29
水桶から引き抜かれた花は、一本ずつ丁寧にバランスよく組み合わされていく。
ぼんやりと見つめる視界の中で、それはみるみるラウンド型に形作られる。
「こんな感じでいかがですか?」
花屋の店員は、完成に近づいたブーケをあたしに差し出して見せた。
ミニバラ、モンテカルロ、スイトピー、アネモネ、カラー。
白とグリーンで柔らかい表情に纏められたブーケは、未知花さんの色だな、と思った。
何も染められない、染まることのない、白。
「大丈夫です」
答えると、店員はにっこりとあたしに微笑み返し、パチンパチンと軽快な音を立てて茎の長さを切り揃え、仕上げに取りかかる。
あたしは、透明のガラスドアの向こうへと視線をやった。
朝まで残っていた雨も、もうすっかり止んでいる。
「風も収まって良かったですね」
器用に手を動かしながら言う店員の方に引き戻される。
「そうですね」
「今回の台風は大きかったですよねぇ。
ウチも、昨日は早々にお店を閉めちゃいましたよ。
パーティが昨日だったら行くのも大変でしたし、今日で良かったですね」
「……はい」
「あ、リボンのお色、ご希望ありますか?」
「お任せします」
予想通り白いリボンが結ばれたブーケを受け取ると、招待状を片手に、確認しながらパーティ会場のカフェへと向かう道を歩き始めた。
まだ完全に乾ききっていない道路には、枯れ葉や小枝だけではなく、真新しい緑色をした葉も落とされている。
どこから飛んで来たのかも分からないゴミや倒れたままの看板も、時折歩みを邪魔する。
既に人で溢れて活気が戻った街は、嵐に爪痕と痕跡を残されたせいで、いつもに増して蕪雑に見える。
けれど。
その嵐が過ぎ去った後の太陽は、どうしてこんなにも美しいのだろう。
オレンジ色の線が無数に伸び渡り、全てを美しく色付かせ、輝かせる。
まるで光の粒を地上にばらまいたみたいに。
蒼みを足したグレーの夕雲は、輪郭だけ形取られたようにオレンジに染められていて。
自然の色彩は、パレットにどれだけ色を足しても表せない。
あまりの眩しさに目を細めた。
未知花さんから電話のあったあの日。
あたしは夜から熱を出した。
台風が上陸していた最中は、会社も休み、一人寝込んでいた。
ただベッドの上で、何もせずに嵐が過ぎ去るのを待つ。
そんな気分にさせられていた。
大人しくしていれば、自分の身に何か降りかかることはない。
濡れることも、風に飛ばされることも、ダメージを受けることも。
通り過ぎさえしてしまえば、変らない日常は帰ってくる。
だって。
本当にそうだ。
あたしは結局、未知花さんが明日フランスに戻ることを、心のどこかで望んでる。
未知花さんが遠くに行ってしまえば、海斗の中の消えない気持ちも薄くなって、もっと自分の方に向いてくれるんじゃないか、って。
そんな期待があって……。
ただ、じっと。
嵐が過ぎ去るのを待っているのは、同じ。
近づいてくる前と変わらない平穏さが戻るように、と。
息苦しくなって、思わずそこで足が止まった。
動かなくなった身体にタイミングを合わせたように、バッグの中で携帯が鳴り出した。
細めていた目がその音に開かされると、いつの間にか持っている招待状の用紙が皺になっているのに気付く。
あたしはそれをバッグの中にしまい、代わりに携帯を取り出した。
電話の相手は、菅野くんだった。
