02
「怒られた?」
「そりゃもう、こってり、ね」
「課長、ネチっこいからねぇ〜」
渋い顔で笑いながら、同僚の葉山 瑞穂(はやま みずほ)は照り焼きバーガーを口に含む。
昼休み。マックでランチ。
特別に高いお給料を貰っているわけじゃないあたしたちは、こうやってチープなお昼も多い。
ランチに命をかけて、それこそ毎回、美味しいランチを求め歩くコもいるけれど。
可愛いモノは大好きだし。オシャレに気を配って、その上一人暮らしをしていたら、真っ先に削る部分はやっぱり食費なのだ。
もちろん、たまには美味しいランチにも行くけれど。
もっぱら社食かファストフードかお弁当……。
「それにしても災難ね。
携帯どう? やっぱり動かない?」
瑞穂は耳にさらさらの髪をかけると、また大きな口を開けた。
「ダメ。はーあ。買い換えたばっかだったのにな。ほーんとツイてない!
ああー、思い出したらムカついてきたっ。あの男っ!!」
あたしよりもずっと上の位置から、見下してくるような顔つきが頭の中に浮かんだ。
胃のあたりがムカムカする。
こういう気分のときって、何故か無性に食べたい気分になる。
あたしは大きな口を開けて、ハンバーガーに齧りついた。
甘辛い照り焼きの味が、口の中いっぱいに広がっていく。
「でもさ、」と瑞穂は興味深げに笑みを浮かべる。
「カッコ良かったんでしょ?」
「顔だけだよ! 性格なんてホント最悪だったんだから!」
「ふーん。じゃ、ケー番もメアドも交換してないの?」
「してるわけないじゃない!」
「へぇ。勿体無いなー、そんなイイ男」
「勿体無い!? なんで!?」
「だってー。本当に顔のイイ男って滅多にいないと思わない?
どうせ付き合うなら顔のイイ男がいいわー、あたし」
「そんなこと言ってるから、瑞穂は彼氏が出来ても続かないんじゃん……」
線が細くて目がくりっと大きい、可愛い女の子代表の瑞穂。
あたしと一緒で、ちょっと気が強いのが難点だけど。
黙まっていれば可愛いからモテるモテる。自分でもソレ、ちゃんと分かってるし。
合コンではいつも良いとこ取り。
だけど続かないんだよね。付き合ってもいつも。
あたしが知っている限りでは最っ長で半年。短いと3日。
3日……って付き合ってるうちにも入らない気はするけど……。
瑞穂は、食べ終わった照り焼きバーガーの包み紙を丸めてトレーにぽんと置くと、テーブルに身を乗り出した。
「で。合コンあるけど、今日。行く?」
「え、ホント? 行くっ!」
「それがねぇーっ! 『sweet rose』の営業だって!」
「そうなの?」
「アパレル男ってお洒落そうだし、カッコ良さそうだよねー。
服安く買えないかな?」
うん、と、あたしも頷く。
『sweet rose』は今人気のお姉さん系の洋服ブランドだ。
雑誌にも沢山載っているし、最近は店舗数もかなり増えた。
あたしも大好きなブランドの一つ。
実は今日のスカートは『sweet rose』のものだ。
「ミカの同級生が営業にいるんだって。
しかも、今日合コンに来る営業の中に、カッコ良くて有名な人がいるって!
狙っちゃおー」
「瑞穂はやっぱり顔?」
あたしは少し呆れた口調で言った。
だけどそれ以上言うのは止めておいた。どうせ言っても無駄だし。
瑞穂は当然という顔つきで微笑むと、急に表情を変えた。
「菜奈はさぁ、早くあの男を忘れて、イイ男捕まえなよ!」
「わかってるって……」
実はあたし……。
3ヶ月前に、一年近く付き合った彼氏に振られた。
理由は、彼に他に好きな子が出来た……らしい。
同窓会で再会した彼。
高校生のときのクラスメートだった。
当時は仲が良くて、いいな、なんて思っていた。
だけどその気持ちが、友達としてなのか、男の子としてなのか、よく分からなくて。
自分の気持ちが“好き”になる前に、校内でも可愛いと評判の子に彼は告白され、付き合い始めた。――彼に、彼女が出来た。
あたしの恋は、ちゃんと恋になる前に、そこで終わってしまったのだ。
友達以上にはお互いに抜け出せなかったけれど、それでも何となく、心の中にずっと彼のことは残っていた。
だから。
大人びた彼と再会出来たのは、凄く嬉しくて。
途中で「二人で抜けよう」と言われたときは、本当にドキドキした。
大人になったあたし達は、高校生の時のような戸惑いもなく、そのまますぐに付き合い始めた。
大好きだった。
一緒にいて楽しかった。
あたしのこと……誰より理解してくれてる、って思っていた。
だけど。
そんなのあたしの思い違いだったんだよね?
