30

――なんだ。
思ってたのとは違って、凄く紳士じゃん。


エロオヤジを想像していたけれど、平和商事の社長の小柴さんは、30代後半と言ったところだろうか。
見た目も若々しくて、背も高く爽やか。

わざわざ本社の人間をここまで呼び出すほどなんだから、噂にプラスしてどんな高慢なヤツなのかと思っていたけれど、実際は仕事に熱心な人物に見える。

普通に考えたら、女には不自由しないと思う。
仕事も出来てお金のある若社長ならば、女のほうが寄ってくるだろうし。
強引だけど、合意って――その意味も分かる気がする。

接待の場所も、老舗ホテルの高級なフレンチが用意されていて、ハッキリ言って驚いた。
どうやら、小柴社長のお気に入りのお店らしい。
まぁ、もちろん、福岡支店の水沢さんが知っていて用意したんだけど。
雰囲気も良くて落ち着いたこのレストランで、下世話な会話なんてまずないだろうし。
水沢さんも同席しているんだし、そんなに気張らなくても大丈夫だったのかもしれない。



「……ですので、平和商事さんにご負担頂くのは、調査費のみなんです。
調査員の飲食代やその他の諸経費については、ウチの方の負担になります」


あたしは食事の邪魔にならないように、手元の資料を一通り説明した。
水沢さんも同じような内容を説明しているはずだから、より分かりやすく、メリットや調査の意味や意図をまとめてきたつもりだ。

小柴社長は、うーん、と唸って、資料から目を上げる。


「調査代、思っていたよりも高いからねぇ。
ウチみたいに店舗数が多いと、結構な金額になりますから。
もともと売り上げも良いですし、そこまで経費をかけてやることなのか、と」

「内部の人間からは気付けない何かを引き出すためです。
こういう機会はなかなかないですし、データーやランクも出ますから他店との比較も明確に分かりますし、自店舗を見直す良い機会だと思うんです。
ここで、良い所を更に強化し、悪い所を改善して、満足度の高い店舗にするチャンスですよ」

「もちろん、いいとは思ってるんだけど」

「調査は来週から始まります。
是非、参加して下さい」

「全容はよく理解できたので、再度検討して、明後日までには返答するようにします」


小柴社長は、そこで話を切るように言った。


ここまできて、まだ悩むのか……。
もう、調査開始は目前なのに。
何のために、あたしをここまで呼びつけたのよ。
参加の意向があるからでしょ?

――じゃあ、何で「うん」って言わないの?

あたしの説明が、悪い?
今回のプロジェクトに魅力を感じさせられない?
その金額を払うだけのメリットを、見出させることが出来てない?

考えてみたら、こうやって仕事で交渉すること自体が、あたしは素人なんだ……。
どうやったら、うん、って言わせられるの……?


目の前の資料をまとめながら、その白い色を睨む。


――『ただ、頭の良い子じゃ駄目なんだよ。可愛いだけでも駄目だ。
オトコを狂わせるくらいの妖艶さ――。
それに、馬鹿な振りも、頭の良い振りも出来る子じゃないとね』


ふ、と。思い出した。韮崎さんの言葉――。

そうだ、駄目だ。こんなやり方。
あたしは、あたしの出来るやり方を。
あたしらしい方法を採ればいい。
相手が噂通りなら、尚更。
エロオヤジじゃない、なんて、安心してる場合じゃない。


あたしは資料をバッグにしまうと、テーブルのワインクーラーから赤を抜き取った。


「固いお話は、少し休憩しましょうか?
せっかくですから、美味しいワインと料理を堪能しましょう。
このワイン、店舗のお薦めなんです」


にっこりと、得意の笑顔を取り出した。

「そうですね」と、水沢さんも重い雰囲気から一転して、明るく同調する。
まだ半分以上残る小柴社長のグラスに、あたしは手に持つワインを注いだ。


「私、驚きました。
平和商事と言ったら、九州では大きくて、その上、どの店舗も売り上げが良いでしょう?
その社長が、小柴社長のようなお若くて素敵な方だったので」

「お上手ですね、葉山さんは」


どうも、と小柴社長はグラスを手に取り傾け、苦笑いをする。
けれど、まんざらでもなさそうだ。


「いいえ、本当に。
……あっ」


あたしはわざとフォークを床に落とした。
こんな高級な店で、自分で拾う必要もない。
けれど店員が気付く前に、これまたあたしはわざと立ち上がり、屈んでそれを拾い上げる。

