06

あたし達はそれからしばらく海にいた。

海斗が買ってきたコンビニのおにぎりなんか食べて。
二日酔いが残ってるせいで、何も食べたくない……なんて思ってたけど。
海で食べるおにぎりって何で美味しいんだろ? ただのコンビニの、なのに。
結局、2つ、平らげてしまった。

パラソルもない炎天下は、とにかく暑い。
だけどそれでも海という空間は、解放感があって気持ちがいい。
波が打ち寄せるたび、砂を伝わって身体にその震動が緩やかに響く。

冷たさをとっくに失ってすっかり温まったお茶を口に含みながら、あたし達は冗談交じりのくだらない話ばかりをした。

どーも、やっぱり一言多い。コイツ。
だけど、ムカつく発言も多いのに、一緒にいればいるで何気に楽しめてしまうあたしもそこにいた。


「甘いモノでも食うか?」


いい加減浜辺でごろごろしたのち、海斗のその誘いに乗ってあたし達は海を後にし、車に乗り込んだ。

海斗に任せるまま海沿いをドライブして到着したのは、お洒落なお店だった。

淡いピンクと白の木目の外壁に、植えこまれたソテツ。
可愛らしく、リゾート地を思わせる外観なのに、店の中はシックで落ち着いた雰囲気だ。
重厚感のある渋い色味の木のテーブルは、アンティークっぽい。
白い木枠に嵌めこまれたガラス窓からは、美しい相模湾が広がっている。

海斗曰く、ここのプリンは有名らしい。
大きなビーカーのようなグラスに入った、濃厚なたまごのプリン。


「美味しー!」


思わず顔が綻ぶと、やっぱりそれを見て笑う。


「コドモみてぇ……」

「だって本当に美味しいんだもん!」

「それは、それは。連れてきた甲斐がありました」


海斗はコーヒーのカップを持ち上げながら、ニッと口の端を上げてみせる。


もー……。
何かいちいち突っかかるって言うか。
単純とか思って馬鹿にしてるでしょ……。


「ね。海斗は食べないの? せっかく来たのに」


てっきり、「食うか?」なんて訊くから、甘いモノが好きで一緒に食べるのかと思ったのに。
海斗が注文したのはコーヒーのみだ。


「オレ、甘いモノ苦手」

「そうなの?」

「いいじゃん。オマエが良ければ。
ココ、夕陽も凄ぇ綺麗なんだよ。今度また来る?」


海斗は頬を緩めて、今度は優しく言った。


こーゆートコ、やっぱり女慣れしてるんだな、なんて思う。
女の子の喜ぶこと、喜ぶモノをよく知ってるんだ。
しかもこの店、初めてじゃないこと明らかだし。
誰かと一緒に、夕陽を見たって言ってるようなものじゃん?


海斗にとってはどうせ曖昧な――そんな約束に、あたしは「うん」と答えた。






そのあとは、夕焼けの海岸を少し歩いた。
昼間とは全く違う、海の景色。

夕陽が濃紺の海に映って染まり、波の動きと同じようにキラキラと反射する。
空は、紫色が落ちてくるみたいに色付き始めて。
そこに浮く掠れた雲は、空の色の紫に染めているのに、腹を夕陽のオレンジに縁取って、両方の色で上手くグラデーションを作り出している。

ピンクにオレンジ、ブルーにパープル。広大な自然でしか創りだせない、幻想的な色。
遠くには、富士山が優美なシルエットを浮かび上がらせる。

本当に何もかも綺麗だった。
繰り返し押し寄せる波と、その響く波音が飽きなくて。


だけど。
あたし、何でコイツと二人でこんなことしてるのかなぁ。なんて。
やっぱり、ふと、疑問に思ってしまった。

だって、あんなにムカツクとか思っていたのに、別に嫌とか感じなかったし。

何だか不思議なカンジ。
ホントに不思議なカンケイ……。


海岸に暫くいたあと、海斗は思い出したかのように「湘南平でも行ってみる?」と言った。


――湘南平。

夜景の綺麗なデートスポットだって知ってる。
あたしは行ったことないけど。

きっとコイツ、何度も女の子と行ったことあるんだろうな。
これが、海斗のデートコース。

案の定、地図もナビも見ずに、慣れた道のように海斗の車は目的地まで進んでいった。









「展望台が二つあるの?」

「ああ。新しい方行く? 360度見える方」

「うん!」


答えながら、ああやっぱり女の子と来たことあるんだな、なんて思う。
いや。別にいいんだけど、ね。


心地良い南風が頬を撫でていった。
同時に、既に薄闇に包まれている景色から、ざわざわと葉音が立つ。
ここまで来る間に、すっかりオレンジ色の陽は隠れてしまった。
広い敷地には、緑を豊かに茂らせた桜の木が、左右から挟み込むように立ち並んでいる。
花開く頃に来たら、きっと物凄く綺麗なんだろう。大きな大きな桜の木達。

舗装された広い道を、展望台の方へゆっくり歩き始める。
ひと気も少なく、足音が二人分だけ重なる。

ふいに。あたしの右手は温かいものに包まれた。

どきりとした。
海斗に手を握られたから。
しかも自然すぎるし。


――これって。やっぱりオトしにかかってる……?


