Sweet Little Secret
ようやく捕まえたタクシーに華奢な身体を押し込んでやると、オレを差し置き、菜奈はさっさとシートに凭れかかり目を瞑った。
眠ってるんだか、眠りそうなのか、もう既にぴくりとも動かない。
自分も隣に乗り込むと、その身体を揺さぶった。
「おい、オマエ、家どこ?」
「んー……?」
「家!」
「新川崎ぃ……」
……新川崎かよ!
遠いじゃねーか!
心の中で舌打ちし、運転手に仕方なく行き先を告げる。
オレの気持ちも知らずに、車は光を無数に灯した夜の街を走り出す。
全く。
何でオレが、と思う。
いや、付き合って好きにさせてみろって、言いだしっぺはオレだし。
皆の前でも「オレ達今日から付き合うから」と、さっき宣言したばかりだ。
そうなったら当然、『彼氏』のオレが家まで送り届けるしかない。
――この、ベロンベロンに酔っぱらったコイツを。
「大丈夫か?」
「……るさいなぁ」
「うるさい、ってなー……。
オレ、一応心配してあげてるんですけど。
わざわざ送ってあげてるんですけど」
「彼氏だったらぁ、当然でしょ?」
「………」
……ったくっ。
オレも、シートに身体を沈めた。
これ以上喋る気にもならなくて、取りあえずわざとらしく大きな溜め息を吐き出してやった。
……まぁ、今のコイツだったら、そんな嫌みも全く通じないんだろうけど。
大体、飲み過ぎなんだよ。
付き合う約束をした時点で、そこそこ酔ってたはずなのに。
皆のトコロに戻って、オレの隣に座ったかと思ったら、いきなりショットガン飲んでるし。
そのあとも、随分飲んでた。
菅野の横に座ってたときには、猫かぶってやがって。カワイコぶった笑顔振りまいてさ。
――マジでムカツク女。
めちゃめちゃ美人なわけじゃないけど、まぁ、可愛いんじゃん? ――なんて。
ちょっとでもそう思った自分もムカつく。
大体、人を痴漢呼ばわりしやがって――どれだけ大変だったか分かってんのかよ!
……って、思い出したら、益々イライラしてきた!
コイツ、絶対オトしてやるからな。
見てろよ?
と、その瞬間、諸悪の根源が、肩に凭れかかってきた。
緩く巻かれた髪先が、腕にふわっと触れた。
くすぐったい。
「ねぇ……」
「え……?」
「ごめん、ね?」
耳を擽るような甘い声。
潤んだ瞳が上目遣いに見つめてくる。
大きな黒目に、街の灯りが白く濡れたように反射し、その中にはオレが映り込んで揺れている。
なんだよ。やっぱ、結構可愛いじゃん。
つーか、誘ってんのかよ。
まぁ、そんなもんだよな。
オレは別に、いただければいいけど。
つーか、いただきます。
垂れ下っている髪をかき上げ、覗き込むようにして顔を近づける。
ちゅ、と。吸い付くように小さな音を立てながら、軽く唇を合わせる。
ほんの少し浮かせ、今度は触れたと同時に舌を入れ込んだ。
柔らかく、弾力のある唇。
熱を持つ口内を、本能のまま、まさぐる。
甘く舌に絡んでくるのは、菜奈が最後に飲んでいたカシスオレンジだ。
なんて思った瞬間、いきなり胸のあたりを勢いよく突き飛ばされた。
「気持ち悪いっ!」
……は?
気持ち悪い?
突然吐かれたセリフを消化出来なくて、2秒ほど唖然とした。
「何言ってんだよ! 無抵抗だったくせにいきなり!」
「……気持ち悪いっ……吐く……」
菜奈は、「うっ」と口元を掌で押さえた。
「ちょお……っ! 待て、待て、待てっ! ココで吐くな!
運転手さん! 停めて下さいっ!」
無言のまま、運転手はすぐさま車を左に寄せた。
バックミラー越しに見えた運転手の顔は、嫌悪感丸出しの顔つきだった。
そりゃあ、大事な商用車にやられたら、たまったもんじゃないだろう。
オレだって困る。
車が停車すると、運転手よりも先に慌てて自分でドアを開け、菜奈を抱えて外に連れ出した。
……間一髪。
すぐ脇で屈みこんで苦しそうな声を出すコイツを見ていたら、ちょっと可哀想かな、と思う。
仕方なく、背中をさすってやる。
薄っぺらい身体。
簡単に、折れそうだ。
菜奈は少し落ち着いたのか、一息ついた。
「大丈夫か?」
声をかけると、菜奈は座ったまま振り向き、その場からオレを見上げてきた。
「大丈夫なわけないでしょ」
……やっぱ、可哀想じゃねぇ……。
「もう平気ならいくぞ」
全く、ムカつく女だ。
開け放したままのドアから、先に車内に乗り込もうとした。
そこで背中に軽く衝撃を受ける。
菜奈が、寄り掛かってきたからだ。
「……すっきりした」
「……は?」
「気持ちイイ、あったかい」
腕を回され、背中から抱き締められる。
コイツ、わけわかんねぇ。
酔ってるのか?
……いや、酔ってるんだった。
「いーから、早く乗れ」
「うん。ありがと」
「ほら」
触れている腕を解き、先に車に乗るようにと促した。
菜奈は力なく乗り込む。
続いてすぐに自分も乗り込むと、運転手に言った。
「すみませんでした」
「大丈夫ですか?」
あまり心のこもっていないソレに、「はい」と答えると、タクシーはまた動き出した。
菜奈は、すぐにオレに寄り掛かってきた。
出す物を出したらスッキリしたのか、気持ち良さそうに目を閉じて。
まるで何の罪悪感もないように。
オレの横が安心したような、無垢な顔つき。
本当は、コレがコイツの手口なのか――。
ムカつくのに――憎めないっつーか、なんつーか。
まぁ、いっか?
どうやら寝てしまった様子の菜奈の頭を、膝の上にそっと移動させてやる。
「ん、」と、菜奈は小さく声を漏らし、顔を傾けた。
落ちないように、と、思わず手を出すと、指先が菜奈の唇にふと触れた。
柔らかい。
ついさっきキスしたときの感触が、思い出される。
まだ、口内にほんのりと残る、甘い味も。
おかしくなって、ふっと笑いが漏れた。
こんなのも、アリ――だな。
自分も深くシートに凭れた。
車が走る緩やかな震動が心地良くて、一緒になって目を閉じた。
……気持ちイイ。
この後、いくらコイツを起こしても起きなくて、家の場所も分からないオレはまた四苦八苦することも知らずに――。
次の日、手を出さない、って約束をすることも知らずに――。
本当は、もうこの時点でキスしてたんだけど。
そんなことは言えるわけもなく……。
だからまぁ、コレは、コイツには絶対に、秘密。
END