仕事とオトコ

(完結編)

everlasting love

「結婚……?」
 12月に入り、寒さもより深くなってきた季節。
 萌子の部屋にはこたつと石油ストーブが置いてある。そのストーブの上にやかんを乗せようとしていた萌子は、由岐のその言葉に体を固めてそう呟いた。
「うん。結婚しよう、萌子さん」
 ぐらりと、手に持ったやかんを落としそうになったところで由岐に支えられるように萌子は腰を下ろした。
「あぶないな、大丈夫?火傷しなかった?」
「ゆ、ゆ、由岐が変な冗談言うから……」
 柔らかに触る由岐の手のひらを、萌子はわざと追い払うかのように突き放した。
 冗談も程がある。
 萌子はきょとんとこちらを見上げてくる由岐を横目で睨んだ。
「え?冗談じゃないんだけど」
 萌子が睨んだところで、なんら動揺もせずにそう言ってのけた由岐は、こたつに寝転ぶように入っていた身体を起こして萌子を見据えた。

「結婚しよ」
 まるで、日常の何でもない動作を行うかのように由岐はそう告げた。
 当たり前のことを口にするような。
 けれど、決定事項と言わんばかりの確信を持って。
 目を見開いたまま驚愕の表情を崩さない萌子に、由岐は苦笑しながら立ち上がった。そして、彼女の髪を滑るように梳くと、そのまま自分の胸へと引き寄せた。
 由岐の甘い香が鼻をくすぐる。
 これは現実の事なんだと認識したとき、萌子は慌てたように由岐から離れた。
「ちょっと!由岐、自分が何を言ってるか分かってるの?」
「分かってるよ。ていうか、さっきから何でいちいち離れんのさ。こっち来てよ」
 不貞腐れたようにそう言う。
「分かってない!……由岐、あなたまだ22歳なのよ?私はもう来年29歳だわ…」
「くだらない事ばっか言ってんなよ」
 少し由岐の口調が強くなったことに反応して、萌子はちらりと由岐を見た。
 本当は。顔から火が出るほどに恥ずかしい。そして、飛び上がりたくなる位嬉しかった。けれど…由岐の事を考えると易々とそれを受け入れる事は萌子には出来なかった。
 男の22歳なんて、まだまだひよっこも良い所だ。それに、萌子は由岐と付き合う事を刹那的なものと考えていた。
 彼と一生を共に生きていく。
 それは、由岐と一緒にいるようになってから、何度夢見た事か分からない。
 けれど夢は夢でしかなかった。萌子の中では、現実に由岐と結婚だなんて
心の片隅にもなかったのだ。
 しかし、今、目の前の愛する男は…自分を人生の伴侶にしたいと言って来ている。
「俺の、奥さんになってよ。萌子さん」
 思わず、萌子は泣きそうに顔を歪ませた。
 あまりにも優しい由岐の瞳。自分を本当に想ってくれているのが一瞬で分かる表情。それらはいつでも、萌子の心の奥底を揺さぶるのだ。

「……無理。結婚なんて、出来るわけないじゃない」
 けれど、萌子の口から出てくる言葉は、心の感情とは裏腹なものだった。
「だって、由岐は…まだ若いのよ?早まったことして、後から後悔なんてしてほしくないわ。それに…由岐の親御さんだって何て言うか……」
 息子をたぶらかした年増の女だと言われても仕方がない。
 だいたい、由岐は定職にも就いていないじゃないか。
 萌子の収入だけで食べていけるとはいえ、何も考えなしの言葉だったとしたら、それはそれでショックだった。
「それは大丈夫。もう親には言ってあるから。それに、萌子さんも仕事やめなくてもいいよ。俺は、萌子さんが仕事が生きがいなの分かってるし。やめたければやめてもいいけどさ。……俺も、就職したし」
「は……?」
 就職?由岐が?そんなの聞いてないわ。お弁当やさんでまだ働いていると思ったのに、一体いつの間にそんな行動をしていたっていうの?
 ぐるぐると回る思考回路は、萌子を更に混乱させた。
 そんな様子の萌子に、由岐は笑みを深くする。
「萌子さんと結婚するために、ずっと就職活動してたんだ。それで、一応内定もらって、実はもう働き始めてる。給料は…萌子さんには全然及ばないけどさ、
でも、俺頑張るから」