こんな薄暗い落ち着いた雰囲気の場所で手を繋がれたら、やっぱり多少なりドキドキする。
それをコイツは分かっているんだろう。

ここで手を振り払ったり、怯んじゃいけない。
余裕があるくらい見せないと。

あたしはそんな気持ちを悟られないように、黙ったままその手をぎゅっと握り返した。

歩いていると、繋いだ手以外も身体がたまに触れる。
体温を感じるくらいの距離だ。
そんなことにも、鼓動が高まる。

あたしはその至近距離の彼を見上げた。
すぐに気が付いたのか、海斗の顔はこちらに向けられ、視線が合わさった。

あたしに優しく微笑んでくる。
あの意地悪さを、露ほども感じさせない顔つきで。

あたしも微笑み返してみる。可愛く。

うーん……多分、ね。
少し不自然な気がするけど。


て、ゆーか。
変な二人……。

気持ちが入らないまま、こんなコトしてるなんて。
それにコイツってば、ホントにこういうの全然平気なんだ?
ドキドキさせられてるあたしが馬鹿?



あたし達は展望台へ上った。
海斗は、階段を上るペースも、きちんとあたしに合わせてくれる。
もちろん、手は繋いだままだ。


「すっごーい。綺麗!」


目の前は本当に360度パノラマビュー。
相模湾、伊豆半島、三浦半島……湘南全ての海を見渡せ、広がり輝く海岸線。
平塚市郊外、東京方面を望む眩い光の群。

よく言う宝石箱を引っくり返したような……とはこういうことを言うんだと思い知らされるような、圧巻の景色がそこには広がっていた。
闇に灯されている幾千もの光の粒達。
ここから見える黒い夜の海も空も、その黄色い光に薄っすらと染められていて、ぼんやりと光る。
こういう景色を見ると、都会って悪くない、なんて思う。
散りばめられた光の数よりも沢山の人がそこにいて、この光を灯しているなんて、何だか不思議だ。


「綺麗、だな」


ただ見とれていたあたしに海斗がそう言ったかと思うと、繋がれていた手が離れた。
そうかと思うと、後ろからふっと優しく抱きしめられる。


ええ!?
ちょっと待ってよ!?


あたしの心臓は、また大きく動かされた。
どうにも、身体が熱くなる。


だって。なんか、振り向いたらキスとかされそうな感じじゃん?
ずっるいよ。コイツ。ホントに。
女の子がドキドキするのも、こういうシチュエーションが好きだってことも、分かっててやってる。
少なからず、好意を持っているひとにされたら、雰囲気に流されそうになる、って。


あたしは振り向かず、前を向いたまま言った。


「さっき、手ぇ出さないって言ったじゃん……」

「何だよ、コレって手ぇ出してるに入るワケ?」

「入る、し」


身構えるように身体を硬くして言うと、背中に感じていた体温が離れた。

ほっとしてひと息吐き、すぐに振り返る。


て。笑ってるし!
信じらんないっ!


「ちょっと! 何で笑ってるの!?」

「ぶぶっ……だって、やっぱ、コドモ」


このーっ!
コイツってば! こんなことばっかり女の子にやってるんだ!?


「コドモとかそーゆー問題じゃないしっ。
女の子が皆、そんなことされて喜ぶと思ったら大間違いだからね!」

「さっき、手ぇ握り返してきたクセに」


あ。


「だって、それは……」

「面っ白いヤツっ。なりきれないのな?
そんなでオレのコト、オトせるの?」


クククっと意地悪そうに笑ってる。


コイツ……もしかしてあたしのことからかってる!?
もーっ! ムカツクっ!


頬を膨らませ睨み上げると、急に海斗は笑いを止めた。


「まぁ、いいよ。そーゆーのも」


そしてゆっくりと正面の手すりに寄り掛かり、ずっとずっと遠く、海の向こう側を見つめた。


………。
いいよ、って。……何よ、もう。


広がる夜景を見つめている海斗は、少し淋しげな、何かを懐かしむような顔だ。


何だかほんの少し前までと雰囲気が違う。
あたしも口を噤んだまま、横に並んで遠くの黒い海を一緒に見つめた。


……綺麗……。


虫の声と、風が鳴らす葉音。
静かで、ゆったりとした空気が流れる。

こういうの、好きな人とだったら憧れる。
言葉もなく、一緒にただ自然を感じて綺麗な景色を見て。

だけど今は――好きな人なんかじゃない。
こんな無言のままって、何だか落ち着かない。

気持ちを持て余すのが嫌で、あたしはテレビ塔を指差した。


「ね。向こうのテレビ塔の方の展望台にも行ってみない?」

「………」


――あれ?


