11

――結婚するお友達へプレゼントする花束のご注文。

大ぶりの薔薇に、ダイヤモンドリリー。その合間に散りばめるホワイトスター。
茎を短めに落とし、1本1本を丁寧に重ね合せていく。
純白の花弁を上品で清楚に引き立たせるように、ワイヤープランツ、スモークグラス、ミスカンサスのグリーンを織り交ぜる。

ラウンド型のミニブーケ。

真っ白で穢れの無い色。
これから、幸せの色に染まる。

それなのに。
これから花嫁の手に渡るそれは、祝福の温かい気持ちで作りたいのに。
何でこんなにも、あたしの心の中はくすんだ色なんだろう……。


昨日の貴宏の電話の声が、蘇る。

――『結婚するんだ』


結婚する……って。
どんな気持ちになるの……?


――裏切りと、嘘……



最後にホワイトスターを多めにあしらうと、お客様に掲げて見せる。


「こんな感じで如何ですか?」

「凄く可愛い!友達もきっと喜んでくれます!」


目の前のお客様は、嬉しそうにぱちんと手を合わせた。
春らしい淡いピンクの小花柄のワンピースの裾をふわりと揺らして、角度を変えながら出来あがったブーケを覗き込む。

……屈託無い笑顔が、可愛い。

友達の結婚式に出席するという彼女自身にも、この白いブーケが良く似合う。


あたしは返事の代わりに、にっこりと微笑んで見せた。


……黒いモノが少し剥がれ落ちていく。


自分の作った花束を褒められる事は嬉しい。
あたしにとっては、最高の賛辞でご褒美。


「コレ、この小さいお花は何ていう花ですか?」


彼女がブーケの中の小さな花を指差した。

細長く厚みのある花びらが5枚開いた花姿は、輝く小さな星のように見える。
――ホワイトスター。


「これは、ホワイトスターって言って、ブルースターの白の品種なんです。
花言葉が『信じ合う心』なんですよ。結婚のお祝いには最適でしょ?」

「へぇ。『信じ合う心』ですか……。
凄く、素敵……そんな二人でいて欲しいなぁ」

「そうですね」


そう答えたのに。
何故かやっぱり、胸の中が濁ったように小さく渦巻く。


代金を受け取り、出来上がったブーケを手渡したところで、着替えをした潤が戻ってきた。


「有難うございます」


潤があの笑顔でお客様に微笑む。

すると、彼女はブーケを抱えたまま目を大きく見開いて、そこで時が止まったように、潤の事を見つめた。


――?
どうしたんだろう?


「どうかなさいました?」


声を掛けると、彼女はハッとしたようにあたしの方に向き、首を横に振った。


「あっ、いえ。何でもないです。
お世話様でした」


彼女は誤魔化すように笑ってそう言うと、足早に店を後にする。


「有難うございました」


あたしは店先まで彼女を見送った。


何だろう?何か、変……。
もしかして、潤の事、知ってるとか……?


