full to overflowing
郵便受けの中から出てきた白い封筒。
差出人には、幹事という文字と同級生の美里の名前。
中身を見なくても、それが何を意味するのか分かる。
「結婚式の招待状?」
アパートの階段を上りながら、隣を歩く海斗があたしの手の中を覗き込む。
「んー。多分、二次会の。
高校の時の友達が結婚するの。式も呼ばれてるんだ」
もうすぐ結婚する友人のあずさと彼の山岸くんは、高校の同級生。
同じクラスで、あたしは二人とも仲が良かった。
山岸くんは、元彼の信也とも仲が良くて。
式にも披露宴にも彼が出席することは聞いている。
海斗には黙ってた方がいいよね?
別に今更何の気持ちも無いし、再会してもどうってコトないけど。
元彼も来るなんて聞いたら、あまり良い気分じゃないだろうし。
「ふーん。高校のトモダチかー。
結婚式とか二次会って、ずっと会ってないヤツとかと久しぶりに会ったりして楽しいよな」
カシャン。
海斗のその言葉に、ドアに鍵を差す寸前のところで、手に持っていた鍵を思わず落とした。
黙っておくのは、やましい気持ちがあるわけじゃない。
だけど、何となくこういうのって。
後ろめたく感じるのは何でなんだろう。
「相変わらず、トロくせぇ。
いつんなったら部屋入れんの?」
あっ。もう!
ホント、そっちこそ相変わらず口悪いヤツ!!
「今、入れますよっ」
ムッとして、軽く睨んでから、足元に落ちた鍵に手を伸ばした。
だけど鍵に指先が触れると思った瞬間、海斗の手によってそれは奪われた。
「マジでトロっ」
ニッと。意地悪く。しかも楽しそうにあたしに向かって笑って、掌から鍵を宙に浮かしてみせる。
「もーっ!!」
ホント、小学生かっての!
頬を膨らますあたしを見て、更にクククッと笑う。
こういうところもいつものコト。
こんな風に、たまにあたしをからかって遊んでるカンジは一年経っても変わらない。
あたしもつい、反応しちゃうから余計なんだろうけど、さ。
もうちょっと、彼女っぽく優しい扱いして欲しいんですケド……。
海斗は当たり前のように、その鍵であたしの部屋のドアを開ける。
そしてまた当たり前のように、あたしよりも先に中へと入る。
あたしも海斗の後に続いて部屋に入る。
そして、ドアが閉まると同時に手が伸びてきた。
これも。
いつものコト。
ぎゅーっと海斗の腕の中に抱き留められる。
あたしは結局、コレで簡単に機嫌が直っちゃうんだ。
だって。
やっぱり好きなんだもん。
悔しいけど、凄く好き。
――海斗のコトが……
「海斗……」
「……ん?」
「……好き」
「知ってる……」
唇が重なる。
お互いを確かめ合うように、深く。長く。
「……甘い」
唇が離れると、少し眉を歪めて海斗が呟く。
「……オマエ、さっきアイス食ってたっけ?」
あー……そういえば。デザートにチョコレートパフェ食べたんだ。
海斗、甘いモノ嫌いだもんね……。
「ヤダ?」
ほんの十数センチの距離の顔を、見上げる。
「……嫌――」
……え?
海斗は切ないような表情で、少し目を細めてあたしの頭をまた引き寄せる。
「――じゃ、ない」
海斗の言葉と同時に、うなじ近くの首筋にキスを落とされる。
何度も、愛しむように。そこに。
海斗は――いつもそこにキスをする。
あたしは、それが一番好き。
唇のキスも好きだけど。
そこへのキスは、何だかあたしと海斗だけがする行為な気がして。
言葉が無くても、愛されてる気がする。
強引に引き寄せる腕も好き。
頬を包む大きな掌も。
ゆっくりと髪を梳く仕草も。
丁寧なキスも。
意地悪で、優しい指の動きも。
とろとろに溶けてしまいそうな程、全部全部甘い――。
夏の光線を浴びた真青な海の表面が立ち上がり始め、反り立つ。
海斗の腕が波を掻き分けるのと同時に、その周りが白く泡立つ。
加速するボード。
テイクオフ。
ボードが青い波に滑らかな白い線を描くよう。
波を越えて、一瞬、宙に浮くようなトップターン。
しぶきが空に向かって舞い上がる。
――綺麗。
サーフィンをやっている時の海斗は、特別だと思う。
海を自在に駆け抜けて。
まるで波を操っているみたいで。
――格好良いとか、そういう言葉では片づけられない。
砂浜であたしは、膝を抱えて真剣にその姿を見つめていた。
だから声を掛けられたとき、あたしに、なんて。最初は思わなかった。
「やっぱカッコイイよねー?」
「海斗ってば」と言う言葉に、ようやくその声の方へと顔を上げた。
そこには日に焼けたビキニ姿の女の子が立っていた。
風に揺らされた髪を片手で整えながら、あたしに笑い掛けてくる。
「コンニチハ」
「……こんにちは」
取りあえず挨拶を返してみるけど……。
海斗の知り合い?
