10

『19時に表参道ヒルズのメインエントランスの前で。
かしこまったモノじゃないから気を重たくしないでね』

菅野くんから届いたメール。

開いた途端、少しだけ気持ちが重たい自分に気付く。


――『菜奈が海斗クンのコト好きじゃないなら、どっちかイイと思う方を選ぶのって当たり前のことじゃないの?』


瑞穂の言葉が過ぎる。

あたしも頭ではそう理解してる、というか……。
言われた通り、それは普通のことだと思う。
好きな人がいなくて、嫌いじゃない男の人に誘われたら、デートすること。


だけど、形だけでも彼氏という存在がいたら、やっぱりどうなのよ、と思う。
いくら好きじゃなくたって。
アイツが他の女の人と会っていたって。


あたし、矛盾してる……。
菅野くんと約束したときは、あたしだって、と思ったのに。





ぐるぐると考えを巡らせていると、あっと言う間に次の日が来てしまった。
――約束の日。

時間が経つのなんて、一瞬のように感じる。
朝になってもぐだぐだと悩んでいたのに、気が付いたらお昼になっていて。
また気が付くと、仕事が終わる時間になっていた。



「なーに、暗い顔してんの?」


更衣室で制服から私服に着替えていると、瑞穂が覗き込んで肩に手をかけてきた。
ふんわり、甘い香りが漂ってくる。
小悪魔系香水と言われている“エンジェルハート”は、その名の通りだと、こんなときに思う。


「別に、そんなわけじゃ……」

「菜奈ってば、硬ーい。
アパレルのレセプションなんて行ったことないんだから、楽しんでくればいいのよ。
オトコは二の次で、って考えればいいでしょ?」


瑞穂はくすっと笑って、いつもの明るい調子で言う。


……楽しんで……。


「そう、だけど……」

「だって、モモカもエリナも来るんでしょ?
菜奈、好きじゃん?
いいなー。あたしも生で見たーい」


目を輝かせて羨ましそうに楽観的に言う瑞穂に、あたしの中の重石も外れた気がした。


「うん」


そうだね。
モモカもエリナも来るんだから。
普段は味わえない雰囲気だけでも楽しんでこよう!


そう思ったら、レセプションパーティーって、いったいどんな格好で行けばいの!? と、急に不安になった。

そんなこと、抜け落ちたように忘れていて、考えていなかった。
海斗と菅野くんのことで悩んで、頭がいっぱいになっていて。


まさか、皆ドレスアップとかしてくるものなの!?
しかもアパレルのって……皆すっごいお洒落なんじゃ……!?

ちゃんと菅野くんに訊いておくべきだった!
あたしってば本当に馬鹿。







原宿駅から夕闇に包まれ始めたケヤキ並木を歩く。
群青色とオレンジに染まった街に浮かび始めたライトは、夜とはまた異なった色合いに見えて綺麗だ。

気持ちが浮き立っているのか何なのか、どうしても落ち着かない。
黒のキャミワンピの裾が、歩く度にふわふわと揺れる。

今日はたまたまフォーマルでもイケるようなワンピースだったけれど、こんな格好でいいのかちょっと不安。
折角だから、もうちょっとお洒落したかったな、なんて。

だけど、こんな風に気分が少しでも切り替わったのは、瑞穂のお陰だ。


少し歩くと、すぐに約束の表参道ヒルズが大きく見えてくる。
エントランスが近づくと、菅野くんは既にそこに立っていた。
ちゃんと分かりやすい場所にいてくれているのが、分かる。

彼もあたしにすぐに気が付いて、笑顔と共に小さく手を振ってきた。
最初のイメージよりもずっと、真摯でスマートな人だと思う。


「菜奈ちゃん!」


あたしの名を呼ぶ菅野くんの元へ、少し小走りする。


「お持たせ。ごめんね、もしかして待った?」

「来たばっかりだよ。て、ゆーか、まだ約束の5分前だし」


ふっ、と、また柔らかく笑う。

あまりにも優しい笑顔だからどきっとしてしまった。

目の前の菅野くんは、シャツにネクタイ、パンツ、腕には脱いだジャケットを持っていて、仕事からそのまま来たようだった。
もちろん、アパレルの営業らしく色遣いもお洒落だし、髪型もバッチリだし、センスが良い。
そんな菅野くんを見て、また急に少し不安になる。


「あの、あたし、こんな格好で平気?
何も考えず来ちゃったけど、考えてみたらレセプションって、ドレスアップみたくするもの?」

「そんなことないよ。普通で平気。
あ。でも、可愛いよ今日のワンピース。黒も似合うね」


菅野くんはにっこり笑って、そうさらりと言ってのける。


可愛いよ、似合う、なんて。
そんなに自然に言えちゃうもの?