彼女の後姿を見つめながら思う。
商店街の人混みの中に彼女の姿が溶け込んで見えなくなると、あたしは店の中に戻った。

潤は、今のブーケを作った時に床に落ちた葉や茎を、箒で掃いて集めていた。
本人は何も気付いていないし、気にも留めてない様子。


「ねぇ。今のお客様って、潤の知ってる人とかじゃないの?」

「は?知らないけど?」


あたしの言葉に動かしていた手を止め、下を向いていた顔を上げて、眉を寄せる。


「だって、潤の顔見て驚いて、じっと見てたよ?」

「そう?」

「ホントに知らないの?」

「知らないしー。
つか。葵が気になんの?」


ニヤリと、意地悪く笑ってみせる。
分かってるみたいに。


……ムカつく……。
気になって悪い……?
だって、何も教えてくれないのそっちだし。

でも、気になったなんて言ってやんない。


「別に。ただそう思っただけ」

「ふーん」

「嘘吐き……」

「は?」

「……何でもない」

「なー。それより、どう?制服。花屋っぽい?」


潤は話を切り替えて、今度は可愛く笑って見せる。
あたしがふと出した言葉なんて、全く気になんかしていない。

白いアイロンのかかったデュエボットー二のシャツに、黒のパンツ。その上に黒のサロンエプロン。

今迄見たカジュアルな姿とは、打って変わって落ち着いた雰囲気。

だけど、こんな格好も良く似合う。
真面目で爽やかな好青年と言う感じで。
眼鏡がまた制服によく似合っていて、それがクールさも醸し出している。

……何だかいつもとイメージが違う。


「……似合ってるよ」

「マジで?」

「うん。
あ。でも、パンツの丈……やっぱりちょっと短いよね?
夜、直すね」

「出来んの?」

「……失礼ね。出来るわよ」


確かに得意じゃないけど。
料理も出来ないと思われてるんだから、これで少しは名誉挽回しなきゃ。

……て。
何で名誉挽回する必要があるんだ?コイツ相手に……。


「葵ちゃん!」

急に後ろから名前を呼ばれて、どきりとする。

声のする方へと振り向くと、店の入り口に、小柄でふっくらとした体形の女性が手を振っている。

お隣のおばちゃん。
――敬太のお母さんだ。


「おばちゃんっ!」


あたしが手を振り返すと、おばちゃんはほっとした様な表情をして近づいてきた。


「良かった、お店開いてて。
お休みしてたから気になってたの。
この間は家にもいなかったみたいだったし」

「ごめんね。心配掛けちゃったね。
ちょっと遠くまで出掛けてたんだ」

「敬太と昨日偶然会ったんだって?
だけどアイツってば、葵ちゃんの事訊いても、うんとかああとかばっかりで。
挙句には知らねぇとか言ってねー、何だか不機嫌で」

「そう……」


……不機嫌って。
敬太ってば、黙ってたこととか、話さない事にまだ怒ってるのかな?
だって、しょうがないじゃん……。


おばちゃんは、苦笑いをするあたしから、その後ろに立つ潤に落ち着かないように視線を移した。
父の花屋の制服を着ている若い男がいるんだから、気になるのは当前だ。


「ああ、おばちゃん。
彼は……親戚の子で、お店手伝ってくれてるの」


手振りを付けながら紹介すると、潤は「こんにちは」と笑顔をおばちゃんに向ける。

潤が敬太に吐いた嘘。
あたしまで平気でこんな嘘を吐く羽目になるなんて……。


「潤、こちらはお隣のおばさんで……。
昨日会った敬太のお母さん。
小さい時から凄くお世話になってるんだ」


あたしがおばちゃんを紹介すると、潤は今度は深く頭を下げた。


「結城です。葵さんのところでこれからお世話になるんです。
宜しくお願いします」


柔らかい物腰と言葉遣い。
やっぱりいつもとは明らかに違う態度。
口の悪さも態度の大きさも微塵も見せない。


「あらぁ。葵ちゃんの親戚なの?」

「はい。遠いんですけど。
花屋の仕事に憧れてて、ココで勉強させて貰おうと思って。
それに、女の人の一人暮らしって物騒だから、一緒に住めば少しは安心だろうって」

「一緒に住むの?」

「はい。ふつつか者ですが……これからよろしくお願いします。
お隣が優しそうな感じの方で良かった。
僕がいない時も安心ですね」

「あら……上手いわねぇ」


潤もおばちゃんも、楽しそうに笑い合う。


――調子イイ……

何で、そんな平然と嘘が吐けるのよ……
信じらんない……
同じ事を、昨日香織にも言ったんだ?