屈んだ瞬間、フレアースカートの裾はふわりと少し持ち上がり、そこからしなやかなラインを描く足が覗く。
ブラウスの開きから見える胸元は、強調させるような角度で。
自分の長所も魅力も、十分理解しているつもりだ。

視線を感じる。

あたしはそれを分かっていて、ゆっくりと身体を起こす。
大きく瞬きをして、小柴社長と目を合わせた。


「失礼致しました」


身体より少し斜めにお辞儀し、上目遣いで微笑んで見せる。
そうしてから、気が付いて駆けつけた店員に拾ったフォークを手渡した。


――確実に、小柴社長の顔つきが変わった。
これからだ。

女にだらしない男なら、逆に引っ掛かればいい。
こっちから、仕掛けてやる。
危ない橋かもしれないけど、このままよりはずっといい。


とにかく、飲ませて持ち上げて、気分を良くさせる。
それでも、泥酔させたいわけじゃない。
アルコールはあくまでも、気分を良くさせる小道具に過ぎない。


杯を重ねるごとに、小柴社長は饒舌になっていった。
ゴルフのスコアの話や、ご自慢の車の話等、その都度楽しくもないのに賛辞して盛り立てる。
大分、気が緩んできたのも窺える。


「葉山さんは、彼氏、いるの?」


ふと、会話が途切れた途端、小柴社長が振ってきた。

きたな、と思う。
それに、さっきから、あたしへのワインの勧め方も執拗。
酔わせようとしてるんだろうけど。

あたしは、はにかんで答える。


「いたらいいんですけど」

「葉山さんほど可愛い子が、彼氏いないの?」

「最近、振られたばかりなんです」


ほんの少しだけ、苦さも混ぜて笑ってみせる。

こうして隙を作ってあげる。
寂しいから落としやすいフリーの女だと思うのよね。
落とせるかと期待を持つと、普通より甘く優しくなってくれる。


「……そうなんだ?
いや、葉山さんみたいな子を振るなんて信じられないなぁ」


ねぇ? と、小柴社長は水沢さんに同意を求め、本当に、と二人で盛り上がる。


「僕だったら、凄く大事にして、何でも買ってあげちゃうけど」


小柴社長は冗談交じりに、でも視線にはそれとなく熱を込めてくる。
まぁまぁ良い反応だ。

謙遜しつつ遠回しな口説き文句をスルーし、談笑を続けていると、空になったメインディッシュの皿がテーブルから片付けられた。
あとはもう、デザートとコーヒーを残すだけだ。


……そろそろ、本格的にたたみかけなきゃ。
ココまで来た意味がなくなる。


あたしは見上げるように、くるっと店の中に視線を這わせて言った。


「それにしても、ここのお店、凄く美味しくて落ち着いていて素敵ですね。
水沢さんのセレクトですか?」

「いえ、僕じゃなくて、小柴社長がお好きなんですよね。
それでここにしたんです」

「小柴社長の?
やっぱり、こういうセンスがいいんですね」


顔の少し下で指先を合わせ、微笑む。

小柴社長は、嬉しそうにあたしに笑みを見せた。


「いやぁ。
でも、葉山さんが同じように気に入ってくれたなら嬉しいですよ」

「小柴社長のお店も、同じチェーン店とは言えど、他店と違ってやっぱりセンスがいいんでしょうね。
私、明日、お店の視察に伺おうと思っているんです」

「ああ、それなら、私がご案内しますよ」


そう来ると思った。
だけど明日も会うなんて、しかも二人きりなんて、危ないことをするわけないでしょ。


「ありがとうございます。
でも、小柴社長が一緒ですと、すぐに私が関係者だとバレてしまいますから。
お客の一人として、全国でもトップクラスを誇るお店を見てみたいんです」

「葉山さんも、店舗の調査とか……するんですか?」

「いいえ。
調査に関しては、プロの調査員のほうが確実です。私は結局は、会社側の人間ですから、見方が甘くなります。
いくら売り上げが良いと言っても、パーフェクトなお店というのはないんです。
時間帯や客層によっても、対応は変わってくると思いますし、経営側と店舗側、お客様側とはまた違った見解があると思うんです。
お客様のニーズに応えられるお店になるためには、お客様の視点が必要なんです」


あたしは「それに」と、付け足す。


「今回の調査には、M&Sの佐藤社長自らが報告書に従事します。
彼自身、調査した店舗の売り上げアップを絶対させると豪語してますから」

「M&Sの佐藤社長が……?」


喰い付いた……!