息を吸って、波立っていた気持ちを抑える。
今日は、新しい門出。おめでたい日。
本心からきちんとお祝いしたい。
「もしもし」
『菜奈ちゃん? 菅野だけど』
「うん。菅野くん、おめでとう」
あたしは、努めて明るい調子で言った。
菅野くんは一拍置いて、ふっと笑った。
『おめでとう、って――オレはまぁ、関係ないんだけどね』
「え、でも、ほら、菅野くんのお父さんのお店だし。
菅野くんは身内でしょ? 十分、お祝いされる側だよ」
『ありがと。
何か菜奈ちゃんに言われると、そうだな、とも思えてきちゃうよ』
「うん、そうだよ。おめでとう。
どんなお店なのか、着くのが楽しみだよ」
『――ん。
ね。今、菜奈ちゃん、どの辺にいるの?』
「もうすぐ着くけど、どうかしたの?」
お店で会うのに、わざわざ電話してくるなんて。
何かあったのかな、と思いながら、止まっていた足をまた動かし始める。
『うーん……あのさ、こんなこと言うと、またって呆れられそうだけど』
「えっ? 何?」
呆れるって、何だか嫌な予感……。
『もう一回だけ、恋人の振り、お願い出来ないかな?』
「ええっ!?」
『悪いなー、とは思うんだけど。
親父が福島さんと、って、凄いしつこくてさ。
彼女、明日フランスに戻るって言ってたから、取りあえずそれで親父も落ち着いてくれると思うし。
それにさ、この間紹介しておいて、今日菜奈ちゃんがパーティに来てくれるのに、そんな素振りを見せないのもオカシイしさ』
そう言われると確かにオカシイんだろうけど……。
また未知花さんの前で、菅野くんの恋人の振りをするなんて。
本当だったら、海斗とどうなっているのか訊きたいし、あたしのことだって黙ったままでいるのは気が引ける……。
でも、海斗が未知花さんへの気持ちをどう伝えて、何を話したのかも分からないのに、どの道あたしが未知花さんに海斗とのことを言えるはずもないんだよね……。
「うん。分かった。いいよ」
しょうがない、と言った風に、小さく息を吐き出してそう答えた。
こうなったら、乗りかかった船と言うか。
ホントに? と、大きな安堵の息が電話口から聞こえる。
『あー、断られたらどうしようかと思ってたよ』
「断るなんて、思ってなかったんでしょ?」
『ははっ。分かっちゃった?』
「もうっ。
でも、一応確認しておくけど、まさか海斗は来ないよね?」
当然だけど。
海斗の前で菅野くんの恋人役なんてしたくないんだけど。まさか、ね?
そのくらいは菅野くんも、わきまえてるよね?
『もちろん、海斗は招待してないよ。
ほら、関係者だけだし。まぁ、俺も部外者なんだけどさ。
それにいくら何でも、菜奈ちゃんが海斗のことが好きって分かってるのに、アイツの前で恋人の振りしてくれ、なんて言わないよ』
――招待してない。
菅野くんのその言葉にほっと胸を撫で下ろす。
海斗の前で、っていうのはもちろんだけど、それだけじゃあなくて。
未知花さんと海斗が一緒にいるところなんて、正直、あまり見たくない。
嫉妬とか。あたしの知らない二人の過去に対する疎外感とか――。
黒い感情が湧き上がるのが、目に見えてるから。
そう感じてしまう自分も嫌だし、そんな顔も見せたくない。
「うん。なら、いいの。
そのかわり、そういうの、これっきりにしてね」
『分かってるって』
軽い調子の菅野くん。
本当に分かってるのかな?