理解……なんて。
『お前、モテるし。オレよりイイ男なんてすぐ出来るよ。
オレ、もっと甘えて欲しかったんだよね。一人で頑張るんじゃなくて』
別れ際、言われたのはそんなセリフだった。
――アマエテホシカッタ
だって。
元々、友達関係だったから、甘えにくいっていうのもあったけれど、そんなの悪いと思っていたし。
彼氏に頼りっきりの甘えた何も出来ない子だと、思われたくなんてなかったし。
だから何か辛い時でも、一人で解決してきた。
忙しいから会えないって言われても、あたしも忙しいから丁度いいなんて言って強がって……。
馬鹿みたいなんだよね、あたし。
そう言われたら、泣いて「別れたくない」なんて言えなくなっちゃって。
『そうだね。信也よりイイ男なんて星の数ほどいるしね』
そんな風に。
無理矢理に唇の端を上げて、最後まで強がりを言ってしまった。
きっと素直になった方が――
泣いてしまった方が、100倍くらい楽だっただろうに……。
可愛くない女を演じてしまった。
あの時に「別れたくない」と素直に言っていたら……あたし達は変わっていたのかな。
今も彼はあたしの隣にいたのかな。
次にする恋愛は。
甘えることも、素直に気持ちを伝えることも出来る関係が、きちんと築けるのかな……。
週末を迎えた新宿は、休日を前にして、夜を待ちわびるように人で溢れかえっている。
待ち合わせ場所のALTA前も、もちろん例外ではない。
あたしと瑞穂と、部署の違うミカと夏美と葉子の5人は、沢山の人が行き交うのを横目でちらちらと追いながら、合コンに来る予定の男達を今か今かと待っていた。
こういう時間は、何故か緊張したように落ち着かなくて。
それでいて、どういう人が来るのか想像すると、わくわくする。
19時だというのに7月のこの時間帯は、まだ空がオレンジみを帯びている。
日中よりもぐっと気温は下がったとは言えど、それでも蒸し暑さが残っていて、こうして立っているだけでもじっとりと汗が滲んできてしまう。
それなのに、汗ひとつかいていないような涼しい顔をした瑞穂が、期待に満ちた目をミカに向けた。
「ねぇ、ミカの友達はカッコイイの?
高校の同級生って言ったっけ?」
「まぁ。悪くはないけど。あたしはトモダチだからパスね。
それより瑞穂、気合い入りすぎ!」
ミカは瑞穂の胸元を指差した。
細いクセに妙に胸は大きい瑞穂の身体。
このスタイルに余計男はやられちゃうんだよね。
胸下の切り替えになっている、V開きの胸が強調されたブラウンのワンピース。裾はフレアーのミディ丈で、大人可愛いってやつ。
合コン仕様のコレが、ちゃーんと会社のロッカーに置いてあるところが瑞穂らしい。
それに、昼間はストレートだった髪も、しっかりとそれでいてナチュラルに巻いてあって、メイクも派手すぎず、完璧だ。
「だって、相手アパレルでしょ? 気合い入るっしょ?
オシャレな子、見慣れてるだろうし」
当然、と言わんばかりに、瑞穂が腕を組んで言った。
て、ゆーか。
ミカも夏美も葉子も、気合い十分入ってると思うんだけど。
いつもより髪もメイクもバッチリだし。
まぁ……あたしだって、それなりの気合いは入れてるけど。
「まだ来ないのかな? メールしてみれば?」
もう既に、約束の時間から10分以上待っている。
あたしはミカにそう言ってから、自分の左腕の時計に目を落とした。
時計の針は19時14分。
それを確認して視線を上げると、4人の顔は同じ方向を向いていた。
その視線はあたしの後ろに注がれている。
……何?