小柴社長は椅子の背凭れから背を浮かせ、興味深げに身を乗り出した。
水沢さんも驚いた顔をしている。


こう、他の人の反応を見ても――拓馬って、やっぱり凄いんだ。
それだけ影響のある人なんだな……悔しいけど。

本当にアイツがわざわざ一店舗ずつ携わるかなんて、半分は口から出まかせだけど。

でも、アイツは、あたしに言った。
調査した店舗が必ず業績伸びるようにしてやる、って。
絶対に成功させてやる、って――。

それは、きっと、本気だ。
自分の顔を潰すようなことはしない、っていうことも。

第一、仕事にはきちんと熱意を持っているみたいだし。


「佐藤社長自ら従事するのは、今回だけかもしれません。
初回調査ということもあって、力を入れているんです。
店舗の改善をして、調査店舗の売り上げがアップ出来れば、全体の士気も上がります。
平和商事はモデル店舗となって欲しいので、ウチとしては是非参加してもらいたいんです」


あたしはそう言い切ると、真剣な目で小柴社長をみつめた。

口元に手の甲を当て、黙って考えたようにあたしの目を覗き込んでいた小柴社長は、急に声を上げて笑い出した。


「葉山さんには、かなわないなぁ」


そして、笑いを収めると、まっすぐにあたしをみつめた。


「分かりました。参加します。
この返事をもらいに、わざわざ東京から来たんでしょうし。
よろしくお願いします」


――やっ……た!
ついに、言わせた!


あたしは小柴社長に向かって、勢いよく頭を下げた。


「ありがとうございます!
調査は迫っているので、すぐに手配させます」






参加が決まってしまったら、あとの時間は早いものだった。
嬉しくて、デザートの三種のケーキは、ほっぺたが落ちそうなほど美味しく感じた。

だけど、この後も最後まで気を抜けない。
噂通りの人なら、ここで隙を見て誘ってくるのは間違いないだろうから。
こっちに関しては、どう切り抜けるかこれからなのだから。


「本日はありがとうございました。
今後ともよろしくお願い致します」


レストランを出てロビーで、あたしと水沢さんは小柴社長に深々と礼をした。
彼もまた、同じように返してくる。

あたしは一度ちらりと水沢さんを見てから、小柴社長に言った。


「小柴社長、水沢がタクシーでご自宅までお送りします。
大分、ワインを飲まれていたようなので、帰りが心配ですから」


これで家まで水沢さんが見張っていてくれれば安心。
誘ってくる暇もないでしょ?