けれど、邪気のない菅野くんと話をしたおかげか――ほんの少しだけ暗い気持ちが薄れた。
スタンド花が路面に華やかに彩られているお陰で、店はすぐに見つけることが出来た。
白い箱のような四角い建物は、真新しくスタイリッシュな印象。
木枠の大きな窓はオープンエアになるようだ。きっと、開店したらオープンカフェにするのだろう。
店内も、シンプルでいて可愛く、オシャレな造りだ。
白い壁に、白の磁器タイル。棚やカウンター、置いてある観葉植物の鉢も、白で統一してある。
その中にひょっこりと、ビビットカラーの小物が差し色としてセンス良く飾られ、際立っている。
座り心地のよさそうなソファーは、アーチを描いた足が、それだけで個性的に見える。
天井から下がるドロップ型のライトは、まるで未知花さんの生クリームのケーキに合わせたようだ。
店内のどこを見ていても目を惹かれ、楽しい。
窓の向こう側に見える街も、一枚の動く写真のようで、店の雰囲気を一緒に作り上げている。
「菜奈さん!」
案内され、くるくると首を回しインテリアに見とれていると、溢れる招待客の中からすぐに未知花さんがあたしを見つけてくれた。
あの柔らかな笑顔が、あたしに向かってくる。
来る前に感じていた憂鬱な気持ちが、嘘のように消えていく。
不思議とほっとさせられる、彼女の笑顔。
あたしも自然と微笑んだ。
「未知花さん、おめでとう!」
ブーケを手渡すと、まるで蕾が花開くように、彼女の美しさが増した。
「ありがとう。
凄く、綺麗……」
たったそれだけの表情で、海斗が彼女を好きになった理由も、ずっと忘れられなかった気持ちも――分かるような気がした。
綺麗なのは花じゃなくて、未知花さんだよ……。
「素敵なお店だね。
未知花さんのケーキにピッタリ」
「うん、素敵なお店よね。
あたしもお手伝いが出来たこと、本当に良かったと思ってるの。
完成したケーキも後で出るから、沢山食べていってね」
「ホント?
楽しみ!」
「妥協なく完成できたのも、菜奈さんのおかげよ」
未知花さんがそう言ったとき、店内のざわめきの中に紛れて、何か音楽が鳴っているのが聞こえた。
「あっ。ちょっとごめんね。電話みたい」
未知花さんは、慌てたようにバッグから携帯電話を取り出した。
あたしが声を出さずに頷くと、彼女はすぐに電話を耳元に当てた。
珍しい赤色と型の携帯電話に、つい目が行ってしまった。
見たことのない機種。
きっと、フランスの携帯なんだろうな。
二つ折りではない、丸い感じのフォルム。
真紅の薔薇のような赤は、未知花さんの横顔を引き立たせる。
「うん。もうお店にいるから。うん……」
すぐ傍で会話する未知花さんの口元が綻んだ。
何となく会話を盗み聞きしているようで、気が引けて顔を逸らそうとした。
けれど、逸らせなかった。逸らせなくなった。
あたしの目は、強力に吸い込まれたように引き寄せられた。
「待ってるね」と言ってすぐに電話を切った未知花さんの手の中の、携帯に付けられた金色の小さなアクセサリーに。
それって――。
視線はがっちりと鋲で留められたように、そこで捕らえられたまま。
くすんだ金色が揺れている。
見覚えのある、鍵――。
あたしの視線に気が付いた未知花さんは、「あっ、電話?」と、目の前に携帯を差し出して見せた。
「フランスの携帯電話って、日本のよりずっと遅れてるの。
でも、海外の携帯なんて、見る機会がなかなかないだろうから面白いでしょ?」
「……うん」
笑顔を作って、未知花さんからその携帯電話を受け取った。
ずっしりとした量感。
本当に。日本のよりも数年は遅れている感じ。
けれどその重さは、それとは違う意味で、ずっとずっと重く手に圧し掛かる。
携帯につけられたこの鍵は、海斗のモノと同じだ。
南京錠の鍵なんて、どれも変わりなんてないはず。
でも、分かる。
これは海斗の鍵と対だって。
海斗がずっと大切にしていたように、未知花さんもきっと同じように大切に持っていたんだ。
電話じゃなくて。
鍵から視線が外せなくて。
小さな冷たい金属に、指先でそっと触れた。
「ストラップに鍵なんて……なんだかお洒落だね」
別に嫌みで言ったわけじゃなくて、本当にそう思った。
日本製とは違う雰囲気の携帯電話には、ナチュラルな雰囲気さえして合っている。
「あっ、それ……違うの。
フランスって、日本みたいにストラップを付ける習慣がないのよ」
「えっ?」
「お守りみたいな気分で付けてるの。
あたしの、大切な思い出のモノなの」
ドクンと、大きく心臓が鳴った。
――お守り?
――大切な思い出?
