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電話に出ないでやろうかとも思ったけれど、座談会の件についてだろうと思い直し、あたしは通話ボタンを嫌々押した。
わざと丁寧に「TWフードの葉山です」と応対したのに、そんなのは丸無視したように「うっす」と、軽い調子のあの声が返ってくる。
ほんっと、ムカつくヤツ!


『司会、やってやるよ』


いきなりその会話から始まるかな! 通じるけど、さ!
それに、やるよ、って、何でコイツってば、こんなに上から目線なのよっ。


そうは思うけれど、これは仕事なんだし司会をやってもらえるなら、そこは諦めろと自分に言い聞かせる。


「……ありがとうございます。よろしくお願いします」

『で? 何? フィードバックもするんだって? 明日から?』

「……そう、です」

『そーゆーの、早く言えよ。
色々教えてやったのに』

「……お忙しいかと思って」

『ま、いーよ。
とにかくさ、今すぐ下に降りて来いよ』


………。


えっ?
降りて来い?


「は?」

『ロビーんとこ。オレ、今、オマエの会社のすぐ近く』

「はああああっ? 何っ? 何で!」


仕事中なのも忘れて変な声が出た。
けれど拓馬は飄々と言った。


『いいから来い』


ぶちっとそこで電話は切れた。







アイツはいつも唐突だ。
こっちの気持ちや状況なんか考えず。

全くっ。
イライラするっ。


エレベーターから降りて、ロビーをきょろきょろと見回した。

どうやら、まだ来ていないようだ。

壁に向かって頭をだらりと下げ、溜め息を吐き出す。

相当アイツに振り回されてる気がする。

こんなの、あたしらしくない。


だらしがない姿だなと思い直し、背筋をしゃんと伸ばすと、背中から入り口の自動ドアが開く音がした。


「葉山」


聞きたくもない声が耳に入り、仕方なく振り返った。


「何か、久し振りだな」


拓馬はそう言って、にっこりと笑みを浮かべながら大股で近付いてきた。
あたしは腕を組みながら、目の前に到着したヤツを見上げる。


「何、この呼び出しって。
偶然に近くにいたわけ?」

「そ、偶然にも。
……と、言いたいとこだけど、残念」


何が残念なのさ、と眉を顰めると、顔の前に分厚い本が差し出された。
明るく鮮やかなコバルトブルーに、白と黒の文字が入っただけのシンプルな表紙。


「コレ……?」


本から拓馬へと、訊ねるように顔を見上げると、拓馬はニッと自慢げな笑顔を見せる。


「言ったろ。一番にやるって。まだ発売前。
今、印刷所に行って、もらってきた」

「拓馬の、この間書いてるって言ってた本?
もう出来たの?」

「そ。出来たてホヤホヤ」


と、押しつけられるようにして渡される。
何だか、不思議な、何とも言えない感動のようなものがあった。
しっかりとした装丁を施された重量感もあるこの本を、拓馬が書いたなんて。


「ちゃんと全部読めよ」

「分かってるってば」

「待ってるからな」

「……ハイハイ。感想ね」


不思議な感動から、一気にげんなりする。
帯に書かれた宣伝文句の中にあるいくつかの専門用語の意味がすでに分からないっていうのに、そんな意味不明の言葉だらけの内容を読破しなきゃならないなんて。
……ある意味、罰ゲームだ。

溜め息を吐き出しながら、その溜め息の諸悪の根源を胸に抱えた。

つい頭が垂れてしまったところに視線を感じて、すぐに顔を戻す。


「……何よ?」

「いや、別に……」


拓馬は口元に手の甲を当て、あたしから思い切り目を逸らした。
変なヤツっ。


「用って、これだけ?
あたし、仕事あるから戻るよ」


くるっと背中を向けてやると、


「そーいやさ。オマエ、ちゃんと相談くらいしろよ。
分かんねーことを、一人でやろうとすんな」


拓馬の言葉に、結局すぐに振り返る羽目になる。
あたしは眉を顰めた。


「何のこと?」

「IDとかパスワードとか、訊いてきたじゃん?」

「あー……それは……だから、別に、何でもないって、あのときも言ったでしょ」


ふーん、と、拓馬は唇の片側を上げ、顔を傾ける。


「見たよ」

「え?」

「掲示板。
な? Hさん?
オレって、オマエに遊ばれてるらしいじゃん?」

「ええっ!? どうしてっ!?
ちゃんと削除したんだけど! 何で拓馬が見てるのっ!?」


だって、オカシイ。
削除したのは、拓馬と電話してから10分経ったか経ってないかくらいだし、そんな短い時間で、urlもどんなサイトかも教えてないのに調べて見つけるなんて、いくらなんでも普通無理でしょ!


