×××(kiss kiss kiss)

「だからねっ。あたしはもっと森さんは誠実な人だと思ってたワケ!」

電車は目的地の渋谷駅に着いたというのに。
待ち合わせ場所から始まったこの話は、未だに終わらないらしい。


「そっか、そっか」と、オレは適当に受け流し、開いたドアから人波と一緒にホームへと降り立った。


「晴生(はるき)ってば、ちゃんと聞いてるの!?」


一歩遅れて降りる奈緒子(なおこ)の声が、ざわざわとしたホームの音と一緒に背中から聞こえる。
振り向きざまにそこにある手を取り、「ちゃんと聞いてますよ、姫」と、わざと笑顔で答えてみる。

大体さ。
いくら親友の花音(かのん)ちゃんが、彼氏にいきなり『他の女と結婚する』って言われて振られたからって。
その花音ちゃんの彼氏ってのが、昔、奈緒子も憧れてた男ってんだからさ。
普通、彼氏……いや、もとい。婚約者の前では遠慮しないか?
オレ達、婚約したばっかりの、世間じゃラブラブのカップルの筈だろう?
ったく。コイツは昔っからそういうところに気が回らねぇ奴。
さっきから友達の話っつーより、ソイツの事、ばっかじゃねーか。

しかもこれがまたソイツがイイ男なんだよ。
若くて課長に昇進した仕事も出来るイケメン。奈緒子の会社の憧れの的ってやつだ。

たしかにさ。
奈緒子と再会できたのも、取引先の担当者だったアイツが、オレの地元を聞いて奈緒子と中学が同じだって分かって、接待に連れてきてくれたからなんだけど。
それには感謝してるけどさ。

だけど、それとこれとはまた別問題。

格好悪いから表に出さないようにしてるけど、オレはめちゃめちゃ焼きもち妬きなんだよ。
本当はコイツが関わる男、全部を張っ倒してやりたいし、腕の中にずっと閉じ込めておきたいとか思うくらい病的な。

そんな事言ったら奈緒子の事だから、「ばっかじゃない?」なんて、鼻で笑うんだろうな。
ちくしょ〜。惚れたモンの負けってヤツだ。
マジで、今迄のオレからは想像が出来ないくらいに、この女にハマってる。


赤信号のスクランブル交差点。
日曜日の今日は、これでもかと言うくらいの人の多さだ。
信号待ちをするその人混みの中で、存在を確認するように、繋がれた手の先の相手を見下ろした。
小柄な奈緒子の頭の天辺。つむじさえ愛しいとか思うオレって変態?


「もう……本当にショックだよ、こんな事があって。
だって、森さんは絶対に花音の事、大事にしてると思ってたんだもん」

はぁ。と。小さな溜息を吐きながら、流れていく車達を見つめて奈緒子は呟いた。

つーか。
まだアイツの話、続くワケ?
思ってた、って、何だよ?

ムカムカと、胃が叫びを上げ始める。


信号が青に変わった。
人波が流れ出す。
それと同時に、オレも奈緒子も足を前へと動かし始める。

交差点の真ん中辺に差しかかった時、びゅうっと、冷たい風が通り過ぎた。
吹きつけるそのビルの合間の風が、奈緒子の長い髪を撫でて、白いうなじをあらわにさせた。

その瞬間、ぐっと胸に突き上げるものがあって、思わず奈緒子の腕を力いっぱい引いた。

「きゃっ」

と、小さな悲鳴を上げた唇を、オレは塞ぐように口づけた。
柔らかく温かく、オレを引き寄せるかのような、その赤い小さな唇。

通り過ぎゆく人の注目を浴び、痛いくらいの視線が飛んでくる。


―――スクランブル交差点の真ん中のキス……


人波は、寸前でオレ達を上手にすり抜けて行ってくれる。
まるでスローモーションのように、流れる人の景色が一コマ一コマ移り変わっていくのが、細めた目に映った。


唇を離すと、奈緒子は頬をほんのり赤く染め、上目遣いにオレをぎろりと睨んだ。


「こんなトコで何すんのよっ?」


そう言うと、大股で渡りかけの横断歩道の残りの道のりを、先に歩きだした。
オレもそのすぐ後ろを追いかける。
点滅し始めた青信号と音楽に、急かされて皆足を速め始める。
そんな中でも、すれ違いざまの人が、「こんな所でなにやってるんだよ」と呆れた視線をオレ達に送ってくる。

まぁ。普通はこんなトコでキスなんかしたら怒るよな?さらしものだし。
でも。
怒ってるのはオレだっつーの。


渡り切ったところで、振り向いてまたオレを睨む奈緒子に言ってやった。


「お仕置き、だよ」


違う男の話ばかりするからだよ。
オレの事だけ考えろよ。


奈緒子は一瞬、怒っていた表情を止めると、すぐに「何、それ?」といった怪訝そうな顔をする。
そして、またオレを上目遣いに睨む。

だけどそうかと思うと、急に腕を引っ張られて――――……奈緒子の踵が上がった。

え?と思うと―――

―――キス……された。

しかも、舌まで差し込んで絡めてきやがった。
こんなところで。
オイオイ、皆見てるんだけど?


それなのに、頭の奥の方がキン、と、痺れたような感じがして、思わず瞼を閉じかけると、奈緒子の柔らかい唇の感触が離れていった。


車の走り去る音と街の雑音が、オレ達の間に流れ込む。


「何だよ?」

と、オレはちょっとだけ動揺して訊く。

だけど奈緒子は、しれっと澄ました顔でオレに向かって答えた。


「仕返し」


仕返し〜???
こ、コイツ……っ


言葉が出ないでいるオレに、追い打ちまでかける。


「で。何のお仕置きだったの?」

首を傾げて下からオレを覗き込む。
悪戯っぽく、艶のある唇の端をほんの少し上げて。


可愛いじゃねーか。
コイツ。マジでかなわねー……
『仕返し』じゃねぇっつーの!

友達の彼氏に嫉妬した、なんて、言ってやらねー。
オレがこんなに焼もち妬きなんて、ぜってぇ秘密だ。
死ぬまでな。

つーか。覚悟しとけ?
ぜってぇ、お前の方がオレを好きにさせてやるからな。
人生まだまだ長いんだから、な?


腕を伸ばし引き寄せて、ぎゅっと肩を抱く。
細い肩を抱きしめたその手に、奈緒子の髪がふわりと触れた。

何よ?という顔を見せてオレを見上げた奈緒子に言ってやった。


「お前が可愛すぎるからだよ」





END

update : 2008.01.08