「そんなの言い返してやれば良かったのに〜」


カウンターに片肘をつきながら、紫色のカルテット・アイスクリームを口に含んで瑞穂が言った。
瑞穂はここのバーのコレが大好きで、来店すると必ず注文する。

と、言っても。
週末は海斗と一緒のことが多いし、瑞穂と二人で来るのは久しぶり。
シンプルモダンで落ち着いたお洒落な店内も、スタッフも、以前と全く変わっていないみたい。


「言い返すって、何て……?」

「上手だよ、って」


ぶっっ!!


「……ちょっ!!」


口に含んだロングアイランドアイスティーが、いつもとは違う場所に入り込む。
アルコールの強いソレは、喉にも気管にも刺激を与えて、ゴホゴホと咳き込んだ。


「菜奈、汚いなぁ〜」

「瑞穂が変なコト言うからっ!!」

「変じゃないしー。
菜奈は余裕無さ過ぎっ」


ようやく止まった咳を整えるように、ん、と喉を鳴らしてから瑞穂を見る。


「無いよ。ホントに。
そんな風に過去のコトまで焼もち妬くくらい」

「海斗クンが好きだと……」

「……うん」


そう答えると何だか気恥ずかしくなって、瑞穂から視線を外し、もう一度目の前にある琥珀色に染まったグラスに手を伸ばした。

アルコールのせいなのか、違う意味でなのか。
……頬が熱い。


瑞穂は何でもない顔つきで、スツールの下で形の良い足を綺麗に組みかえると、またひとくちスプーンを口に運ぶ。


「でも。そのトキのクセってホントにあるじゃん?
そんなの男によって違うじゃん?」

「そ、そーかもしれないけど……」

「菜奈だってー。そう思うってコトは、海斗クンと信也クンのエッチが違うって思ってるからでしょ?」

「ちょ……っ! 瑞穂……!」

「それに、今迄付き合ってきた男よりも、海斗クンがいいって思ってるでしょー?」

「〜〜〜〜〜」


瑞穂は意地悪……。
何にも言い返せない。

確かに、今迄付き合ってきたどの人よりも、海斗の腕の中は心地良い。
比べたいワケでも、比べてるワケでもないんだけど。

だって。
それは海斗が一番好きだからだもん……。
過去があるから、今そう思えるのは確かなんだけど……。


瑞穂はそんなあたしを見透かして、頬杖をつきながら微笑む。


「でもさー友達の結婚式で信也クンと再会するんだよねぇ?
会ったら思い出しちゃうかもねー。その桃子って子みたく」

「瑞穂―……」

「やぁだー。今変な想像したでしょー?
昔好きだった人って、再会するとときめいちゃったりするじゃーん。そーゆーの、だよ?
菜奈ってえっちー」

「………」


もー……。
瑞穂ってばっ!!


首を傾げながら意味有りげににやりと笑う瑞穂は、薄暗い店内の中で瞳をキラキラと輝かせている。
多分……それはダウンライトの光のせいだけじゃないと……思う。


「トイレ行ってくるっ」


もの凄く楽しそうな微笑みを浮かばせる瑞穂を置いて、あたしは真っ赤な顔を抑えながらレストルームへと向かった。






レストルームから戻ると、開口一番に瑞穂が言った。
飄々とした顔つきで。


「電話しといたよ」

「は? 誰に?」

「海斗クン。すぐ迎えに来てくれるって」


えええっ!?


「ちょっ……! 迎えにって何!?
大体、何で瑞穂が海斗の電話番号知ってるの!?」

「ほら、前の合コンの時に交換したんだよねぇ。
メモリーに残ってたから」

「〜〜〜〜〜!!」


邪気なくあたしに向かって微笑む瑞穂。

それは……来てくれるのは嬉しいけど……。
だけど……。





海斗は、20分後に本当にあたしを迎えに店に現れた。

海斗が一緒に送ると言うのを、瑞穂は「あたしもカレが迎えに来るから」と、笑顔でかわした。

……それが瑞穂の気遣いだって分かってる。
海斗を呼んだ意味も。

まぁ、瑞穂の事だから、本当に誰か男の人を呼ぶんだろうけど……。



「まさか本当に迎えに来てくれるなんて思わなかった」


そう言いながら車に乗り込み、ドアを閉めると、海斗は隣で怪訝そうな顔を返す。


「何だよ。嬉しくねーの?」

「……嬉しいよ。ありがと」


言葉の代わりに海斗はふっと笑うと、車を発車させた。
あたしは窓の外を見つめる。
景色を見たいのに。
それを邪魔するように、反射して映り込んだ海斗の横顔に目が留まって離せなくなる。


海斗は……意地悪なようで。優しい。
あんまり考えてないようで、ちゃんと考えてくれてる。
それも分かってるのに。
なのに、こんな風に不安になるなんて……。


――『前の合コン時に交換したんだよねぇ』

そう。昔はそんな風に簡単に連絡先を女の子に教えてたんだよね?
あの合コンの時だって。
あたしが菅野くんに誘われなかったら……海斗は瑞穂と一緒に帰ってたかもしれない。
それで、平気でそーゆー関係になったのかもしれない。


「何か今日、元気なくねぇ?」

「えっ!?」


ハッとして、窓から海斗へと顔を向けた。


今、また……何考えてた!? あたし――!!


