04
虹の郷では桜が見頃だった。
園内にあるしゃくなげの森では、早咲きのそのしゃくなげが、沢山の種類と色を揃えて花びらを開かせていた。
それぞれ少しずつ違った色のピンク、赤、白の色鮮やかな花の束が、細く続く道を山のように連ならせている。
広大な敷地には若い芝生が広がり、何所に目を添えても、絶えなく花の色が映り込む。
花だけではなく、新緑を迎えた木々が聳え立ち、小さな湖まであった。
日本風土が育てた伝統工芸の村、情緒と趣のある日本庭園。
そんな雰囲気とはがらりと変わった、お洒落な街並みの造りのイギリス村に、郊外の雄大さを思わせるカナダ村。
イギリス村とカナダ村を繋いでいるロムニー鉄道は、イギリス製らしく、本格的な15インチゲージ鉄道だ。
イングリッシュグリーンの車体から吐き出される白い煙を見て、潤は興奮していた。
「すっげ。ちっちゃいのに本物みたいじゃん?カッコイイな〜」
そう言って、目を輝かせてさっさと客車に乗り込む。
気が早いって言うか。何て言うか。子供だ、ホントに。
可愛いって言うか……こういうトコ。
とても22歳には見えないんだけど…。
思わず含み笑いをする。
「何だよ。マジでカッコ良くない?」
あたしが笑ったのを見て、ちょっと拗ねたような顔。
ふふっ。やっぱり子供だ、コイツ。
「そーだね」
そう言いながらあたしも客車に乗り込もうと足を上げた。
その瞬間。
ふわりと身体が浮いた。
えええっ!?
潤が両脇からあたしを抱え上げたからだ。
ちょっ…こんなのって恥ずかしいんだけど!!
信じらんないっ!!
そう思った時には足は客車の床に、とん。と着いていた。
「何っ、すんのっ?」
こんな事するなんて信じらんないよ。
大体あたし、もう25歳だよ?
疼くような奇妙な気持ちが込み上げて、思わず文句になる。
それなのに、潤は悪戯っ子のような顔で笑う。
「えー。なんとなく。やりたくなっただけー」
「なっ、何となくって何よ!?」
「何か、こーゆートコって特別じゃん?
こーゆーのしたくなんない?」
「ならないし!
あたしもういい大人なんだから!恥ずかしいよ!」
「照れんなよ」
「照れてるとかじゃないよ!」
「そう?」と、潤はけらけら笑いながら首を傾げる。
もう、ホントに信じられない……
そう思いながら、ようやく席に着く。
潤の隣。
狭い席は、腕も、足も、触れるくらい近くて。
さっきからのドキドキが余計に落ち着いてくれない。
やー…。もう、参った……
はぁ。と、小さく息を吐き、間近の潤をちらりと見た。
あたしのドキドキなんて関係無いように、潤はオープンな造りになっている客車の手すりに手を掛け、外を見ている。
だけどすぐに、あたしの視線に気が付いたのか、こちらを向いて言った。
「マジで。こんなところでこんな風に遊んだ事なんてないんだ、オレ」
―――遊んだ事、無い?
「何で?」と。そう、あたしが訊いた言葉は、出発の合図と、汽車が動き出す音に掻き消されて、潤の耳には届かなかったみたいだった。
潤はロムニー鉄道だけじゃなくて、とにかくずっと、大はしゃぎで。
本当に子供みたいに目を輝かせていて。
ここに来て良かったな、なんて心の底から思えた。
だけど、何で虹の郷?
確かに楽しいし、休日を満喫とか言ってたから、こういうところで遊びたかったのは分かるけど。
でも、わざわざ……って言うのには何だか不自然な気がする。
何か他にも理由があるんじゃない?
そうは思っても、潤は何も言わない。
ただ、ひたすら園の中の世界を、見て、触れて、楽しむだけ。
何か特別変わった行動もしない。
思い切り、身体中で。心底楽しんで遊ぶ潤のそんな姿を見ていると、あたしも同じように楽しめた。
朝、あんな風に悩んでいた事が嘘みたいに。
貴宏の事も、思い出す暇もないくらいだった。
飽きるまで一通り遊ぶと、潤は「次はバナナワニ園」へ行こうと言う。
バナナワニ園?
だから、何で?
やっぱり、ただ遊びたいだけ?
