あれから。
海斗からは案の定連絡が無い。
簡単に日々は過ぎていって。
何日、こんな鬱屈した日を過ごしているのか……。
こういう時に、向こうから連絡してくるタイプじゃないのは分かってるんだけど。
あんな風に言われたら、あたしから連絡なんて出来なかった。
『大っ嫌い』なんて。
言わなきゃ良かったっていう気持ちと反して。
未だに桃子って子の声が離れなくて。
色んな葛藤が混在していて、どうにもならない。
だって。
何で海斗に電話なんてしてくるの……?
ずっとずっと。
馬鹿みたいな想像が次々に浮かぶ。
本当はこんな気持ち……打ち消して欲しいよ……。
これから結婚式に出席すると言うのに。
濁りなく晴れた気持ちで、祝福出来そうにない自分が情けない。
ここまで海斗一人の事で掻き乱されてるなんて……。
美容院に向かう途中、何度もバッグから携帯電話を取り出して着信を確認する。
だけど期待とは裏腹に、電話もメールの着信マークも無いままだ。
今頃、海斗はサーフィンしてるのかなぁ……?
あたしと一緒じゃなくても、海斗は平気なんだろうな……。
もしかしたら……。
また、あのコも海に来てるかもしれない……。
「どんな感じにしますか?」
鏡の中のあたしの向こう側で、担当の美容師さんが微笑みながら言った。
考え込んでいたあたしは、ハッとして、鏡越しに笑顔を作ってみせる。
「えーと。アップで。毛先は巻いて散らす感じで……出来上がりはお任せします」
「了解です。結婚式は何時からですか?」
「13時からなんで。終わったらそのまま向かうんです」
「じゃ、余裕持って終わるように頑張りますね」
美容師さんはにっこりとまた鏡越しに微笑み返すと、すぐに真剣な顔つきに変わった。
霧吹きで髪を湿らせると素早くブロッキングされて、器用に動く手先が、あたしの長い髪をアップヘアにと変えていく。
髪を梳かれるのは心地良い。
徐々に変わっていく鏡の中の自分を、ぼんやりと眺めた。
「工藤さんって、ウチの美容院に来始めて2年くらいでしたっけ?」
「うん……。そのくらいかな? よく覚えてますね」
「初めて気が付きましたよ」
「え? 何がですか?」
意味が分からず訊き返す。
「ココ」
と。
鏡越しに、後ろの首筋を指差されるのが見えた。
――その場所って……
「小さなほくろが三つ集まってあるんですねー」
「えっ……?」
ほくろ?
スタイリングの途中なのに、思わず勢いよく振り返って美容師さんを見上げた。
美容師さんは、あたしの勢いにほんの少し驚いてから、にっこりと笑う。
「あれ? ご自分でも知りませんでした?
コレ、男の人ならきっと可愛いって思うんじゃないですか?
女の私から見ても色っぽくて可愛いですもん」
か、可愛い?
色っぽい?
もしかして……それって……
だって……
急激に顔に血が上って、顔の位置をくるりと戻した。
絶っ対、顔赤いよ。今。
指を差された場所が、妙に熱く感じる。
海斗に触れられた唇の感触が蘇って。
――熱を、持つ。
誰にでも同じようになんてしてなかった。
あのキスは、あたしだけにしていたものだったんだ。
それなのに……ホント、馬鹿。
それに気付けないで、過去のオンナに焼きもち妬いていたなんて。
海斗はあたしのコト。ちゃんと見てたのに――。
「信也って、すっごい大人っぽくて格好良くなったよね?」
披露宴の最中、隣の席の美里が耳打ちしてきた。
テーブルを一つ挟んだ向こう側。新郎友人の席で友達と談笑する信也をちらりと見た。
「うん」
別れてから1年半近く……。
会うのはその日から初めて。
確かに、大人の雰囲気を纏っていて、あの時よりもぐっと格好良くなった信也。
「菜奈、ちょっと勿体無いとか思った?」
冗談っぽく言う美里に、あたしはにっこり笑って「そうかもね」と答えた。
正直に。信也を見ても、何とも感じなかった。
本当に、何にも。懐かしいとさえ。
別れた時はあんな風に振られて……。好きだったから、凄くショックだったのに。
もう、二度と会いたくないとさえ思ったのに。