この間も言われたっけ……。


そう思うと、菅野くんはあたしに大きな紙袋を差し出した。
『sweet rose』の白いロゴが入った黒い紙袋だ。


「菜奈ちゃんお洒落だから必要なかったかな?
でも、もしそういう場に行くのに気になってたりしたら悪いな、とか思って持って来たんだ。
ハイ」


わけが分からず、ただその紙袋を見つめる。


「え? 何?」

「ウチのブランドの、秋物のワンピースと靴。
サイズ、ミカに聞いた」

「ええっ?」


秋物のワンピと靴、って……。
そんなモノ用意してくれてたの!?


「え、でも……」

「俺が誘ったんだから、当然でしょ?
今着なくてもいいよ。プレゼント」

「そんな、悪いよ! 貰えないよ!」


受け取ることを躊躇すると、菅野くんは無理矢理にあたしの手にその紙袋を持たせた。
だけど強引というより、優しくだ。
両手であたしの手を包むように紙袋の紐を握らせながら、また笑みを見せる。


「じゃあ、着てきて? って、強制しちゃう。
ほら、招待客なんて皆アパレル関係だから、もう秋物着てるはずだし。
雑誌社の取材とかもあるって言ってたからなぁ。
秋物、着てた方がイイかもよ?」

「えええ?」


そ、そーなの?
だけどちょっと前まで、そのままでいいって言ってたのに!
そう言われるとあたしだけ夏物着てたら、恥ずかしいのかなぁ?


「社販で安く買ってるから、気にしないでよ。
それにさ、さっきも言ったけど、こーゆーのに誘ったのは俺なんだから。
別に服プレゼントしたからどうこうとか、全く思ってないし」


にっこりと微笑む菅野くん。


いいの? かな。貰っちゃって……。
何だか凄く悪い気はするけど……。断りづらい……。


それでもあたしが戸惑っていると「ほら、着替えてきて、待ってるから」と背中を押されてヒルズの中に入るように促された。

あたしは困惑しながらも、渡された紙袋を握り締め、そのままレストルームへと向かった。








表参道をまっすぐに進み、青山通りを過ぎて左に入った。
到着した南青山のフラッグショップは、三階建てビルの一階部分で、大きく『prize』とブランド名が掲げられている。
既に薄暗くなった空の色に、連なった大きなガラスから漏れる光が眩しい。
濃紺の中に浮き立っている白い壁、コンクリートの打ち放しの入り口、大きな黒枠のガラスのドアに、ホールの白いタイル。
とにかく、目を引くほど格好良い。

友達のブランド、と聞いていたから、勝手にこぢんまりしたお店を想像していたあたしは、あまりにも立派な構えと佇まいに驚いた。

ショップの周りには、招待客であろう人達が溢れ返っていた。
どの人も、アパレルの人種だと感じられるお洒落さだ。

見回したい気持ちを抑え、菅野くんについてショップに近づくと、入り口の少し手前で会話をしている人のうちの男性一人がこちらを見て、さっと手を上げ笑顔を向けてきた。


「おう、菅野」

「城山、久し振り。
すげーな。おめでとう」

「サンキュー。
ああ、えーと、菜奈ちゃん?
今日はわざわざありがとう。軽食も出るから食べていってね」


目の前の如何にもアパレルの人だなぁという風体の男の人が、そう言いながらあたしに手を差し出してくる。


な、何で名前まで知ってるの?


「あの、おめでとうございますっ」


頭を下げたあと、その手を取って握手をする。


何か緊張するっ。


「よろしくー! 菜奈ちゃんっ」


城山さんは、ぎこちないあたしの緊張を解すように、握った手を勢いよく上下に振った。
人懐こい笑顔に、あたしもホッとして頬が緩む。


イイ人そう……。
気さくな人で良かった。


「城山、あんま、触んないでくれる?」


――えっ?


