23
ワイパーの音がうるさい。
雨を押し退ける耳障りな音を、さっきからずっと目の前で止まらずに立てている。
あたしのイライラも、そのお陰で倍くらいに膨らんでいると思う。
明治通りを原宿方面へと、行き先も何も告げずに拓馬は車を走らせている。
これから一体、どこに行く気なのだろう。
それに、コイツってば、ホントに何がしたいの?
あたしが相変わらずビクビクしているのを、楽しんでるだけ?
そう思うと車は赤信号で止まり、車に乗り込んでからずっと黙ったきりだった拓馬が口を開いた。
「家、どこ?」
「はぁ?」
「だからー、家。オマエんち」
「ウチ? 何で教えなきゃなんないのよ」
あたしの言葉に拓馬はちらりとこちらを見てから、聞こえよがしに大袈裟な溜め息をついた。
「送ってやるんじゃん。
大体、こんなにびしょ濡れでどこ行くつもりだよ?」
「え、だって」
「じゃ、ホテルでも行って温まる?」
「なっ……!」
「行きたくないなら、早く言えば?」
……このっ!
「桜新町よっ」
「さっさと言えばいいのに。
素直に送ってやるのにさ」
そう思えないから言わなかったんじゃない!
家の場所なんか知ったら、付きまとわれそうな気がして怖い。
ただでさえ、韮崎さんと家だって近いっていうのに。
「駅までで、いいからね」
「濡れるじゃん?」
「どうせもう、濡れてます」
「送る、って言ってるじゃん」
「いい、って言ってるじゃん」
「いいから言う通りにしろよ」
「………」
はぁ、と、窓ガラスに向かって、今度はあたしが聞こえよがしに溜め息を零す。
雨は止む気配を感じさせず、強く叩きつけてくる。
「変わらず、辛気臭ぇ女だな」
「……悪かったわね」
そんな風に思うのは、昔のあたししか知らないからじゃない。
今のあたしの友達は、辛気臭いなんてきっと思わないはず。
昔のイメージが払拭出来ないのは、あたしも同じだけど。
でも、大人になってまでコイツはこんな調子とは、呆れて物も言えないくらいだ。
それにしては……。
国産車のワンボックスカーなんて、何となく、イメージじゃない、と思う。
コイツのイメージって、BMWとか、アウディとか……もしくはレクサスとか。
国産車なら、もっとスポーティなイメージ。
そんな違和感から妙な興味が湧いてしまい、思わず車内を見回した。
後ろの窓ガラスには、カーテンが引けるようになっていて。
段ボール箱や、資料か何かの紙の束やパソコンが、広いはずの後部座席を占領している。
今のままじゃあ、運転席と助手席しか人は座れなさそうだ。
「……何?」
拓馬が怪訝な声を上げ、あたしは目の位置を前へと戻した。
「え、ああ、何か、色々物がいっぱいだな、って」
「全国津々浦々、本州は車で移動することも多いからさ。
つい、物が増えちゃうんだよ」
「車で?」
「飛行機とか新幹線も使うけど、一日に何件も店回ったり、打ち合わせやフィードバックがある場合とか、車の方がいいことも多いんだ」
「ふぅん」
「基本、一人が多いけど、スタッフが一緒のときもあるし。
こういうデカイ車が便利。
長距離移動で疲れたら、途中で休んで寝転がれるし」
「だからワンボックスなんだ。
何となく、イメージじゃなかったから」
「イメージ?」
高い声で訊き返される。
「高ーい外車とか、乗り回してそうって言うか……」
素直に答えてやったのに、拓馬はくっくと笑った。
「何だよ、それ」
意地悪な――じゃ、なくて。
あまりにも子供っぽい笑い方に、どきっとした。
だから今度はわざと嫌みで答えてやる。
「何か、若い社長とかって、高飛車なイメージ」
「ばーか。つーか、オマエが付き合ったそーゆー男達がそうだっただけだろー?
どうせ、さっきの男だって、高級車乗り回してたんだろ?」
「さあねっ」
「オレ、別に会社やってるからって、金が欲しいとか、地位名声が欲しいとか、そーゆーんじゃないし」
あれ? 違うの?
「……じゃあ、何で?」
拓馬は、一度言葉を詰めたように、あたしを見て苦笑いした。
「今の仕事が好きだからやってる。
だってさ、自分の手で店や会社を変えられるって、凄いと思わないか?