すぐに返事のない海斗に、拍子抜けしたような気分になる。
だって、いつもは調子良いクセに。

一瞬、表情を曇らせたかのように見えた海斗は、ゆっくりとこちらを向いた。
どこか遠くを見るような目で、あたしを見る。


「どうか、した?」

「……別に。
何でもない」


海斗は視線を落としてそう答えると、急に明るさを取り戻したようににっこりと笑った。


「行くか」


そして先に立って歩き出す。


……あれ? 気のせい?
しかも、何か調子狂う。


あたしは数歩先を行く海斗の後ろを、同じようにゆっくりと歩き出した。







「何っ? コレ?」


テレビ塔の旧展望台は、新しい展望台とは違いフェンスが張ってあった。
そのフェンスには下から上、天井まで、数えきれない数の鍵が至るところに付けられている。
全面鈴生りになっている鍵達が邪魔をして、景色を楽しめないほどだ。


「菜奈、知らないの?
この展望台の願掛けっつーの?
『二人の名前を書いた南京錠をここにかけると一生一緒にいられる』ってね」

「へー、そーなんだ? 全然、知らなかった。
だって初めて来たし」


あたしは目の前のフェンスに近づいて、かけられている鍵を覗き込んだ。

どれも一つずつ、ペンで何か書いてある。
二人の名前、日付……『ずっと一緒だよ』とか、『永遠』とか、『大事にするよ』とか……。

こーゆーのって、良いよね。羨ましい。
大好きな人と、鍵に永遠の愛を誓うなんて。ロマンチック。

まぁ、今は一緒にいるのがコイツだからありえないけど。


そう思って振り返ると、海斗は意味を含んだように口元を綻ばせて、ニヤニヤとあたしを見ていた。


「何? オマエやりたいの?」

「べ、別にっ。違うし!」

「こーゆーの、女って好きだよなー?」

「普通、好きな人とだったらやりたいって思うでしょ!」

「やっぱ、やりたいんじゃん?」

「だから……!」


アンタとなんて、と反論しようとしたところで、後ろから「あの、すみません」と女の人の声がした。
場所も考えず大きな声を出しかけたあたしは、ハッとしてそこで言葉を飲み込んだ。

見ると、そこには高校生くらいの女の子と男の子が立っていた。
ショートボブの黒髪に、笑顔がまだ幼くて可愛い女の子。それに何かスポーツをやってるな、という感じの爽やかな背の高い彼。


「良かったら、コレ、使いますか?
持ってないんですよね?」


女の子は、掌に乗せた南京錠を、あたし達に差し出してきた。


「えっ?」

「ごめんなさい、会話聞こえちゃって。
あたし達、お互いに持って来ちゃったから、鍵がひとつ余ってるんです。
もし、嫌じゃなかったらどうぞ」


にっこりと微笑まれた。

あたしと海斗は思わず顔を見合わせる。


……あたし達が恋人同士って勘違いしてる?

あれ?
そっか。一応は恋人同士になるんだっけ?
気持ちのない、嘘の恋人。

だけどそんなので、ココに鍵を付けても意味ないし……。


「あの、あたし達……」

「あ、ペンもありますよ」


断ろうとしたのに、女の子はご丁寧にバッグから油性ペンまで取り出して、あたしに差し出す。


どうしよう。断りづらいな。
でも、そんな仲じゃないって言うのも、なんだか……。


どうしていいのか躊躇していると、女の子の掌の上から、海斗の右手によって鍵が浮いた。
そして低い声が言った。


「ありがとう」


――え!?


驚いてすぐ横の顔を見上げた。


「何だよ?
だってやりたそうだったじゃん?」


あたしに向かって、海斗は眉を少し顰めて見せる。


――それは好きな人と、でしょ?


