03
「どーすんの?」
大きな溜息を落とした潤は、呆れた声を出した。
シートに身体をだらんと寄り掛からせて。
如何にもどうにもならない状況を、何もせず傍観したいだけに見える。
あたしも今日の溜息の数をまたそこでひとつ増やした。
「JAF呼ぶしかないかなぁ……。
非会員だと高いんだよね……」
「んなコト言ってる場合かよ?
ガソリンくらいケチんないで入れとけっての」
「あのねっ!!あたしだってケチりたくないわよ!!
気付いたら無かったし!それにお金に困ってるのは本当だし!」
勢い余って、言った後に、はあ。と息も漏れた。
コイツってば、本当にムカつく!!
最初の笑顔に騙された!!
あたしだって好き好んでお金の心配する生活をしてる訳じゃない!
急激に目の上がきゅっとなった。
喉元を大きく何かが圧迫してきて、油断したら絶対に涙が零れるくらい。
下唇を噛み、涙を堪えて潤を睨みつけると、生意気そうな顔つきは急に歪んだ。
「……悪かった、よ」
その声が聞こえたかと思うと目の前で頭が下がって、潤の少し長めの髪が下に垂れた。
な、何よ…調子狂うわね…っ
謝っている様子は真剣で。
プライドが高そうなコイツの、そんな素直な姿に正直驚いた。
それに。
どっちかって言うと、悪いのはあたしの方なんだし。
「もう、いいよ。頭上げてよ。
JAF呼ぼう。お金は百万もあるんだから」
結局。本当にJAFを呼んだ。
結構来るのにも時間が掛るのかな、と思っていたのに。
到着までも、作業もあっと言う間で。
あたしは封筒の中から一万円札を2枚出して、作業員からお釣りを受け取った。
「ご苦労様でした」
そう言って頭を下げて、JAFの青いトラックが立ち去るのを二人で見送った。
トラックが小さくなって、ようやくあたしはホッとして、隣に立つ潤を見上げた。
あれ…
結構、背、大きいんだ?
車に乗ってたから気付かなかったけど……多分、180センチはあるよね?
165センチあるあたしでも、優に見上げる程。
それにやっぱり綺麗な顔だな、と。つくづく感じる横顔。
あたしが潤を見ているのに本人が気が付くと、ふっと、こちらに顔が向けられる。
そしてその顔は急にニヤッと、意味有り気に笑った。
「これでもう、逃げらんないな」
「は?」
逃げらんない?
何?それ。
「どういう意味?」
と、首を傾げると、潤はあたしの手の中の封筒を指さした。
「金。使っちゃったじゃん?
今更返すってのナシだから」
はぁっ?
「何言ってんのよ?それこそ今更でしょ?」
「ふーん。なら、良いけどね。
じゃ、さっさと行こうよ」
潤はそう言うと、すぐに背中を向けて車に先に乗り込んだ。
ホント、よく分かんないな、コイツって。
あたしもすぐに同じ様に車に乗り込むと、潤は「腹減った〜」と騒ぎ出す。
全く。
コドモか?
でも、考えてみれば、家からここまでの長い距離を運転して来たけど、お茶さえ口にしていない。
あたしだけじゃなく、コイツもだ。
朝早くから起きているんだから、お腹空いてるのは当たり前かも。
「どっかコンビニ寄って」
「ハイハイ」
そう軽く受け答えながら車を発車させる。
コンビニに寄るなら丁度良かったかも。
引き落としは明日、朝一だから、どこかで入金しておかなきゃならなかったし。
だけどこういう観光地って、コンビニとかって少ないんだな、と感じた。
走っても走っても、コンビニなんてなかなか出てこない。
いつもは都心にいるせいか、当たり前の利便性に気付かないのかもしれない。
ようやく店を見つけると、郊外ならではの広い駐車場へ車を停めた。
それなのに、車のエンジンを止めても、潤はシートに身体を凭せ掛けたままで、降りようとする気配を見せない。
「あれ?コンビニ着いたよ?降りないの?」
ドアを開けながら、隣で寛いだままの潤に声を掛ける。
「オレ、鮭と焼肉と明太子。あとお茶」
………
「は?」
「鮭と焼肉と明太子とお茶っつってんだろ?」
何だ、ソレ?
あたしにおにぎりとお茶を買って来いって命令してんの?
あんまりな態度に言葉も出ないで茫然と見つめると、キッと、その顔はこちらを向いた。
「早く行けよ。腹減ってんだって」
ム…ムカつく〜〜〜!!
その言葉に思わず眉間に皺が寄ると、分かってる様にあたしに意地悪くにやりと笑って見せた。
絶っ対、わざとだ!!絶っ対、楽しんでる!!
ホンっト!!ムカつくっ!!