水沢さんは、聞いてないよ、とでもいう風に顔を顰めたけれど、それくらいやってもらわないと、あたしとしては割が合わない。

そんな水沢さんににっこりと微笑んでみせると、彼はあたしに苦笑いを見せてから「お送りします」と小柴社長に言った。
どうやら意図は伝わってくれたようだ。


「ひとりで大丈夫ですよ」


当然、小柴社長からはそんな返答が返ってくる。
だけど、一緒に帰ってくれないと困るのよ。


「いいえ! 本日は本当にありがとうございました。
タクシー代くらい、持たせて下さい」 

「困るよ」

「私も困ります!
こんな遅くまでお付き合い頂いたんですから!」


大袈裟に言って、ホテルの入り口へと促す。
水沢さんも、調子良く小柴社長に一緒に勧めてくれる。
小さな舌打ちが聞こえた気がしたけれど、気にもならない。


ホテル前に停まっているタクシーまで見送った。
もちろん、しっかりと車が走り去るところまで見届ける。

見えなくなると、ようやくうんと言わせられたからなのか、気が張っていたせいなのか、あたしは安堵ともつかぬ大きな息を零した。


電話……しなくちゃ。

決まったこと。
韮崎さんにも、拓馬にも。


ひゅうっと、風が吹きつけた。
秋の夜風は冷たい。
昼間福岡に着いたときは、暑かったのに。

あたしは鳥肌の立った腕を擦り、取りあえずホテルの中に戻った。
隅の方で壁に寄りかかり、バッグから携帯電話を取り出す。
そして、店内では切ってあった電源を入れた。

電源が入る音が鳴って、ディスプレイの画面が光る。
電話帳を開いて――。
なのに、そこから指が動かなくなってしまった。

真っ先に、韮崎さんに報告したいのに――したくない。


だって、たとえ仕事とは関係していなくても、あんなことを言われて。
今、何でもない振りで話すのは、辛いよ……。


携帯を握りしめ、いっそのことメールで報告しようかと悩む。
動かないままただ画面を見つめていると、そのうちに光がすうっと消え失せる。


「葉山さん」


いきなり呼ばれて、ぎくっとした。

あたしはゆっくりと声の方へ顔を上げた。
もう、とっくに帰ったかと思ったのに。


「小柴社長、お帰りになったんじゃなかったんですか?
水沢は――?」

「ああ、ちょっと忘れ物をしてね。取りに戻って来たんだ。
水沢さんにはそのまま帰ってもらったよ。
僕だけタクシーを降りたんだ」


そのまま帰った!?
何よ、それ!
水沢さん、全然分かってないじゃない!


そう思っても、どうにもならない。
あたしは携帯を閉じ、壁際から身体を離すと、仕方なしに笑顔を作る。


「そうだったんでしたか。
忘れ物、見つかりましたか?」

「見つかったよ」


にっこりと微笑みながら言ったその言葉と同時に、掌が掴まれた。
ふわふわと擦るように、柔らかく握られる。
それだけで、やっぱりこの男はこういうのに慣れてる、と思う。


「この上にあるバーの景色が凄くいいんだよ。
福岡初めてなんでしょ? 是非見せたいなぁ、って思って」

「あの、あたし、まだ仕事が残ってるんです」

「まだ、仕事だよ?
上でもっと具体的な話をしたいんだ」

「じゃあ、水沢を、もう一度――」

「水沢さんじゃなくて、葉山さんと話がしたいんだよ」


掴まれたままの腕に力が入って、熱のこもった目があたしを見た。


「その意味、分かるよね?」


分からないでか! あほっ!
公私混同するなんて、最っ低!
どうせ、上の階に部屋をとってあるとかのパターンでしょ!


そうは思っても、そんなことが言えるはずもない。
大体、思わせ振りな態度をとったのは、あたしなんだし。

それにしても、やっぱり噂は本当だったんだ、と思う。
水沢さんを上手く先に帰らせたのも、そのため。
こうやって、このあとは飲ませて、良い雰囲気にさせて、合意……って、ことだろう。


どう逃れようかと、思案を巡らせる。
仕事で、と名目上でも言っているのに、むげな態度を取るわけにもいかない。
逆にもっとセクハラまがいだったら、ハッキリ断りやすいのに。
微妙なラインをついてくるなんて、ズルイ男。


「……小柴社長、やっぱり随分と酔ってらっしゃいますね。
きちんとした状態でお話ししましょう。
今日はもう遅いですし、明日にでも御社のほうに伺います」

「酔ってないよ」

「申し訳ありませんが、このあとすぐに社と調査会社に連絡を入れないとならないんです」

「それなら、水沢さんがさっき連絡入れてたよ。
どのみち、この時間から調査の手配とか、無理でしょう?」

「それは――」


言い淀むと、腕から手が離れて、それが後ろからがっちりと肩に回された。
ぐいぐいと強引に歩かせられる。


「ちょ……っ! 小柴社長っ!」

「さあ、行こう」

「困りますっ!」

「仕事の話って、言ってるでしょう?
変な風に取らないでほしいなぁ」


今度は前から腰にも手が回され、身体を抱えられたようになる。
まるで、逃げ出せないように。
ぞっと、背筋に悪寒が走った。


その意味分かるよね、って言ったくせに、そんな風に仕事を持ち出すなんて!
仕事で、って――ここで怒ったりしたら、やっぱりさっきの話はナシとか言う気じゃないでしょうね?
コイツ、あたしが断れない立場だと分かっててやってる。


確かに、女を武器にもしたけど――。
あたしがココに来たのは、そのためなんだろうけど――。

そう――韮崎さんが、あたし一人で行かせたのは。
分かってたけど――。

だけど、嫌!
嫌だ!


もう、どうしたらいいのかも分からなくなって、怒りよりも泣きたくなる。
思わず声が漏れそうになったとき、


「葉山!」


と、後ろから大きな声が聞こえた。

 

update : 2009.10.01