そう言いたかったけど、知らない人の前だったからとりあえず黙っていた。

受け取った小さな金色の鍵に、海斗はさらさらっと素早く名前を書いて、女の子に借りたペンを返す。

『カイト ナナ』
と、横に並んで書かれたカタカナ。


あたしの名前の漢字さえ知らないクセに、さ。
しかもキタナイ字。


貰ってしまった以上、お礼を言わないわけにもいかなくて、あたしは「すみません、ありがとうございます」と言って軽く頭を下げた。

二人はにっこりと微笑むと、軽く会釈をした後、手を繋いで行ってしまった。
幸せそうで、如何にも仲の良い可愛い二人。
その後ろ姿を見ていたら、自然と溜め息が零れ落ちた。


「何で貰ったの……?」


不服な意味を込めて、海斗を見上げ、呟くように言った。
海斗は何ともないような顔つきをしている。


「だってさ、何か断りづらい雰囲気だったじゃん。
それとも、オレ達恋愛感情ないカップルです、って言って欲しかった?」

「………。
別に……そうだけど、さ……」


反論できずに答えると、海斗の掌から、その名前の書かれた鍵が弄ばれるように軽々と宙に浮いた。
そしてそれはまた、大きな掌の中に引き寄せられるように戻って包まれる。


「こんなのさ、所詮、ゴッコだよ」

「………」

「それとも、こーゆーの、本当に信じるわけ?」

「別……に」

「じゃー、いいじゃん? 雰囲気さえ楽しめれば」


雰囲気?
そういう問題?
それって……。


何だか妙に哀しかった。
くだらないかもしれない願掛けさえ大切な時だってあるのに。


海斗はそういうの、感じたことない人なの……?

確かに、今一緒にいるのが恋愛感情のないあたしだから、しょうがないのかもしれないけど……。


答えることが出来ずに海斗を見つめると、あたしにすっと鍵を差出してきた。


「ドコに付ける?」


あたしは受け取って、その掌の上の鍵を見つめた。
海斗に握られていたせいで体温が移っていて、ほんのりと温かさを感じる。


「……海側。海が見えるとこ」

「いーよ。一緒に付けよう」


……一緒に、か。
やっぱりコイツ、良く分かってる、じゃん。


海斗はさっと海側のフェンスへと歩み出し、足を止めると首だけあたしのほうに向ける。


「この辺でいい?」

「いいよ」


横に並ぶと、フェンスを見上げる。
海が見える場所が良いと考えるのは皆同じなのか、他の場所よりもずっとずっと、かけられた鍵の数は多い。
一度付けたら、探し出すのはきっと困難だろう。

鍵を持つあたしの手に、海斗の手が添えられた。
海斗の手によって、あたしの手が動かされる。
一際たくさん他人の鍵が付けられた海の見えるフェンスに、あたし達は二人の鍵を引っかけた。


「オレが持ってるから、菜奈が鍵回せば?」

「……うん」


あたしは言われた通り、南京錠の鍵穴に鍵を挿し込んで、くるりと回した。

小さな南京錠を持つ海斗の大きな手。
鍵を回す瞬間、指先がその手に軽く触れた。
つい、今――数秒前に、あたしに触れていた手。

こんな風に触れるか触れないかのほうが、緊張する。

身体も触れそうなほどの。
ほんの数センチ先の、二人の距離。


ホントなら、好きな人と一緒に出来たら嬉しいことなんだろうな。

何だか……。
本当にこんなのって不思議。
お互いに好きじゃなくて、しかも他人から貰った鍵を、愛の願掛けとして二人で付けるなんて。


鍵がきっちりとロックされて、お互いの手を離すと、妙に気恥しくなった。
だけどそれを分かっているかのように、海斗はすぐにあたしの手を握ってきた。

どきりとした。
手が、熱い。


「こんなのも、まぁいいんじゃね?」


ニッと、また笑う。
悪戯っぽい顔つき。


いいの?
そんなものなの?
そんなテキトーでいいものなの?


あたしにはよく分からなかった。
だって、何だか間違ってる気がして。

でも……最初からあたし達ってオカシイんだよね?
だから、いいの、かな……?


あたしは二つある南京錠の小さな鍵をひとつ、すぐ隣に立つ海斗に差し出した。


「ひとつずつね?」

「ああ」


海斗は受け取ると、すぐにデニムのポケットへそれを入れた。


きっと、こんなの、すぐに失くしちゃうんだろうな……。


そう思いながら、自分の分はバッグの内ポケットに入れる。
手が繋がれたままで、片手では何だかやりにくい。
だけど、海斗はあたしの手をぎゅっと握ったまま離さない。

あたしは鍵をしまうと、フェンスの向こう側の夜景ではなく、木に生い茂る葉のように犇めき合う鍵達をみつめた。


数えきれないくらいの――愛の証。


「こんなにたくさん、恋人達が鍵を付けて、どれだけの人が今も一緒にいるんだろうね?」


あたしはフェンスを見上げながら、そう海斗に問い掛けた。

海斗は迷うことなくすぐに答えた。


「ほんの一握りだよ」


と。

update : 2007.07.〜