簡単なんだ、嘘吐く事なんて……


妙に、胃の中がぐるぐるとする。

あたし達の訳の分からない関係なんて、こんな風に適当に調子を合せておいた方が無難なのも分かるんだけど……

それでも、嫌悪感が込み上げる。

何で――……


「それにしても随分綺麗な顔だわね。
芸能人って言ってもおかしくないわよねぇ。
ほら、何って言ったっけ?今人気の……誰だかにちょっと似てるわよね?」


乗せられて、おばちゃんも気分が良いみたい。
いつもより饒舌だし。楽しそう。


「そんな事ないですよ。
それより、あんな大きなお子さんがいるとは思えないですよね。
お若くて綺麗だし。独身でも通りますよ」

「やぁだぁ〜。もう、ホント、上手いわぁ」

「ホントですよ。おばさん、じゃ、失礼だから、お名前教えて貰えます?
もしよければ」

「ええっ!?美津子だけど……」

「美津子さん。
今後、宜しくお願いしますね!」

「…ええ!こちらこそ!
葵ちゃん、こんな良い子で良かったわねぇ!」


おばちゃんは、嬉しそうにぽんぽんっと、あたしの肩を叩いた。


「……うん。そうだね」


あたしはそう、笑顔で答えてみせる。


だけど。
内心は苛立って仕方無かった。


――調子良過ぎる潤の態度に――……


何でよ。
何でこんなにイライラするのよ。
別にいいじゃない。
どんな態度だろうが、関係無いじゃない。

潤はただの同居人で。
あたしの恩人。
それ以上でもそれ以下でもない。


そんな気持ちをどうにか抑え込みながら笑顔を作り、潤と一緒におばちゃんを店先まで見送る。

少し離れたところで手を振るおばちゃんが、ようやく前を向き直して歩き出すと、潤はあたしの方を向いて、ニッと笑った。


「いい人そうだねー」

「……いい人だよ」

「敬太のお母さんかぁ」

「何で呼び捨て?」

「だって、アイツ生意気そうだし?」


……生意気は潤でしょ?


そう言いたいところを抑えておいた。

おばちゃんの事、『いい人』って思ったのはホントみたいだったし……


「アイツってさ……」

「何?」


潤は言い掛けた言葉をそこで区切り、「やっぱいいや」と笑いながら濁すと、店の中に先に入っていった。


アイツって、敬太の事だよね?
何だろう……?


そう思いながら、潤の後ろに付いてあたしも店の中に戻る。

一歩先を行く潤は、カウンターの辺りで、床に落ちている花を拾い上げた。
さっきブーケを作った時に落ちた花くず。


「コレ、何て花?」


その小さな花を掌に乗せてあたしに見せる。


「……ホワイトスター」


あたしが答えると、掌の上のそれを少し見つめてから、ふっと笑った。


「ホワイトスターか……。
ホント、白い星みてぇ」

「結婚のお祝いのブーケだったから入れたんだ。
花言葉が『信じ合う心』なの」

「信じ合う心……」


あたしの言葉に反芻するように呟いた潤の声。


その声に、ずきりと大きく胸が痛んだ。


……『信じ合う心』


何で、何で……
こんなに胸が痛くなるの……


きゅっと唇を噛み締める。

多分……今、酷い顔してる。
自分でも……分かる。


顔を逸らして俯いたのに。
それなのに、潤は心配そうに首を傾げて覗き込んできた。

上目遣いで、探るように。

伏せていた瞳を、数十センチ先の潤へゆっくり上げると、困惑したような表情を見せた。


「……ゴメン」


静寂の中に、潤の喉が小さく鳴った。


「……何で謝るのよ……」


目の前の瞳を、睨むように見つめた。
澄んだ茶色の瞳。


「……思い出させた」

「………」


何か大きな塊が喉元を圧迫してきた。
苦しい。
言葉が出ない。


『信じ合う心』って……何……?
あたしには、分かんないよ……。


「もう忘れろ。あんな奴」


そう言われた言葉と一緒に、潤の手があたしへと伸びて、引き寄せられた。

閉じ込められた腕の中は温かい。


なのに。
また胸が痛む。
ぎゅっと。大きな冷たい手で握り潰したように。


苦しくて、目を細める。

抱き締められた腕の隙間から、潤の掌の上にあったホワイトスターの花が、ふわりと床に落ちていったのが見えた。


―――あたしは……

何にこんなに胸を痛めてるの?

貴宏に裏切られた事?
それとも潤に吐かれた嘘?


――どっちなのかも。
――両方なのかも。

――何を信じていいのかも。


分からないよ……

 update : 2008.04.22