菅野くんがそう言ったかと思うと、あたしの手を城山さんから奪い取るように握られた。

ニッと笑いかけられて、どきり、とする。


「あー、悪いな」


城山さんもにやりと笑うと、続けて「ゆっくりしていって」と言って菅野くんの肩をぽんぽんっと軽く叩いた。


……何か、それって……。


「菜奈ちゃん、中に入ろう」


菅野くんに手を引かれて、あたしは店の入り口の方に向かった。
繋がれた手を見つめる。


……いいの、かな?
こんなの……。


この間、海斗と手を繋いだときとは、違うドキドキだと分かった。
どちらかと言うと、困惑に近い。
どうしていいのか分からない。

それでもその手を振り払うことは出来なくて、あたし達は繋がれたまま入り口のドアを潜った。

沢山のダウンライトと、黒い天井に柄のように格子状に填め込まれた白いライト。
ライトアップされた店内は、眩しいくらいに視界を一変させた。


「わぁ……凄い……。
中もカッコイイね……」


感嘆の言葉が漏れる。
思わずきょろきょろと店内を見回してしまう。

白の磁器質タイルにふわふわのカーペット、ガラスをレイヤーにした壁、鏡とスチールのモチーフとラック、赤いピーチスキン素材の楕円形のソファー。
秋の落ち着いた色彩と素材で作られた、トレンドの洋服達が並ぶ。


「ああ、良い店だな」

「うん。凄いね、お友達」


菅野くんは自分のことが言われたかのように、照れくさそうにはにかんだ。
仲の良い友達の門出は、彼にとって凄く嬉しいことだろう。


「何か飲み物貰ってくるよ。
菜奈ちゃん、ここにいて」

「うん。ありがとう」


菅野くんが人混みを掻き分けて店の奥の方へと入って行った。

とにかく、店内は凄い人で溢れ返っていた。
多分、50坪くらいの広さじゃないかな。
そこに沢山のお洒落な人、人、人。


菅野くんの言っていた通り、招待客のほとんどは、晩夏物か秋物の洋服を着ていた。
夏物の洋服を着ている人もいるけれど、こういう業界の人ってやっぱり先取りなんだな、と思わせられる。
まだ、暑さもこれからの七月なのに。


あたしは視線を落とした。
菅野くんがくれた、ワンピースと靴。

リボン状の胸元のデザインと、胸下のギャザーの切り替えがある五分袖のエンパイアラインの落ち着いたパープルのワンピースに、大きめのリボンが付いた黒のエナメルのパンプス。ヒールが高めで上品。

正直に、可愛い。
貰って嬉しくないと言ったら嘘になる。

だけど複雑な心境だ。

社販で買ったって言っていたけど、結構高いんじゃないかな、とか。
彼氏でもない人に、こんな風に貰っていいのかな、とか。


ふう、と。小さな溜め息が漏れる。

妙に落ち着かなくなって、目の前にあるラックに掛かるお店の洋服を思わず手に取った。
ジオメトリック柄のチュニックは、秋カラーの落ち着いたボルドー。
それを目の高さまで持ち上げる。


……可愛い、な。


ラックの横の壁には大きな鏡があって、そこに身体を乗り出し、あたしはそのチュニックを合わせて鏡を覗き込んだ。


「菜奈?」


急に耳に入ったあたしを呼ぶその声に驚いた。


鏡の奥。
あたしの後ろには海斗が映る。

目が、見開いた。

海斗の横には麻紀さんまで映し出されている。

鏡越しに、海斗と視線が合わさった。


――何で!?


振り向いた先の、二人。

驚いた海斗の顔。
鏡越しではない本物の瞳が合わさった。


「オマエ……何でココにいるワケ……?」

「何で、って……」


言葉に詰まってしまう。

昨日、海斗に暇かって訊かれたのに、菅野くんと来てるなんて……。
どうしよう。

だけど……。
海斗だって、何で麻紀さんと一緒にいるの!?


あたしが返答に困っていると、麻紀さんは唇の端を少し上げた。

思わず、見てしまった。
艶っぽく光るオレンジ色の唇は、意地悪で女っぽい。

大きく開いた胸元を飾るリボンとギャザー、五分袖に、エンパイアライン。
麻紀さんが着ているのは『sweet rose』の、ワンピ。
あたしが今着ているのと同じだ。
色まで一緒の、パープル。

全く同じワンピースなのに、何でこんなに違うんだろうと、見せつけられるような違いだった。
背が高くてスタイルの良い麻紀さんの身体にフィットしていて、アクセサリーもそれに合った物がちゃんと着けられていて。
アップヘアは、よりこの場に合う大人っぽいもの。
ドレッシー過ぎないように合わされた上品な黒のブーティ。

全てがきちんとコーディネートされていて。
モデルみたいに綺麗で。
あたしとは、全然違う。

その差に愕然とさせられた。

海斗の隣にいる麻紀さん。


――あたしなんかより、よっぽどこの二人はお似合いだ。


惨めな気持ちが込み上げて、ぐっと息を飲んだ。


「菜奈、オマエさ……」


海斗が何か言いかけたとき、それを覆いかぶせるように

「菜奈ちゃん」

と菅野くんの声があたしを呼んだ。

update : 2007.08.30