「ちょっと酔ってるからかも。
別に何でもないよ」

「……ふーん」


平静を装って言うあたしに、海斗は前を向いたまま答えた。


あたし……サイテーだ。ホントに。
麻紀にも瑞穂に対しても、そんな風な目で見るなんて……。
この間から本当に、オカシイ……。

せっかく、瑞穂が海斗を呼んでくれて、二人きりなのに……。
駄目……。何て言っていいか分からないし。変なコトばかり考えちゃう……。




アパートの前に着くと、すぐに車から降りようとドアに手を掛けた。


「ありがと、ね」


そう出た言葉と同時くらいに、ドアへ伸びる反対の手を取られた。
そのまま海斗に引き寄せられる。

あっと思うと、唇が塞がれる。


「……ん……っ」


握られた手に、海斗の指が絡み込んでくる。

複雑な気持ちに混じって、愛しさが込み上げた。
触れ合った部分は熱い。胸の奥も。

あたしもぎゅっと指先に力を入れた。


「菜奈……」

「………」

「部屋、行っていい?」

「――ん」


小さく頷くと、もう一度あたしの顔を覗き込むように角度を変えた唇が触れてくる。

それが頬に触れて、耳朶に触れて、首筋に触れて。
絡められた掌が離れると、ゆっくりと髪が掻き上げられて、いつもの場所にもキスを落とされる。
――何度も。


――『今でも変わってないのかなぁ? 海斗のクセ。ソノときのキスが、さ――』


頭の中にまたあの言葉が蘇った。

身体中に何だかわからないものが駆け上がる。
甘い熱は急激に冷やされたように、苦しいものに変わった。

あたしは両手で海斗を押して、強引に身体を剥がした。


「……ヤダ」

「何だよ、急に……」

「ヤなのっ」


他の女の子にもこうしてきたの?
あたしと同じように触れて、同じようにキスをして――

このキスがトクベツって思ってたのは違った――?


「―――」


海斗は眉を寄せて唇を横に結んで、あたしを見つめる。
その瞳の中にあたしが映り込んでいるのが見えて、ぎゅうっと胸が締め付けられる。
思わず、顔を伏せた。


だって、ここに。
こんな間近で海斗の瞳に映されたのは、あたしだけじゃ――ない。
同じなんて嫌。
嫌なの……。


くだらない嫉妬が、どうしてもあたしの中の気持ちを黒く支配していく。

夜の海に溺れたみたいに。


好きになりすぎて。
……怖い。


「も。いーよ……」

溜め息と一緒に、その言葉が降ってきた。


「勝手にすればいい」


――勝手に?


顔を上げると、海斗はハンドルに寄り掛かるように頭を伏せていた。
あたしの顔なんて見たくないみたいに。


――『アイツ、飽きっぽいし。マジにハマんない方が身のためー』

また彼女の言葉が頭の中を過る。


呆れた?
だって。あたし達って、身体だけの関係じゃないよね?
拒んだのはあたしが悪いけど、そんなに怒んなくたって……。


じわり、と。涙が浮かび始めると、電子音の旋律が鳴り出した。
ダッシュボードの上で、海斗の携帯が緑色の光と音を発している。
繰り返し鳴り続けるけど、海斗は顔も伏せたままで、取る気配もない。

一度切れて、再度また急かすように鳴り出す。


「電話……出れば?」


あたしの言葉に、ようやく海斗は顔を上げる。

海斗は無言で携帯に手を伸ばし取り上げると、耳元に押し当てるようにして電話に出た。


「ハイ」


乱暴な口調でそう言った海斗の携帯から、微かに声が漏れてきた。
高い声。
女の子の……。


誰……?


何となく、嫌な予感がした。
二言目には「彼女と一緒だから」と、海斗はすぐに電話を切った。

だけど――……


「女の子?」


明らかに不機嫌な声を出してあたしが訊くと、海斗はパチンと携帯を二つ折りに戻す音を立ててこちらを向いた。


「そーだけど……。ただの知り合いだよ」

「桃子って子じゃないの?」

「は?」


海斗は目を見開いて驚いた顔をした。


――図星?


「やっぱ、そーなの? じゃ、ただの知り合いじゃないじゃん」

「……何なんだよ、ソレ。
オレ、何かしたかよ? やましいコトなんて何もねーんだけど」


ぐっと、言葉が詰まる。


分かってる。
海斗は何も悪くないのも。
ただ、あたしが勝手に昔の事に嫉妬してるだけだって。
こんな風にわざわざ迎えに来てくれて送ってくれたのに……。


胸に渦巻く重たいモノを飲み込んだ。


「ご……」

「つーか。オマエこそ、何かやましいコトがあるからオレのコト拒んだんだろ?」


『ゴメンね』の言葉は途中で遮られて、代わりにそんな冷たい言葉が耳を通り抜ける。


やましいコトって……何それ……?
そんな風にあたしの事見てたの……?


ひゅうっと。
喉が小さく鳴った。


「何でそんな事言うの……?」

「――……」

「海斗なんて、大っ嫌いっ!!」


涙が零れ落ちた。

それを気付かれるのが嫌で、あたしはさっと車を降りてドアを閉めた。
そしてそのまま振り返らずに、アパートの階段を駆け上がった。

 

update : 2008.08.14