それって――……。
海斗との、だよね。
「未知花さんがこの間言ってた、忘れられない人、と、の……?」
あたしの言葉に、一瞬、未知花さんの動きが止まった。
けれど、そう訊かれるのはまるで想定していたかのように、あたしに微笑み返しながら一言答えた。
「うん」
ああ。
やっぱり――……。
海斗と未知花さんの、大切な思い出……。
ぎゅうと、未知花さんの携帯を持つ掌に、力が入った。
握り締めた分、あたしの胸も同じように握り潰されたみたいに、痛い。
そこに視線を落としたあたしに、未知花さんの柔らかな声が降ってくる。
「平塚にある、湘南平のジンクスって、知ってる?」
「……え?」
「湘南平の展望台に、恋人同士で鍵をつけると、ずっと一緒にいられるってジンクスがあるの」
――『菜奈知らないの?
この展望台の願掛けっつーの?
二人の名前を書いた南京錠をここにかけると一生一緒にいられるってね』
あれは――海斗が教えてくれた。
あたしは、あの時、知らなかった。
海斗が知っていたのは、未知花さんとのことがあったから。
未知花さんと、付けたから。
「……うん。知ってる」
また強く掌を握り締める。
そんな返答さえ、苦しいよ。
「菜奈さんも、行ったことある?」
「えっ……あたしは――……」
急に振られて躊躇し、言葉が詰まった。
だけど――。
「うん。あたしも行って、鍵付けたよ。
大切に、持ってる」
彼女の目を見て言った。
あたしは――何を言ってるの?
馬鹿みたい。
自虐行為だ、こんなこと言って。
無理に笑顔まで作って。
海斗と未知花さんみたいに、想い合って付けたモノじゃなくて。
何の気持ちも意味もなく、ただ成り行きで付けただけの鍵。
未知花さんのモノとは、全然違うのに。
大切に持ってるのなんて、あたしだけなのに……。
「そっか。菜奈さんも行ったことあるのね?
想い合って付けたなら、幸せなものだね。
ちょっぴり、そんな関係は羨ましいな」
羨ましい?
それは、あたしのセリフだよ……。
「未知花さんだって、好きな人と付けたんでしょ?」
「そうなんだけど……。
菜奈さんみたいのじゃないの」
「みたいの、って……」
何、それ……?
何で?
不可解に未知花さんを見つめると、彼女は目を逸らすように、ほんの少し視線を落とした。
唇に浮かべた薄い笑みは、どこか寂しげに感じられる。
「あたし達、付き合ってたわけじゃないから。
色々あって……その時は、彼に好きだってちゃんと言えない状態で。
彼はあたしが好きだって、ずっと真剣に言ってくれてたのに、それに答えられなくて……」
「………」
「鍵を付けようって言われた時もね、本当は凄く嬉しかったのに。
そんな気持ちも言えなくて、拒んだの。好きな人と付けなきゃ駄目だからって。
そしたら、オレのことを好きにならないなら、一緒にいるつもりもないなら賭けようって」
「賭け?」
疑問を投げた途端、思い出した。
月曜日――麻紀さんと海斗の会話を。
――『海斗の賭けは勝ったんだね?
願掛けは、叶ったんだね?』
そう言っていた、麻紀さん。
そのこと……?