何で生意気なんだ!ホントにコイツっ!!
「分かったわよ!!」とあたしもわざと力一杯車のドアを閉めて、コンビニへの入口へと向かった。
潤の注文の明太子のおにぎりは生憎売り切れで。
代わりに普通の焼きたらこのおにぎりにした。
「使えねーな」とでも、多分、また生意気な事を言われるんだろう。
ムカつくのを覚悟しながら、潤におにぎりとお茶の入った白いビニール袋を手渡した。
「明太子、無かったよ。代わりに焼きたらこにした」
言うなら言いなよっ。
何て言ってくる?
妙な期待感のような気持ちでいたのに、それを裏切るように、全く違った返答が返ってきた。
「いいよ。サンキュ」
あれっ?
何?その普通の反応?
どうしちゃったの?
『サンキュ』なんて。
あまりの落差みたいなものに、あたしはまた茫然と見つめてしまった。
そんなあたしの様子なんて関係ないように、潤はその焼きたらこのおにぎりをフィルムから取り出し、大きな口で海苔の巻かれた先端をかじり取った。
「うめ〜」
すっごい、美味しそうな顔。
たかだかコンビニのおにぎりなのに。
至高料理でも食べているかと錯覚させられるくらい、幸せそうな顔つき。
何なの?ホント、コイツ。
不覚にも。
そんな顔が可愛いとか、思ってしまう。
「何だよ?葵は食わないの?」
「た、食べるよっ」
慌ててあたしもビニール袋の中からおにぎりを取り出す。
潤と一緒に。同じように大きな口を開けて食べる。
何だか。
こんな潤の顔を見てたら、あたしまで物凄く美味しいモノを食べてる気さえしてくる。
不思議なヤツ。
ホントに。
生意気だし、口は悪いし、自分勝手な俺様だけど。
何だか最終的には憎めないようなヒト。
こんな怪しいお金も行動も。
受け入れてしまってる自分は、きっとこの潤の持つ独特なオーラのせいだ。
コンビニを後にして、更に南へと進んだ。
たった何十キロしか離れていない筈なのに。
海の色はもう全く違う。
透明度を増した海は、エメラルドグリーンという色名がぴったりな色合いで。
まるで、水の中にその色の絵具を溶かしたみたいに感じる程、美しい。
横浜の港のくすんだ海とは大違いだ。
伊東辺りで、見えてきた看板に、急に潤は大きな声を上げた。
「あ!ココ行きてぇ!!」
その大きな声に反応して、運転しながらあたしも潤の指の先にある看板を確認する。
――――『修善寺、虹の郷』
「行きたいって……。
だって、何処か行く場所あるんでしょ?」
「いいから、行って」
「ええっ!?」
何?その行き当たりばったりみたいのは?
目的があって来てるんでしょ?伊豆に。
何で!?
「分かったけど……」
そう答えて、ナビをセットするために車を左端に寄せる。
虹の郷。
初めて訊く名前。
ナビの地図で見ると『虹の郷』という場所は、その隣のカントリークラブと同じ緑色に塗られている。
カントリークラブよりも大きな敷地。
なんだろう?公園?
伊豆のイメージって言うと、海と温泉。
それ以外に何があるのかな?
考えてみれば、近県に住んでいるくせに、伊豆に来るのは初めてだ。
こんな時に車にナビが付いていて便利だと思った。
「ここって、何があるところなの?」
「確か…花とか、機車とか…あったと思う。
テーマパークっつーか、デッカイ公園かな?」
「公園?花?」
あたしがナビを操作しながらそう訊くと、会話が一旦止まって、潤はあたしの方を見た。
「…何?」
あたしも口を噤んだ潤をみつめ返す。
何だか不思議そうな顔つきをしてる。
「いや。葵って花屋だったんだよな、と思って。
やっぱ、花、好きなんだよな?」
「それは…まぁ……」
「もしかして、昔からの夢とか?
よく、小さな女の子とかさ、お菓子屋さんになりたい!とか、お花屋さんになりたい!って言うじゃん?
だから花屋になったとか?」
―――夢……?
そんなんじゃ、ない……
花は確かに好きだけど、花屋になりたい程好きでも何でもない。
あたしは、ただ……
きゅっと、心臓が痛んだ。
潤に言われて初めて気付く、中途半端な気持ち。
両親の夢を引き継ぎたくて、壊したくなくて。
ただそんな気持ちで始めた花屋。
だから…経営が上手くいかないのだって、当たり前なのかもしれない。
花を心から愛して、本当に花屋をやりたい訳じゃないんだから――――……
「色々…あたしにも事情があるのよ……」
あたしはそう答えて前を向き直し、言われた通りの虹の郷へ向かって車を発車させた。