 だから…。と告げて、由岐は、瞬きもせずにこちらを呆然と見つめている萌子に手を伸ばした。
 優しく腰を引き寄せ、自分の腕の中に閉じ込める。
 萌子の頭に唇を寄せ、由岐は溜息を吐くように呟いた。
「可愛い萌子、俺の傍にずっといてよ」
「……ユ…キ…」
 ぐっと込み上げる喉元の圧迫感を、萌子はもう抑え切れなかった。
 声を出したら、咳き込んでしまいそうなほどに溢れてくる激情。そして目を瞑っていても止め処なく流れる涙。身体は震え、萌子はただ、由岐の身体にしがみ付いた。
 そんな萌子を力強く抱きしめている由岐は、萌子を落ち着かせるように背中を何度か摩り、時折ポンポン、と軽く叩いた。
「泣き虫になったな、萌子さん」
「そ…っんな事…ない…わよ」
 ははっ、と声を上げて笑う由岐は、まるで世界で一番自分が幸せかのような笑みを浮かべ、少し悪戯な口調で萌子をからかう。
「ところで、返事は聞かせてくれないの?」
「……っう…」
「萌子さん?」
 本当は頷いてしまいたい。けれど…ここまで言ってくれても由岐の将来を思うと素直に頷く事が出来ない。萌子は眉を下げてただ由岐の瞳を見つめていた。
 すると、由岐はふっ、と息を吐いて萌子の涙を指でなぞりながら拭い、彼女の身体を拘束する腕をといた。
「ユキ…?」
 不安そうに呟く萌子を、もう一度抱きしめたくなるのを堪えて、由岐はソファにどっかりと座った。
 そして、萌子にも隣に座るように促す。
 萌子は、それに素直に従い…そのまま俯いてしまった。

「一生に一度だからさ、ちゃんと言うよ」
「……?」
「俺は、萌子さんを愛してる。それだけだよ。どんなカップルだって、色んな障害もってたり、乗り越えなきゃいけない壁だって沢山あると思うんだ。
だから…萌子さんも俺の事愛してくれるなら、それだけでいいんだ。
年なんて関係ないし、仕事も、続けたければ続ければいい。萌子さんが、俺とこの先ずっと一緒に居たいかどうか。それだけが重要なんだ」
「ばか…そんな、簡単じゃないのよ。恋愛とは違うんだから…」
「え?俺、そんな簡単なこと言ってるつもり、全然ないんだけど」
「…え」
 由岐は、鼻を啜りながら見上げる萌子に、目を細めて微笑みを向けた。
「はは、萌子さん、鼻の頭が赤くなってる」
 つん、と指先で萌子の鼻を突く仕草をする。急に恥ずかしくなった萌子は、そのまま由岐とは反対の方に顔を背けた。
 そんな萌子に、由岐は話を続ける。
「一生愛すのってさ、全然難しいと思うんだ…。けど、俺は、萌子さんとずっと一緒にいたい。萌子さんに傍にいてほしいんだ。もちろん、この先すっげえ喧嘩とかさ、苦労とかかけるかもしれないけど…それでも隣にいるのは萌子さんであってほしい。」
「…由岐…」
「萌子さんは違うの?」
 そんなの…。
 この先、ずっと。愛し合って、喧嘩して、命が果てるときが来るまで一緒にいる。
 悲しいときも。苦しいときも。嬉しいときも…傍にいて、愛し合う。
 その相手が、目の前にいるこの人だったら、それはどれだけ幸せなことなのだろうか。
 由岐は、そっと手を伸ばし、萌子の頬に指を添えた。
 萌子は、瞬きさえせずに由岐の顔を見つめた。
 そして……いつしか、確認するかのように、萌子は小さく頷いた。

 それが合図となって、目の前の由岐が顔を近づけくる。
 唇が触れる瞬間、萌子は、今まで見たこともないような由岐の表情を見た。
 胸の奥が熱くなる。
「愛してる」
 言葉にしても、何度そう口にしても、その言葉だけでは足りなくらいの想い。
 きっと、由岐と一緒ならば…苦痛な出来事さえ、共にしたいと思えるのではないだろうか?
 結婚というものが、終着点ではない。けれど…由岐と一緒ならば、その先にあるものも、全てを受け入れたいと思えるのだ。


 優しく萌子の髪を梳く由岐の指先が、まるで萌子の頑なな考え方を溶かしていくかのように…二人は、そのままソファで長い間抱きしめあった。
 この先もずっと……それは永遠に続くものだと信じて……。




END




当サイトBlue skyのリニューアル記念に・・・とmaribu様から戴いてしまいましたっ!
ririが以前、『仕事とオトコが一番好きなんです』と言ってしまったために、こんな貴重な小説を!!
いや。本当にいいのかしら〜と、恐縮してますよ!しかも完結編ですから!!
ririの為なんかに・・・凄く嬉しいですっ。本当に本当に有難うございますっ!!
maribuさんの小説らしく、甘くて胸がきゅうっとしてしまいました。
ラストも素敵です。。。やっぱり癒されます。。。♪
ユキ・・・可愛いのにいざという時は決めますね〜。

maribu様のHPはこちらから→【maribu'S room】(一部R指定があります)

 update : 2007.12.13