necessity

 溜め息交じりに吐き出した紫煙で、見慣れた天井が歪んで見えた。シンとした部屋に聞こえるのは、ただ自分の息の音だけ。
 床に寝転がった位置から、テーブルの上の携帯電話をちらりと一瞥する。
 変わらず着信がないのは分かっているのに、気になって仕方がない。この小さな機械が、これほどまでに重く存在感を沁み渡らせるなんて、かつてあっただろうか。
 彼女も、いつもこんな気持ちで携帯が鳴るのを待っていたのだろうか。

「もう、待つのは限界なの」
 一週間前、突然彼女がそう言った。
 いつものように午前を回った時刻に帰宅した俺を、めずらしく起きて待っていたと思った途端だった。
「どういう意味?」
 訳が分からず訊いた俺の顔から、彼女は瞳を逸らした。
「一緒に暮らしていても、遠い気がしてならないの。仕事が忙しいのは分かるけど、電話もメールも返事さえなくて……。ただ、部屋で待つだけは辛いの。ずっと寂しかったの」
 言われた言葉は尤もだった。忙しいのにかこつけて、何もしてやらなかった。別れたいと言われても自業自得だ。
 次の日彼女は出ていった。二年間の同棲生活はそこであっけなく終わってしまった。
 彼女と荷物が消えた部屋は、一転して冷えたものに変わった。
 疲れた体で帰宅して、そこにあった筈の誰かの気配がないことが、どれだけ寂しいものか痛烈に感じさせられた。
 いつも帰ると既に彼女は寝ていることが多くて、会話さえままならないことが殆どだったけど。そこにあった息遣いが、どれだけ俺を安心させたか。
 彼女の、存在の重みも――。

 彼女が出ていった途端、日曜日が従来通り休みだなんて、皮肉なものだ。この休みがあと一週間前だったら、今とは違っただろうか? 彼女は俺の横にいただろうか……? いや、『だろうか』なんて言葉はありえない。俺は何も行動していないじゃないか。本当に伝えなきゃいけない言葉も、本当に大事なものにも気が付いたのに。
 ムクッと体を起こすと、乱暴に灰皿へ煙草を押しつける。
 そして、その隣の携帯電話を引っ掴んで、玄関を飛び出した。
 内から込み上げてくる何かに急き立てられるように走る。
 交差点の赤信号でようやく一度足を止め、ずっと手に持ったままの携帯を開いた。
 乱れた呼吸を整えるように深呼吸し、彼女へと電話を掛ける。こんなふうに電話をかけるのは、どのくらいぶりだろう。心臓が高鳴る。
 耳元で鳴るコール音。その音に合わせたように、背中から聞き覚えのある電子音の旋律が鳴り響く。
 ――これは、偶然なのか、必然なのか。
 もう一度深く息を吸い込む。
 そしてゆっくり振り向くと、彼女が電話を取る前に、腕を伸ばした。



END




※こちらはお題小説です→携帯電話。1000文字。

update : 2008.10.31