ただ、楽しそうに笑う彼を見て、良かったなと思った。
今――こんな風に彼を見られる自分も、不思議なくらい。
それに……信也と付き合ったから、今の自分が在るんだ。
海斗に……会いたいよ、今すぐ。
会ってちゃんと仲直りしたい。
ゴメンねって言いたい。
ずっとずっと。上の空だった。
友達甲斐の無いヤツだって、自分でも呆れる程。
幸せそうなあずさと山岸くんの姿が霞んで見える程。
ただ、海斗に会いたかった。
二次会が終わると、美里達が「三次会に行こう!」と腕を引くのを振り切って、足早に駅へと向かおうとした。
目の前の交差点の信号が、点滅し始める。
走れば間に合うな、と思うと、それを引き留めるように、懐かしい声があたしを呼んだ。
「菜奈!」
その声に振り返ると、そこには息を切らせた信也がいた。
「……信也」
「ゴメン……。ちょっとだけいいか?」
「どうしたの?」
「何か……、会場では話せなかったから」
「……うん」
あたしが一言答えると、信也は言いにくそうに荒っぽく自分の髪を掻き上げた。
「ちゃんと……謝っておきたかったんだ」
「え?」
「あの時はゴメンって……」
「そんなのいいのに。もう、昔のコトだよ?」
「だけど……。俺は菜奈を裏切って、凄く傷付けたから」
「………」
「ホント、ゴメン」
その言葉と一緒に、信也は腰から身体をぐっと曲げて頭を下げた。
根が真面目な信也の事だ……。
きっと、今日、あたしとまた顔を合わせる事に悩んだんじゃないかな……。
どう謝ろうとか、どう声を掛けようとか。
それで目の前にしたら、なかなか声を掛けられなくて……。
そんなことを想像したら、思わずふっと、笑みが零れた。
「ねぇ、信也」と、あたしよりも低い位置にある信也の頭に向かって言う。
「あたし、凄く今の彼が好きなんだ」
あたしの言葉に信也は顔を上げた。
「信也は、今の彼女と幸せ?」
「――うん」
「あたし達が付き合ったのは無駄な時間なんかじゃなかったよ?
ちゃんと、色んな気持ちを貰ったから。だから今のあたしが在るの。
彼女、大事にしてね?」
海斗も。
今迄本気じゃない女の子と沢山付き合ってきたと思うけど。
その付き合いが、無駄だったわけじゃない――
彼女達がいたから、今の海斗が在るんだから。
微笑んだあたしに、信也もようやくホッとしたような柔らかな笑顔を見せた。
「菜奈の彼氏はイイ男なんだな」
そう言って、目の前に手が差し出された。
――きっと、最後の握手。
「うん。最高にね」
あたしもそう答えて、目の前の手を握った。
だけど。
握った筈の掌は、後から伸びてきた別の手によって、強引に引き剥がされた。
ええっ!?
驚いて手を掴んだ人物を見上げると、それは不機嫌極まりない顔をした海斗だった。
な、何で!?
何でココに海斗がいるの!?
「海斗!?」
「行くぞ!!」
驚いているのも束の間。
海斗はぐっと強くあたしの手を引いて、ぐんぐんと歩いて行く。
呆気に取られながらも信也の方を振り返ると、彼は笑って手を振っていた。
や。ちょっと……。
待って? 何で!?
「海斗!」
「………」
「海斗ってば!」
「………」
「待ってよ! 何でっ!?」
返答の無いままあたしを強引に引いて歩いていた海斗は、自分の車の前に着くと、急にピタリと足を止めた。
そしてあたしを車に押し込むように乗せる。
「元彼と手なんて繋いでんじゃねーよ!」
「……は?」
「アイツだろ? オマエが好きだったヤツ!」
海斗は自分も車に乗り込むと、乱雑な音を立ててドアを閉めた。
そして、あたしを睨むように見据える。
「元彼? 好きだったヤツって……。
何で海斗が知ってんの?」
「―――」
「それに何でココに――……」
「この間、瑞穂ちゃんが言ってたんだよ」
「は? 瑞穂!?」
「あー……もう、マジで格好悪りぃ……」
海斗は一度視線を逸らして、つい今迄あたしの掌を握っていた手で、ぐしゃぐしゃっと髪を掻きむしる。
そうしてからもう一度、鋭い目であたしを見る。
「結婚式で元彼に会うって。会いたいって言ってるなんて聞いたら普通心配すんだろ!