「キャッシュとか、アーカイブとか、知らねーの?」

「……は? アー……? 何?」


拓馬は、大袈裟なくらい大きな息をあたしに向かって吐き出す。


「ネットってさ、一度web上に公開すると、クローラーつのが……webページの情報を収集するプログラムなんだけど、それが周期的に回ってきて、勝手に保存されちゃうんだよ。
だから、サイトのファイルを全部削除しても、保存されちゃったモンは閲覧できるんだよ」

「嘘でしょ……?」


さあっと、血の気が引く。
あんな目にあってまで、消したのに……!


「嘘も何も。現にオレ、その掲示板、探し出して見たし」

「それっ! どうやったら消せるのっ!?」


思わず、拓馬の胸元のシャツを引っ掴んで引っ張った。

拓馬はクッと、面白いものをみたような顔で笑う。


「すっげー顔」

「ちょっとっ! そんなこと言ってる場合っ!?
言っとくけど、アンタのことも好き勝手書かれてるんだからねっ!
見たなら知ってるでしょっ!?」

「もう消した」

「え?」

「だから、詰めが甘い、っつーの。オマエは。
削除依頼出したんだよ。管理人じゃないけど、オレの名前も挙がってたし、一応そっち系に詳しい弁護士を立てて。
つーか、ちゃんと相談しろよ。オマエ一人でどうにかやったつもりかもしれねーけど、誰でも閲覧出来るところに残ってたら意味ねーだろ」


拓馬はそっと胸元のあたしの手を掴み、そこから外した。
あたしはその手の中から、自分の手をさっと引き抜く。


「だって……! そんなの知らないし!」

「だから、中途半端だっつーの」

「そっちこそ……どうやって、見つけたのよ……?
あたし、どんなサイトかとか、アドレスとかも、何も教えなかったのに……」

「だからぁ、オレが誰だと思ってんの?
そういう情報集めるのは、得意中の得意だっつーの」

「威張らないでよ」

「まぁ、安心しろよ。
もう大丈夫だろ」

「ありが……」

とう、と言ったところで、拓馬の声がそれと重なった。


「別に、礼とか、言わなくていいし。
ただオレが許せなかったんだよ」


オマエのことをあんな風に言われるのが、と。


拓馬はそこだけ少しトーンを落として言った。
顔は、微妙に赤らんでいるように見える。


あたしの……?


さっきの、中田さんとの電話を思い出した。

――『だから、時間を縫ってでも……』


あたしの……ため?

まさか――。

ううん、まさか、じゃ、ない。きっと。


「ねぇ、拓馬……」


そう声をかけたときに、拓馬は入り口の方に目が固まったような表情をした。
少し、驚いたような顔。
あたしも言葉が止まったまま、思わず拓馬の視線の方を見た。

ちょうど、入り口の自動ドアが左右に開かれ、外から数人固まって入ってきた。
いかにも偉そうで貫禄と威厳のある爺さん……もとい、男性に、数人若い社員が従事しているように見える。


誰?


そう思った次の瞬間には、スーツを着た数人の男性の中に紛れて、一番向こう側の端に彼女を見つけた。
彼女――悠里さん。


どうして彼女がココに?


悠里さんは、こちらを向いたかと思うと、驚いた表情をして足を止めた。


「葉山さん……」


彼女から呟くように漏れたあたしの名前に、男性陣の足もぴたりと止まった。

拓馬は合図するようにあたしの腰あたりをぽんと軽く叩き、その小団体の方に向かった。
あたしは、その一歩後ろを付いた。

いかにも上役といった真ん中に構えた男性は、すぐ目の前に立ってみると、思ったよりも背が高くないと思った。
拓馬はその人に向かって、深々と頭を下げた。
あたしもつられたように一緒に頭を下げると、隣で拓馬が言った。


「ご無沙汰しております、秋山副会長」


秋山!?
この人が!?


ぱっと、悠里さんの方を見ると、バツが悪そうに俯いている。


「佐藤君、久し振りだな。
まさかここで会えるとは」

「はい。ちょうど打ち合わせがありまして。
副会長、お元気そうでなによりです」


にっこりと営業スマイルを出す拓馬に、副会長は言葉を返さず、無表情のまま今度はあたしを見た。
鋭い二つの眼球が、容赦なくじっとりと値踏みするように見つめてくる。
目が、逸らせない。

嫌だな、と思うと、副会長は表情を変えずに言った。


「君か、葉山というのは」


――は?


「話がある」


高圧的な態度で、秋山 修一郎はあたしにそう言った。

 

update : 2010.10.18