side-A
「どう?」
ベッドを覗き込むと、優海は読んでいたマタニティ雑誌を閉じて、こちらに顔を向けた。
そして横たえていた身体をのっそりと起こす。
「あー、あかり。
わざわざ来てくれたんだ?」
「今日はシフト休みだから。
赤ちゃんは、大丈夫なの?」
「元気みたいよ」
「良かった。
ね、横になってなよ。
絶対安静なんでしょ?」
「平気、平気。
点滴効いてるし」
あはは、と笑いながら、あっけらかんと言う。
看護師のクセに。
自分の勤務する病院に切迫早産で入院しているっていうのに、模範にならないじゃない、と内心思いつつ、ベッドの横に置いてある来客用のパイプ椅子に腰かけた。
……あれ?
何だか、お尻のトコロがあったかい。
「さっき、海斗も来てたんだ。
ホントにちょっと前だよ。会わなかった?」
「残念、会わなかった」
……そっか。
海斗、来てたんだ。
仕事の合間に寄ったのかな。
優海の入院のことは、昨日お店で海斗から聞いた。
「ところで」
と、あたしは身を乗り出して切り出す。
「何したの?」
優海は「は?」と、全く何を言っているか理解出来ないように眉を顰めた。
「海斗に、よ。
何か、怒ってたみたいだけど」
「あかりにはバレちゃうねぇ」
「当然っ。
アンタとも海斗とも、何年越しの付き合いだと思ってるのよ?」
優海とは、中学時代からの付き合いだ。
よく家にも遊びに行っていたから、海斗のことも小学生の頃から知っている。
三つ年下の、生意気で、顔の綺麗なマセたガキ。
いつだか遊びに行ったら、海斗の部屋から出てきたウチらの同級生の女子と廊下で鉢合わせたこともあったっけ。
あのときは、さすがに驚いたなぁ。
……と、いうか、引いたっけ。
そんなことを思い出していると、優海が言った。
「菜奈ちゃんに、会ったから」
「……え」
ドキッとした。
――『菜奈ちゃん』
海斗の、彼女。
「海斗が持ってた写真よりも、ずっと可愛かった。
で、何だかあたしのこと、海斗の女と勘違いしてたみたいだから、ちょっとねぇ」
「………。
で?」
「あれはさー、からかいたくなるわけよ。
本気にしちゃってたから、おかしくって。
笑い堪えるの必死になってたら、お腹痛くなった……。
で、そのまま海斗呼んでもらって、病院に直行、ってワケ」
「………。
ソレ、自業自得でしょ?」
「だってぇ、面白かったんだもん」
「……全く」
この調子だ。
海斗に対して、小さな頃からそう。
からかって遊んで、楽しんでる。
さすがの海斗も、優海にはどうしても敵わないらしい。
だけど……。
「あたしも、菜奈ちゃんに会ったよ」
「うっそ!? どこで!?」
「お店で。
たまたまワンピ買いに来てた。
それがね、色がなくて取り寄せしたんだけど、伝票の名前が彼女だった。
気が付いたのは、菅ちゃんだったけど」
「そうなんだ」
「似てた」
「え?」
「カナに」
優海は目を丸くする。
そして、クッと笑った。
「やっぱり思った?」
「うん」
「ホントにさぁ、カナに似てた。
黒目がちな大きな目とか。
人懐っこそうなカンジとか、雰囲気が」
「うん」
「海斗ってば、六匹も子犬がいる中で、真っ先に『絶対コイツ』って抱き上げたもんねぇ」
笑っているけれど、少し寂しそうに言う優海。
両親が共働きで、小さな頃は常に二人でいることが多かった優海と海斗。
お互いの存在は、そのときから培われたずっとずっと大きなモノ。
他の何かとは変えられない、特別な絆。
優海がちょっかいばかりかけているのは、愛情のしるし。
本当は、可愛くて仕方のない弟なんだよね。
菜奈ちゃんが、海斗にとって、他の女の子とは違うこと。
嬉しいけれど、どこか寂しいのも。
あたしは、知ってる。
それにね。
優海、気が付いてた?
海斗が女の子を家に連れ込むようになったのは、あのときを境にして。
優海に、初めての彼氏が出来たときから――。
あたしは、知ってるよ?
「ちょっとっ! あかりってば、何笑ってんの?
気持ち悪っ!」
「別にー」
「何よ! マジでっ。
いやらしーっ」
ボン、と腕を押してくる。
それでも笑いを止めないでいると「いいわよ」と優海は口を尖らせた。
「あかりこそ」
「え?」
「彼のプロポーズ、今度こそ受けたの?」
「―――」
「綺麗に吹っ切れた顔してる」
「………」
そんな顔、してたかな……。
あたしはほんの少し黙り込み、答えた。
「昨日、お願いしますって言った」
「そう。おめでとう」
「……知ってたの?」
「何年、友達やってると思ってんの?」
「そっか……」
「まぁ、本人は結構鈍いから、気付いてないだろうけど」
「……まぁね」
「あかりの恨み、少しは晴れた?」
ニッと、優海は笑みを見せる。
……ああ、そういうコト?
こいつってば。
苦笑いを返すと、優海は優しい笑顔に変わった。
「幸せに、なりなよ」
「優海もね」
いつだろう、自分の想いに気が付いたのは。
傍にいるのは当たり前で、近くて遠いオトコ。
オンナに軽くて、生意気な、親友の、弟。
OLをやっていたあたしが、婦人服の販売なんてやるようになったのも、アイツがきっかけ。
上司と不倫して、毎日泣いていたあたしを「やめちまえ」と救い上げてくれた。
だけど、もう、そのとき海斗は知っていたんだ。
本当の、愛を。
一人を想って、愛し愛され、それがどれだけかけがいのないものかを。
だから………。
多分、あたしはそんな部分に惹かれた。
今迄持っていなかったモノを、手に入れた海斗に。
だから分かるの。
海斗にとってどれだけ彼女が特別なのかも。
それはきっと、彼女以外では得られなかったもの。
そして、決してあたしの今の立ち位置は変わらない。
たとえ恋愛感情はなくても、他の人とは別で、大切にしてくれる。
きっと、これからもずっと。
今は、あたしも知っている。
好きな人がいるから、と言っても「いつまでも待つから」と言ってくれた彼。
一緒にいて、いつの間にか、積み重なった気持ち。
一瞬で燃え上がる恋もある。
だけどこうやって、少しずつ信頼が深まって、温かい気持ちになって、いつしか愛だと気付くことだってあるのだ。
もう、大丈夫。
100%彼に向ける自信がついた。
後ろは、振り向かない。
前だけを向いていく。
そして、今まで以上に積み重ねていけばいい。
これから、長い年月をかけて、二人で。
くつくつと笑う声が聞こえてくる。
ハッとして見ると、今度は優海がお腹を押さえながら笑いを堪えている。
「ちょっとっ! 何笑ってるのっ?」
「だって……あかりってば、物想いにふけってるんだもん。
らしくなーい」
「ったくっ! そんなふうに笑ってると、またお腹痛くなっても知らないわよっ」
「大丈夫、大丈夫……っ……た、た、た……」
優海は凄い勢いで眉間に眉を寄せ、両手でお腹を押さえ込んだ。
「ちょっと! だから言ったのに……!」
もう! と、あたしは優海の身体を支え、ゆっくりとベッドに寝かせる。
病室前の名前プレート。
『大野 優海』の『優しい』にバツがついて、『勇しい』の字に直してあったこと。
……多分、海斗のささやかな仕返しだろうけど。
確かに『大野 勇海』のが似合ってる、ね。
しばらくは、黙っておくことにしよう。
END