結果が出ただけ、充実感が漲るんだ」
……あ。
韮崎さんと、同じようなコト、言ってる。
て――。
何――あたし、コイツと普通に喋ってるの!?
自分で自分が信じられない!
ムカムカも、恐怖心からくる緊張も、いつの間にかなくなっていることにも気が付く。
そんな自分に嫌悪感が湧いて、拓馬から顔を逸らし、窓の外を見た。
雨はまた、少し強まった気がする。
目の前に出来る大きな丸い模様は、視界の邪魔をしてくる。
それからは、会話はなかった。
拓馬はずっと、黙って前を向いていた。
あたしもずっと、黙ってサイドガラスを見ていた。
ボディを叩きつけて響く雨音。
街の雑音。
濡れたアスファルトの上を走る水音。
静かなエンジン音。
その中に混ざって、すぐ隣から拓馬から発する微かな音がする。
たまに漏れる息や、ハンドルを握り直す音、シートが軋む音。
落ち着くはずがなかった。
どれもこれも耳障りで仕方なくて。
とにかく、一分一秒でも早く家に着いて欲しかった。
こんなに狭い空間で、拓馬と二人きりなんて――。
「あの茶色のマンションだから」
フロントガラスの向こう側に、見慣れた茶色い建物を指差した。
ようやくゴールが見えたせいか、そこからマンションまでは本当にあっと言う間に感じた。
「そこ?」
「そう」
答えて数秒後、車が路肩に寄り停車した。
拓馬がサイドブレーキを引いた途端、あたしはさっとドアを開けた。
外に足を下ろした途端、ホッと息を吐く。
「ありがとう」
強引に乗せられたのに、お礼を言うのは不本意だけど、仕方がない。
拓馬は何も言わずに、首だけ少し傾げて、そこからあたしを見上げてきた。
どうしてもコイツの場合、何か企んでいるようにしか見えなくて怖い。
さっさと帰ろ!
「じゃあ、また仕事でね!」
にっこり笑みを作って、ドアを閉めた。
これでもう本当に大丈夫。
さっきは脅したくせに、素直に車を降ろしてくれたことには感謝。
――と、思った瞬間、エンジン音が切れた。
まさか、の次には、拓馬が車から降りてくる。
あたしは条件反射のように、走り出した。
マンションの入り口の、オートロック解除に指を滑らせる。
だけど、こういうときに限ってボタンの反応が鈍く感じる。
どうにかガラスの扉が開かれ、その先に踏み入れようとしたところで、後ろから腕を掴まれた。
「何、逃げようとしてんの?」
「別に……っ、そんなんじゃ」
「逃げてんじゃん」
「て、ゆーか! ついてこないでよ!
送るだけって言ったでしょ!?」
「そんなこと言ったっけ?」
ニイッと、楽しそうに、拓馬が唇の両端を上げた。
あたしは逆に、さあっと血の気が引く。
「まさか、家に来るとか、言わないよね?」
「まさか、オレにこのまま帰れとは言わないよな?
オマエのせいで、びしょ濡れなのに」
「オマエのせいって……!
オトコを部屋になんか上げるはずないでしょ!」
「へぇー。葉山にとって、オレってオトコに見えるんだ? ふぅーん」
「……そ、んなんじゃ、ないけどっ!」
「何か、して欲しいわけ?」
「だから! 違うってば!」
「じゃ、シャワーとタオル貸して」
「は!?」
平然と言ってのけた言葉に、一瞬、何を言ったんだと、眉を顰めてヤツを見上げる。
けれど、拓馬は全くもって澄ました顔つきだ。
「乾燥機ある?
なければアイロンだけでもいいよ。
オレ、実はこれから接待があるんだ」
「はああっ!?」
何を言ってんの、コイツ!
信じらんないっ!
「ほら、早く入ろうぜ」
呆気に取られている間に、開きっ放しの自動ドアから、強引にマンション内に押し込められた。
そして、掴まれたままの腕は前に引かれ、今度はエレベーターに乗せられる。
入ろうも何も、あたしの家なんだけど!
「何階?」
「だからっ! 何で部屋にあげなきゃならないのよ!」
「言ってんだろ? オレ、これから接待なの。
このままで行けるわけねーだろ?
つーか、オマエに、選択権って、アリ?」
「は――?」
「来月、大阪である講演会に、東和重工の社長も出るんだよなぁ」
にやりと意味を含んで唇を上げ、拓馬は鼻先が触れそうなほど間近であたしを覗き込んでくる。
「――っ!」
コイツ――!