07

「本当に行くトコ無いの!?」

「いーかげんっ、しつこいな。無いって言ってるじゃん!」

「………」


とても人に頼み事をしている態度ではない潤の顔をちらりと横目で見てから、仕方なく玄関ドアに鍵を差し込んだ。

かちり。と。ロックが外れる音は何だか重たい気がする。
気のせいだろうか?

ここのところ本当に、不幸と言える要素を一つづつ増やしていっている気がする。
それも気のせいだろうか?


「入んないの?」


何となくドアが開けられずにいるあたしに、待ち切れないように催促する潤。


つーか。アンタんちじゃないんだから…いいじゃないの。ゆっくりだって。


そう言おうと思ったけど、止めた。
大人げないし。


「どうぞ」とドアを開けて、先に入る事を促すと、潤は嬉しそうに勢いよく入っていった。


「ただいまぁ」


て。
『ただいま』って、何!?
既にアンタんち!?
しかも靴、脱ぎ散らかしたまんまだし!


はぁ。と小さな溜息と一緒に、自然と頭も項垂れる。


「あーおーいー」


あたしの心情なんて関係無しみたいな明るい声で呼ばれる。

全く…。
何であたしが項垂れてるのか分かってないな。


「何よ」


半分は呆れて、玄関のドアを閉め、靴を脱ぎながら答える。


「早く来いって。
つーか。そんな世界中の不幸を背負い込んだみたいな顔してんなよ〜」


いやいや。だって。
ホントにそんな気がするんだけど。
最新の不幸はアナタがウチに一緒に住むことなんですけど?


面と向かって言葉には出せないから、仕方なく心の中だけで突っ込みを入れておく。

明後日の方向を向いた潤の靴を目線まで持ち上げて、顔の代わりにソレを軽く睨んでから揃えてタイルの上に置き直した。


「あ。
今。オレが一緒に住む事が不幸とか思っただろ?」


ぎくっ。

ちょっとコイツってば、読心術でも出来るんじゃないの?
それとも、あたしってばそんなに分かりやすい態度?


図星なだけに、視線を合わせず部屋へと上がった。


「オレと逢って良かった事だってあったろ〜?」

「良かった、事?」


眉間に眉を寄せ、結局、潤の方を見る。


「借金の返済だって遅れなかったし。
高級旅館に泊まって、美味い飯食ったし」

「まぁ…そうだけど」


確かに。
昨日の朝は返済に困ってたんだから。それは有難い…と思ってる。
でもそのおかげで一緒に住む羽目になってるんですけど……。


「それにさ〜」

「何?」

「年下のこーんなイイオトコと一緒に住めるなんて幸せだろー?」

「はあっ!?」


思わず変な声が出る。


自分で言うか!?イイオトコって!!
確かに顔は良い…と思うけど!!


「あのねっ!!そーゆーコト、自分で言う人はイイオトコから外れんのよっ!!
それに!車の中で約束した事、ちゃんと覚えてるの!?」

「覚えてるって〜」

「じゃあ、言ってみてよ」

「一つ、自分の事は自分でする。
一つ、家事の手伝いをする。
一つ、葵の部屋には絶対に入らない。
一つ、葵の言う事は何でもきく。
とにかく、この家では葵が絶対」


潤は一本ずつ指を折りながら淡々とした様子であたしに確認する。
そして言い終わると、大きな瞳を子犬のようにきらきらさせてにっこりと微笑んだ。


そう。
この笑顔にやられちゃったのよ。

きっと、常套手段なんだろうな。自分でも分かってるんだろう。
女の子がこの笑顔に弱いって。


―――『今日から葵んちに住んでいい?』

あの言葉を言われた後、勿論、あたしは「無理!」と思いっ切り否定した。

だって。いくら借金の事、助けてくれたって。
何処の馬の骨とも言えないようなオトコを住まわせるなんて、一人暮らしのあたしが簡単に承諾出来る訳がないし。

それでも、強引なのだ。このオトコ。
強引だけじゃない。口も上手いんだ。
その上、綺麗過ぎるこの顔で可愛く笑うんだよ?

『何でもするから!
葵の言う事何でもきくから!
家に置いてくれれば無償で店の手伝いもするし!』

『無理っっ!あたし女の一人暮らしなんだよ?
それなのに訳の分かんない男と一緒になんて住めるわけないでしょ!?』

『訳分かんなくないじゃん。昨日1日過ごしたんだし。
オレ達、何もない清い関係じゃん?
葵が手ぇ出して欲しいなら別だけど』

『んなワケないでしょっ!』

『じゃ、いいじゃん。それで。
行くとこも金もない困ってる人間を、葵は平気で見捨てるんだ?』

『見捨てるとか…そういう事、言うかな……』

『オレは葵の事、助けたじゃん?』

『それは…っ』

『絶〜っ対、約束事は守るから!!』

ずっと生意気っだ口調は、そんな時だけ甘えて媚びたものに変わっていた。
「ね?」と、拝むように手を合わせて首を傾げながら、如何にも年下の男らしく可愛く微笑むのよ。この綺麗な顔で。