しかも何で手なんて握ってんだよ!」
「それ、握手だし!
それに会いたいなんて――そんなコト言ってな……」
はた、と。
急にこの間のことを思い出す。
海斗と喧嘩した日に言われた言葉……。
海斗が言ってたやましいコトって……信也と再会すること?
確かにその事は黙ってたけど……。
み、瑞穂のヤツ〜〜〜〜〜!!
勝手に海斗に電話して迎えに来させた挙げ句、そんなコトまで言ってたんだ!
「ソレ……、瑞穂が海斗に勝手に焚き付けただけだから。会いたいなんて言ってないし。
あたしが不安がってたから……海斗の昔の彼女に会って、昔のコト言われたから……だから……」
「昔の彼女?」
「桃子さん……」
海斗はまた一瞬、眉を顰める。
「桃子って……オマエに何か言ったのか?」
「や。えーと……」
「ちゃんと言えよ」
ぐっと、腕を掴んでくる。
逃げられそうにない瞳に捉えられる。
あたしは仕方なく答えた。
「だって……海斗はエッチが上手だ、とか……クセは変わってないのかなぁとか言うんだもん……」
「何だよ、ソレ……」
「いつも海斗って、後ろのほうの首筋にキスするでしょ?
それって他の女の子にもしてたのかな、って思ったら……凄く嫌で……」
「――……」
海斗は、はぁ、と。大きな溜め息を吐き出すと、頭が垂れ、あたしの手を掴んでいた手をするりと解いた。
「ソレはオレのセリフ」
「……え?」
「そこにほくろがあるんだよ。
オマエ、自分で知らないの?」
「今日……美容院行って言われて初めて知った……。
だから、違ったんだって……。ソレは、あたしだけだったんだ……って」
「……分かったならイイじゃん。もう」
ふい、と。あたしから顔を叛ける。
あれ? 何で?
しかも、もしかして顔、赤くない?
「ヤダ。言って?
オレのセリフって、何?」
今度はあたしが海斗の腕を掴んだ。
それでも顔を逸らしたままの海斗の顔を覗き込む。
「だからー……」と、海斗はもう一度溜め息を吐き出すと、あたしの方を向いた。
「それがすっげぇ可愛くて。
今迄オマエが付き合ってた男もソコにキスしてたのかなーとか思ったら凄ぇ癪で。
だからオレが一番してやるって――……」
「え……」
……嘘……
可愛い?
癪?
一番?
そんな風に思ってたの?
一気に顔に熱がこもる。
それと一緒に、瞼の裏も痺れ始める。
「何で、そーゆーの言ってくれないの……?」
「アホか! 言うかっつーの!」
「だって……普段だって好きとか全然言ってくれないし……」
「しょっちゅう、んなコト言うかよ!」
「海斗が付き合って来た子って、皆可愛くてスタイルいいし……」
「オマエ、まだそーゆーコト言うワケ?」
呆れたように息を吐き出し、怪訝そうな顔をしてあたしを見る。
「まぁ……確かに、胸、無いけど?」
「ちょ……っ! 酷――!」
「オレにとっちゃ、菜奈が一番可愛いっつーの」
その言葉と同時に身体は引き寄せられて、腕の中にすっぽりと閉じ込められた。
言い掛けた文句も。心臓も。
全部一緒に包んで抱き締められたように、甘く、ぎゅーっとする。
ホント、馬鹿だ。あたしは。
……瑞穂には感謝しなきゃ……
こんな風に海斗の深い気持ちが分かったのも、瑞穂のおかげ。
喧嘩の発端にもなったけど……。
んー……ソレは許してあげよう……
こっちのが、ずっとずっと。大きいから。
「海斗……好き……」
あたしも海斗の身体に腕を回して、力を込めた。
海斗の腕の中はふわふわして。温かい。
ココは、あたしの場所。
「海斗は?」
強く抱き締められた腕の中で、ほんの少し顔の角度を変え、見上げながら訊いた。
海斗は黙ったまま、数分前に零したあたしの涙の跡を唇ですくう。
そして。
いつもの場所にキスをした。
何度も。何度も。
言葉はないけど。
それが海斗の答え。
今度から。
ココにキスするときは――そういう意味だって。
『好き』って言葉の代わりなんだって。
勝手にそう思っちゃうから――ね?
END
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