来た道をまた海の方へと戻り、熱川へと向かう。
やっぱり潤はここでも何も言わないし、何か変わった行動も取る訳じゃない。
ただ、ひたすら楽しむ事を考えて、遊ぶだけ。大興奮で。
ソフトクリームを3つもぺろりと平らげるし。ワニとマナティに大騒ぎしていた。
「子供だよね、潤は」
「なんだよ、3つしかかわんねーじゃん?」
「齢のことじゃないよ。精神年齢が、だよ」
海岸で、遊び疲れたあたし達は砂浜に寝転がった。
空は少しオレンジ色が掛かり始めている。
背中から感じる砂の温度は、ひやりとしている。
そこから地響きのように、身体からも波の振動と音が伝わってくる。
見上げている空は、まだ明るく輝いているけど、刻々と陽が沈むのを伝えるような色合いだ。
ふっと、濃い影が出来て、目に映っていた筈の空が、潤によって急に遮断された。
「ホントに、子供だと思ってんの?」
まるで組み敷かれたように上から覗き込まれる。
あまりにも予想外な事と、顔の近さに、大きく心臓が跳ねた。
口元は少しだけ上がっているけど、何だか目は真剣だし。
その上がった唇が、少し黄色っぽい陽に照らされていて艶っぽく光って、ドキドキさせられる。
「何、よ。急に」
怯んで弱いところを見せたら、それこそそのまま押し倒されそうな雰囲気で。
あたしは何でもない口振りで言った。
「お互い、もう大人だろ?」
「だから、何、それっ。
どいてよ、ソコ」
「ヤダ。子供とか言うからだろ?」
「何でよ、どいて!」
そう言ったのに。潤は関係無いように、あたしの髪に触れてきた。
柔らかく、優しく、あたしの長い髪を砂の粒と一緒に絡めるように梳いていく。
髪の先なんて、神経なんてない筈なのに。
その触れられた感触に、ぞくり。とする。
嫌な感触じゃなくて、心地良ささえ感じる、潤の指先。
そんな気持ちを振り切るように、あたしは潤を思い切り突き飛ばした。
「やめてよ!」
砂をはらはらと散らしながら急いで立ち上がる。
突き飛ばした相手をキッと睨みつけると、顔を伏せてうずくまっていた。
あれっ?
そのうずくまった背中が小刻みに震えてる。
「ちょっ…どうかした!?」
あたし、そんなに強く押しちゃった?
どこか痛かったの?
心配して声を掛けたのに。
暫くうずくまったままでいたかと思ったら、潤は急に起き上がって、笑い声を立て始めた。
「お…お前…っ。ウケるな〜。
ぜんっぜん、大人じゃないからその反応!
もっと上手く受け流せよ〜」
お腹抱えて笑ってる!!
震えてたのは笑ってたせい!?
信じられないっ!!
「ちょっ、ちょっとっ!!何で笑ってんのよっ!!」
「そんなんで、どうすんの?今日。一晩中一緒だっていうのに」
「えっ?」
何……?
今。一晩中って言った気が……
「ぶぶっ。
鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔って、まさにコレだな」
「なっ!失礼ね!」
確かに。今、口までぽかんと開けて、眉も寄って、不細工な顔だった気はするけど!
だからっ!笑い過ぎよ!
「一晩って、どういう意味?
夕御飯食べて、帰るんじゃないの?」
そう言いながら睨みつけると、ケラケラと楽しそうに笑っていた顔は、急に何かを企むような、そんな顔つきになってあたしを見る。
「んな訳ないっしょ?
1日って24時間あるの知ってるだろ?
て、事は〜、明日の朝までだろ?
まさか百万も貰っといて一緒に泊まれないとか言わないよな?大人だもんな?」
悪魔の様な微笑みで、あたしを間近で覗き込んできた。
それはそれは楽しそうというか。小動物を苛めて楽しむような。そんな感じで。
嘘でしょ?
二人きりでだよね、勿論。
大人だもんな、って…それって……
確かに百万も貰ってるけど……
「本気で泊まるの?」
「そうだよ。
オレ、部屋風呂付いてる旅館がいいや。
飯も美味いトコ」
「………」
「何、項垂れてんだよ、おねーさん。
宿捜すから携帯貸して」
「は?携帯?
自分のは?」
差し出された手を訝しく見つめる。
「ねーよ。だから貸してつってんの」
「無いって…携帯も持ってないの?何で?」
「失礼だな〜。世の中持ってない奴もいるんだよ。
いいから貸せよ」
「ん」と、出された手が更にあたしに近づいて、貸せと促される。
金持ちだって言ってたクセに。
全く、何が本当で何が嘘なのか、全然分かんないよ。
仕方なく携帯を差し出すと、潤はそれを受け取って即座に操作する。
持ってないって言う割には随分と慣れてない?
本当に良く分かんない、コイツ。
携帯を弄る潤を横目で見ながら待つと、暫くして「ここがいいや」と、あたしにディスプレイを見せてきた。
覗き込んだ画像には、旅館の映像と、値段の表示。
1泊、78000円……
「ちょっ…高過ぎない!?」
「何だよ?オレはココがいいんだよ。部屋付きの露天風呂もあるし。丁度空室有りになってるし。
金なら心配すんなよ、オレが払うから」
「払う…って……」
そんな高い旅館、泊まったことないよ!
ホント、何者よ?コイツ。
「いいから、いくぞ」
潤はそう言いながら、あたしの手を引いた。
ぎゅっと握られた手は、大きくて、温かくて。
あたしは言われたまま、手を引かれながら後ろを歩いた。