そんな遣り取りを繰り返して――――

……結局、言いくるめられちゃったんだよね。情けない事に。

ホストみたいなモンとか言ってたけど、本当にそうだ。きっと。
じゃなきゃ、いとも簡単にあたしが受け入れてしまう筈が無い。
こんな得体の知れないオトコに……

だって。自分の事は全然話さないんだよ?
とにかく、色々事情があるから今は話せないって言うだけで。

だけど…まぁ、確かに……
何か犯罪とか犯したり、悪い事をするようなタイプには見えないけど。

一度了承しちゃったんだから、今更取り消せないし。
この際、腹をくくるしかないんだよね。もう。



「何かさ。葵んちって懐かしい感じがするな」


潤は物珍しそうに、部屋の中を大きな動作でぐるりと見回しながらそう言った。

16畳あるLDKに、襖で仕切られた6畳の和室。
最新と言えるもののない電化製品に、古びた家具。
壁に掛るカレンダーは、お店で年末に配った店名の入ったもの。
キャビネットのガラスの扉の中には、炭酸飲料のペットボトルを買った際のオマケのキャラクター指人形が並んでいたり。
ソファーの上のクッションは昔母がパッチワークで作ったもので、正直、あまり良い趣味とも言えない。

女の一人暮らしとは思えない、お洒落とは程遠い家。


…懐かしい、か。


「如何にも、普通の庶民の家でしょ?
親が生きていた時のままだから…。
だからそう感じるのかもね」

「オレ、好きだよ。こーゆー家。
温かい感じがして」


―――温かい家……?

ただの…普通の家族が住んでるような、家なのに……。

だけどあたしにとっては、この家はかけがいのないもの。
想い出のたくさん詰まった―――

そんな風に言われるのはくすぐったいって言うか……
何だか、妙な気持ちがする。
胸の奥の方の、自分じゃ絶対に届かない場所を小さく刺激したような感じ。


「………。
空いてる部屋、案内するよ」


何となく。
何となくなんだけど…。

あたしは潤の顔がまともに見れなくて、背を向けてそう言った。





我が家は広い家とも言えないけど、狭くはないと思う。
敷地は約45坪で、4LDKの間取り。
築12年で、然程古くもない。

昔は父方の祖父母も一緒に住んでいて、まだ健在だった時に家を建て直したからだ。
その祖父は7年前に大腸がんで他界している。
そしてその後を追うように、祖母も病気で亡くなった。


賑やかだった家は、とうとうあたし一人になってしまったんだ。
昔は狭ささえ感じていたのに、今はだだっ広く感じるだけの家。



「この部屋。ゲストに使ってた部屋だから、気にならないよね?
テレビとかないけど、あった方がやっぱりいい?
あった方がいいなら、父と母の部屋使ってもいいけど。どっちがいい?」


あたしは二階にある三部屋のうち、使用していない一部屋を潤に案内した。
隣は父と母が使用していた部屋。目の前はあたしの部屋。


「テレビ別に好きじゃねーし。全然。
つか、イイね、この部屋。日当たり良いし」


潤は開け放ったドアからするりと部屋の中に入り込み、辺りを見渡す。

家具と言えば、小さなチェストと折りたたみのテーブルがあるだけの部屋。
あとは納戸代わりにと、多少の荷物が置いてある。
白のレースカーテンから薄日が入り込んで明るいけど、ここ2日、窓を開けていないせいか、少し埃っぽさと湿気を感じる。


「軽く掃除機もかけなきゃね。
邪魔な物、どけようか?」


あたしはそう言って、床に放置されたまま何が入っているのかさえ忘れた紙袋を幾つか持ち上げた。

だけど手に掛っていた重さは、一瞬にして消え失せた。潤の手によって。

「持とうか?」とか。一言もなく、自分が持つのが当然のようにあたしから荷物を奪ったから。
あたしは一瞬だけ、固まってしまった。
何だか男っぽくて意外で。


「何処に運べばいい?」

「ああ…。じゃ…取りあえず、隣の父と母の部屋に…」


ハッとして、あたしは父と母の部屋を案内するように先に廊下に出た。


「隣、ね?」

「うん」

「その前に、手ぇ合わせていい?」

「え?」


手ぇ合わせていいって?


あたしは、その言葉にくるりと後ろを振り向いた。


「仏壇とか、無いの?
ちゃんと挨拶してからじゃないと、悪いかな、って」


ごく、当たり前のような口調で言う潤。
口元をほんの少し上げて、薄く微笑んでいる。


驚いて、ただあたしは顔を見上げた。

そんな気遣いなんて、持ち合わせていないんだろうとか思っていたし。
あたしにとって、結構その言葉は衝撃的だった。


「何、意外そうな顔してんの?
それくらい普通だろ?」

「え?あー、うん……」

「で。何処にあんの?仏壇」

「一階の、和室……」


そう答えると、潤はあたしを追い越して、先に歩き出した。

階段を降りる手前で手に持っていた紙袋を床に置き、あたしの方へと振り向きもせず、一段一段踏み板に足音を響かせていく。


そんな消えていく背中を見ながらあたしは思った。


結構コイツ、悪くない。

なんて。

 

 update : 2008.03.26