「鍵を付けても絶対に好きにならないならいいだろ、オレは両思いになってずっと一緒にいられることを賭けるよ、って……ね。
彼にそう言われて、一緒に付けたの。ならないよ、って答えながら。
賭けなんてしなくても、もうとっくに好きになってたのに……」
未知花さんは、そのときの気持ちを思い返すように苦げに目を細め、天井を見上げた。
そんな彼女を、ドロップ型の照明の光がきらきらと照らしていて。
あたしには、その姿が眩しく感じられ、苦しくて俯いた。
もう。
涙が出そうだった。ホントは。
――両思いになって、ずっと一緒にいられること……。
プライドの高い海斗が、そこまで言ったなんて。
身体全体が見えない重みで押しつぶされそうで。
目は熱を持ち、喉の奥の方から何かがせり上がってくる。
掌を握り締めて、奥歯を噛んで。
唇が歪むのを横に突っ張らせ、どうにか堪えるしかなくて。
湘南平で、きっと――海斗がフェンスにかけた南京錠を持って、未知花さんが鍵を回したんだ。
彼女の手に、あの大きな掌を添えて。
あたしの時と、同じように。
けれど違うのは、そこにある気持ち。
小さな南京錠に、強い願いを込めた、二人の。
海斗と未知花さんは、本当はずっと両思いだったのに。
なんて長い間、お互いの想いを通じ合えないで離れてたんだろう。
今まだ、海斗が未知花さんのことを忘れられないんだとしたら。
あたしが二人の間に割り込める隙なんて、あるわけがない。
――海斗に。
きちんと言おう。自分の気持ちを。
そして、海斗の気持ちも訊こう。
たとえそこでゲームセットになっても。
このまま自分の気持ちを偽って一緒にいるなんて、もう出来ないよ。
きゅっと、唇を結んだ。
そんな決心がついたら、胸に痞える重さの紙一枚分くらいは、少なくても軽減出来たみたいで。
あたしは未知花さんの顔をまっすぐに見つめ直した。
そして手の中の携帯を、未知花さんへと返す。
「大切な思い出なんだね」
そう言ったあたしに、未知花さんは少しだけ苦笑いを見せた。
「昔の二人の、唯一の思い出なの。
でも、これからはね……」
これから――?
未知花さんがそう言いかけた時だった。
「菜奈ちゃん、福島さん!」
遮るように、菅野くんの声があたし達を呼んだ。
振り返ると、そこには菅野くんと彼のお父さんがいた。
「あっ、尚貴くん! オーナー……!
本日はおめでとうございます」
未知花さんは、すぐに頭を下げた。
あたしも慌ててそれに倣う。
「本日は開店おめでとうございます」
祝辞を述べ、頭を下げようとした。
だけど――。
言葉だけで止まってしまった。
身体がそこで固まってしまった。
菅野くんの少し向こう側――後ろには、海斗がいて――。
どうして?
何で、海斗がここにいるの?
海斗もすぐに気が付いたのか、目を見開いて驚いた表情を見せながら、あたしの視線と絡み合う。
「海斗くん!」
未知花さんの唇が、高いトーンで名前を紡いだ。
そして、その人物へと華奢な足が駆け寄る。
当然のように。
ぴったりと、吸い寄せられたみたいに、すぐ隣に。
すうっと、血の気が引くような感覚があたしを襲った。
床に敷き詰められた白いタイルに、足もとから熱を奪われて冷やされていくみたいに。
菅野くんはさっき、海斗は招待してないって……。
未知花さんが、呼んだってこと?
菅野くんのお父さんも、未知花さんと海斗の関係に不信を持ったようで、眉を顰め、あらためて二人を見た。
言葉を失ったような数秒の沈黙を、未知花さんは簡単に切ってのけた。
「海斗くん、こちらがね、オーナーと、その息子さんと、彼女さん。
彼女さんの――菜奈さんには、ケーキの試食とかのお手伝いをして貰ったの」
未知花さんが、海斗にあたし達を紹介する。
まるで恋人に対するような、嬉々とした口調と表情で。
菅野くんの彼女と言われても、今、否定も出来ない。
それよりも先に、言葉が何も出てこないよ。
ただ、二人を見つめることだけしか……。
「何で海斗がここにいるんだよ?」
菅野くんが驚いた様子で言った。
「えっ? 海斗くんと尚貴くんって知り合いなの?」
「同じ会社なんだよ。
なぁ、海斗?」
「そうだったの。
知り合いだったなんて、知らなかった」
会話をするのは未知花さんと菅野くんだけで、海斗は何も言わない。
あたしも。
ただ、そこで視線は絡み合ったままだ。
菅野くんが海斗を見て、怪訝な顔をする。
「って、ゆーか、知り合いなの? って、それ俺のセリフ。
福島さんと海斗こそ、どういう関係なんだよ?」
どきっとした。
何故か。
背中に流れるような痺れを感じた。
途端、あたしは未知花さんへと顔を向けた。
「彼なんです」
はにかんだように彼女は微笑んだ。
あたし達にそう言い切った言葉が、すうっと耳から頭の中へと通り抜けていった。