あたしも釣られて、その視線の先を追って振り返った。
……え……。
「ああっ!!」
思わず大きな声と一緒に指まで出た。
だって、その指の先には朝のアイツがいたから。
アイツ。大野海斗。
あたしの大声に反応したように、アイツはぱっと振り返って、視線がバチリと合わさった。
こちらを向いたときに驚いたように見開かれた目はみるみる細まり、形の良い眉は見事に歪んだ。
「何だよ、偶然」
彼はそう言って、口の端を少し上げてみせた。
苦笑いってやつだ。
何かムカツクっ。
あたしも条件反射で、ヤツと同じように口の端を少し上げた。
「ホント、偶然ね」
嫌みで返してやる。
あたしがそう言うと、瑞穂もミカも夏美も葉子も一斉に「誰!? 知り合い!? めっちゃカッコイイ!!」と小声で詰め寄ってきた。
いや。確かにカッコイイかもしれないけど。
……しれないじゃないな。
カッコイイのは認めるよ。だって、実際目立つ。
背が高くてスタイルもセンスも良くて。その上、この顔。
あたしだって朝、見とれたんだもんね……。
歩いてる女の子が、ちらちら見てるのも分かる。
でも。
顔がいいだけ!
性格は最悪だしっ!!
「誰……って。朝の痴漢男だよ」
アイツへ聞えよがしに、あたしを取り囲む4人へ向かってさらりと言った。
予想通り「え?」と4人とも目を丸くする。
だけど、本当のことだし。
「オイ。人聞きの悪いコト、言いふらさないでくれる?
やってないって言ってんじゃん」
あ。顔が怒った……。
これまた想定内のアイツの反応が返ってきたかと思うと、瑞穂はあたしの手をぐいっと引っ張って、お得意の笑顔を出した。
「そうですよねー。菜奈の勘違いですよ。
このコ、勘違いが多くって。ほんっと、スミマセン」
ええっ!?
ちょ、ちょっと、瑞穂っ! それが友達の言う言葉!?
普通、あたしの方を庇うでしょっ!?
今度は全くの想定外で。
あたしがあんぐりと口を開けて言葉が出ないでいると、ミカも夏美も葉子も「そうそう」なんて頷いている。
超裏切り者っ!! 信じらんないっ!!
「ちょ……っ!」
「ミカ、久し振り!」
反論しようと言い掛けたところで、男の人の声が被った。
結局そこで言葉が宙に浮いたまま、あたしは声の方へと振り向いた。
「菅野! 久し振りー!」
ミカの顔つきがぱあっと明るく変わって、声の主である男の人とパチンと手を合わせた。
彼がミカの友達らしい。
スーツ姿に眼鏡を掛けた、少し知的な感じのお洒落っぽい人だ。
その後ろに友達らしき人が3人。合コンの相手だろう。
……て。皆カッコよくない?
結構上玉ってやつ? 合コンには珍しいかも!
つい、見とれていると、横から小さな声が言った。
「オマエって、男みつめるの、癖?」
「は!?」
大きな動作で反射的に振り返った。
その先には、大野海斗の意地悪そうなニヤリとした笑いがある。
ム、ムカツク……!
やっぱりコイツって……!
「あたしは――!」
頭に血が上って、場所も考えず反論しようと声を出した矢先だった。
「何だよ、海斗。ミカの友達と知り合いなの?」
大野海斗の横にひょいと現れたのは、ミカの友達だった。
そして彼はあたしに向かって、にっこりと微笑む。
……え?
あれ?
ちょっと待って……。
「知り合いって程じゃないけどね」
眉を顰めて、大野海斗がミカの友達に答える。
握り締めていた拳が、勝手にするりと緩んだ。
え!?
って、ことは……
「合コンの相手!?」
思わず大きな声が出た。
しかも声、裏返ってるし!
「そーらしいね。どーもよろしく。えーと、ナナさん」
大野海斗は、そう言ってあたしに向かってニッと笑う。
嫌みの欠片も感じさせないその笑顔は、だけど裏がありそうで。
あたしには、まるで悪魔の微笑みのように見えた。
コイツが合コンの相手!?
コイツの顔、これから2時間は見なきゃならないの!?
もう二度と関わりたくなんてないのに!
やっぱり今日はツイてない日なのかもしれない……。