可愛い子だな……。
何だか……。
麻紀といい、未知花さんといい、彼女といい……。
海斗の周りって何で綺麗な子ばっかりなんだろ……。
大きなくりっとした瞳に綺麗にカールした長い睫。
ベビーフェイスな彼女の厚めの唇に乗せられたグロスは、艶やかで色っぽい。
小柄なのに大きな胸は、フリルの付いた小花柄の三角ビキニから溢れそうな程で。
小悪魔的で男を誘うようなスタイルは、女のあたしでも思わず見とれてしまう。
「海斗の彼女?」
ちょこんと、あたしの横に座り込み、にっこりと人懐っこく笑って覗き込んでくる。
「えっ? あー……ハイ」
「気を付けなね?」
「え?」
「アイツ、飽きっぽいし。マジにハマんない方が身のためー」
えっ!? な、何っ……!?
「遊ぶのにはちょうどイイけどねー?」
まるであたしに同意を求めるように首を傾げて言う。
失礼な人だな!
ムッとして、思わずあからさまに表情を崩した。
だけど、そんなあたしの様子が思い通りで嬉しいのか、彼女は含み笑いをした。
「海斗って、エッチ上手いでしょ?」
「はあっ!?」
「今でも変わってないのかなぁ? 海斗のクセ。ソノときのキスが、さ――」
「―――!!」
頭に急激に血が上る。
「あー……っと。冗談が過ぎたわね?」
――この人!!
分かっているように、あたしに向かって唇の両端を上げて意地悪そうに微笑む。
「菜奈!」
怒声が上がる前に後ろから呼ばれて、あたしは言葉をぐっと喉に押し止める。
振り返ると、そこには麻紀がいた。
「桃子も……何してんの?」
桃子……? この人のコトだよね?
この人と麻紀って知り合い?
「久しぶりねー、麻紀。
ちょっと海斗のコト、話してただけ」
彼女はそう言って、すっと立ち上がった。
麻紀は怪訝そうな顔をする。
「海斗のコト?」
「何でもないわよぅ。
あっちで友達が待ってるから。じゃーまたね」
言葉の通り何も無かったように微笑みながら、ポンと麻紀の肩を叩いて、彼女はくるりと背中を向けた。
『今でも変わってないのかなぁ? 海斗のクセ』
『ソノときのキスが――』
さっきの声が耳にこびり付いている。
しなやかに歩く彼女の後ろ姿は官能的で、嫌でも頭の中に下衆な想像が浮かび上がる。
海斗と身体の関係があったんだって――
ズキン、と。
胸が痛む。
「何か言われた?」
「えっ!?」
小さくなった後ろ姿から、すぐ横の麻紀へと振り向く。
「そーゆー顔、してる」
「………」
「桃子……あのコ、海斗と昔、少しだけ付き合ってたんだ」
「付き合ってた……?」
「んー。でも、桃子は本気だったんだけど、海斗はそうじゃなかったから。
菜奈がちゃんとした彼女って誰かから聞いて悔しかったんでしょ。
だけど、ホラ。昔のコトだし。海斗ってそーゆーヤツだったじゃない?
気にしない方がいいよ」
「う、ん……」
優しく諭すように言ってくれる麻紀に、あたしは笑顔を作って一言答えた。
……分かってる。
海斗が昔、そんなヤツだったコトは百も承知。好きになる前から分かってたコト。
それに、あたしだって海斗がハジメテってわけじゃない。
それなりに付き合ってきた人もいるし。
お互いに過去があるのは当たり前のコト。
だけど……。
何だか苦しい。
もの凄く胃の辺りが重たい。
胸の奥の方で、黒いモノがどんどん侵食してくるみたいに広がってくる。
好きだから――昔のコトにまで妬いてしまう。
分かってるのに。
「それにしても暑いねー!
ね。菜奈、日焼け止め持ってる?
あたし家に忘れてきちゃった!」
「持ってるよ」
「貸してー」
「うん」
籐で編んだバッグの中から日焼け止めを取り出して、麻紀に手渡す。
麻紀はあたしの横に腰を下ろすと、すぐに着ていたキャミソールを脱いで水着姿になった。
日焼け止めの蓋を開けて腕に塗り出す。
パールの入ったそれは、太陽の下で麻紀の肌に透明感を持たせて光らせる。
あたしは立てた膝の上に両腕と顔を乗せてその様を眺めた。
長い髪が潮風になびいて。
ほんのり焼けた肌が、白のビキニを引き立てていて。
ピンク色のネイルが施された長い指が、滑らかに胸元を滑っていく。
麻紀は……綺麗……。
麻紀も海斗と付き合ってたんだよね……。
勿論、そーゆー関係だったんだよね……。
ぎゅーっと、絞られたように胸が痛む。
……って! 何考えてんの、あたし!!
ハッとして、顔を逸らした。
馬鹿みたい!!
ホントに馬鹿!!
麻紀との関係までそんな風に思っちゃうなんて、本当に重症だ……。