固いものだった。