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佐藤 拓馬は、小学校のときの同級生だ。

あたしは当時、神奈川県の葉山町に住んでいた。
あたしの名字と同じ名前の、市にもなれない小さな町。

葉山と聞くと、ほとんどの人のイメージでは『都心に程近い、自然に恵まれたオシャレな高級リゾート地』というものらしい。
美しい穏やかな海と小高い山に囲まれた、御用邸も聳える御屋敷街。
格式高い老舗の店の宝庫。

だけどあたしから言わせてもらうと、ハッキリ言ってただの片田舎だ。
本当に、山と海しかない、田舎。
電車に乗るためには、30分かけてバスに乗って行かなきゃならない。
そのバスだって本数は少なくて、車がないとやっていけないような場所なのだ。

そんな町で、あたしは育った。
小さな貿易会社を持つ父と、趣味を兼ねた料理教室を営む母のもと、特別な金持ちではないけれど、緑を従えた大きな家に住み、不自由は全くない生活を送っていた。

父の会社の従業員や取引先のひと、それに、母の教室の生徒――あたしは小さいながら、ちやほやとされる環境だった。
「かわいいわね」「素敵なお嬢さんね」そう言われることに慣れていた。
それはあたしにとって、当然だった。
自分でもそう思っていたのだ。

それが見事に崩れたのは、小学校のときだった。
葉山の町は、学校数も片手で余るほど。
全校生徒の人数も、近隣の市から比べるとぐっと少ないと思う。
そんな小さな檻のような枠内で――強い者が、勝者なのだ。

拓馬はいつも人に取り囲まれていて、明るいお調子者。
顔も整っていて、男子にも女子にも人気があった。
線は細かったけれど身体もわりと大きなほうで、力もあって、それは上下関係に大いに影響していた。
小学生なんて、本当に子供で。そんな些細な違いが関係してくるのだ。
拓馬の言うことは、絶対だった。学年のボス的存在だったのだ。

クラスが同じになっても、そんな拓馬にあたしは近づけないでいた。
あたしにとっては近寄り難かったのだ。
だけど、それが逆に気に障ったらしい。
ある日、拓馬が言った一言がきっかけだった。

『ブスが気取ってんじゃねーよ』


その頃のあたしは、大人にちやほやされて育ったせいか、自分がブスだなんて考えたこともなかった。
たかだか小学生の子供だったし。
大人から言われる言葉が“お世辞”というものだなんて、知らなかったし。
それに、早くから始まっていた近視のために、眼鏡をかけ始めていて、オシャレも全く興味はなく、いつも母親の用意してくれた服を着ていた。
伸ばしていた髪は、やっぱり母親が結ってくれていた、左右二つにわけたみつあみ。
今考えると自分でも、ダサくて可愛さの欠片もなかったと思う。
そんな自分をいきなり突き付けられたのだ。

それからだった。あたしの周りが激変したのは。

今迄仲の良かった子までが、あたしを避けるようになって。
皆があたしのことをこぞって「ブス」だの「目が腐る」だの「葉山の葉山菌」とか言うようになった。

特別に何か意地悪をされたわけじゃない。
テレビで見るような、机や教科書に落書きされたり、物を隠されたり、殴られたりとか、そんなことがあるわけじゃなかった。

言葉の暴力というものがあるだけ。
だから余計に、大人がそれに気付くことはなかったのかもしれない。
あたし自身、親にも先生にも言えなかった。
告げ口をしたと、あとからくる仕返しも怖かったから。
――『チクったら、どうなるか分かってるよな?』
そんな風にも、アイツに脅されていた。

それに、父は仕事が忙しく、家にはあまり帰ってこなかった。母はそんな父と上手くいってなかったようで、家の中もギクシャクしていた。
だから余計に、両親に相談することなど出来なかったというのも大きい。

ただ耳を塞いだように、毎日我慢して過ごした。
何もないように、耳に入らないように、聞こえない振りをしてやり過ごすことが一番だと悟ったからだった。
だけど、そんな風にあたしの反応がないことが余計に苛つくのか、ことごとく拓馬に呼び出された。

『泣けよ、面白くねぇヤツだな』

『しかめっ面してんじゃねーよ。ブスが更に気持ち悪ぃんだよ』


今考えれば、なんて幼いと笑い飛ばせるくらい、低能だ。
けれど、当時の幼いあたしにとってはそれは立派ないじめで、言葉さえ返せなくて。

“ブスだからいじめられる”
――それだけだった。

ただ我慢する日々をやり過ごして。
中学受験をきっかけに、父の会社に近いところに引っ越そうという話が上がった。
受験校は都内にして欲しいと、テーブルにいくつかの有名校のパンフレットを並べられて。
両親は両親なりに、転校は可哀想だとずっと考えていたらしい。
そんなことなら、二つ返事で喜んだというのに。
気を遣ってくれないほうが、よっぽど良かった。

だけどこれでもう、あの地獄のような日々から抜け出せるとホッとしたせいか、二人の前でぽろぽろと涙が零れたのを覚えている。

先が見えたと思ったら、いくらでも我慢することが出来た。
そしてそれはあっと言う間だった。
あたしは小学校の卒業式の日、飯田橋の新しい家へと引っ越した。
式が終わって教室には戻らず、そのまま誰にも何も言わずに。

そして、誰もあたしを知らない場所からやり直したのだ。
分厚いメガネはコンタクトに変えて。
髪も服も、母親ではなく、自分でいくつもの雑誌を見て整えて。
目立たないほどの軽いメイクも施して。
可愛い仕草も、一番綺麗に見える顔も、鏡で研究して、練習も繰り返しして。

それは、引っ越すと聞かされた日から、計画していた。
あたしは絶対、可愛くなってやるって。
変わってやるって――。
所謂、中学デビューって、やつだ。

人間って、メイクと髪型と服装で、おそろしく変わるもの。
いじめられていたころは自分がブスだと思いこんでいたけれど、実はそうではなかった。
素材を生かせば、どんなにも変身できる。
逆に言えば、殺すこともできる。
小学生のあたしは、まさにそれだったのだ。

発育が良くて、目立っていた胸のために着ていたカジュアルでゆったりめの服も、身体のラインが出るものに変えただけで、ぐっと女の子らしく変わった。
短いスカートで、綺麗な形の脚と長さを強調したほうが、ずっとあたしらしかった。
恵まれていたことに、スタイルも良かったらしい。
苦手だった大きな胸も、長所に変わった。

東京は、あんな小さな町とは違った。
人が多くて、皆冷めている。興味のない人間には近づかない。
あたしには、住みやすい場所だった。

そして、男のあたしへの応対も、もっとずっとずっとマセていて。あんなに子供じみていなかった。
あたしを、きちんとひとりの女の子として扱ってくれた。
”カワイイ”と。
それだけで、天地が変わるほど、優しくて。気を遣って、取り巻いてくれる。
それは学校だけじゃなかった。
どこに行っても、今迄のブスとの扱いとは明らかに違うのだ。

女の子は、可愛くないと損だって。
あたしに嫌というほど身を持って知らしめさせられた。

外見にこだわるのも、ずっと恋愛が馬鹿馬鹿しいって思っていたのも、結局は、みんな中身なんか見ないから。

ちやほやされることがどれだけ心地良くて。
「可愛い」って言葉がどれだけあたしに充実感を与えたか。
――まるで過去を風化してくれるように。


あたしをこんな風にしたのも、そう教えたのも――この男、佐藤 拓馬なのだ。

 

update : 2009.05.08