恋の花

大きな轟音と共に夜空がぱっと明るくなり、夏の花が開いた。
それと共に上がる歓声。


――今年の夏、最後の花火大会。


「始まっちゃったね。急いで皆の所に戻ろう」


そう言いながら、あたしの横を歩く彼の方を向いた瞬間だった。
あたしの唇に彼の柔らかな唇が触れた。

――ホントに軽く一瞬。

あまりにも突然の事で、目を瞑る余裕さえもなかった。
『触れた』と思った時には既に、唇は離れていたんだから。

きっとこれだけ大勢の人がいても、花火で誰も気が付かないんじゃない?ってくらいの一瞬の出来事。

それでもあたしにとっては天地がひっくり返るくらいの驚きで、持っていた500mlペットボトル数本をバラバラと落としてしまった。

花火は夜空に次々と上がり始めた。
光が色を変えて夜空を染め上げ、それと共に響く音が、耳にこびり付くようにじんと残る。

彼は落ちたペットボトルを無言で拾い始めた。
赤い光が空から放たれて、その彼の姿を赤い輪郭で型取る。

あたしも彼に吊られてペットボトルを拾い出した。

何も言えず、震える指先で、ただ懸命に拾い集める。

だけど。
花火の音と、心臓の音が混じり合って、どちらが大きいのか分からない程、煩い。


最後の一本、というところで2人同時にそのペットボトルに手を伸ばしてしまった。
あたしの手に彼の指が軽く触れた。

ほんの一瞬なのに。
それなのに、そこから熱が吹き出すみたいに熱くなる。

その前に触れた唇も。
彼の感触が生々しく残っている。


「ゴメン」

と、彼は小さな声で言った。


それは、手が当たった事?キスした事?


気が付くと、あたしの目からはぽろぽろと涙が零れ落ちていた。

嬉しさと罪悪感。
どちらも入り混じった涙――――



あたし、吉永 亜矢(よしなが あや)は、彼、北村 郁(きたむら いく)にもう一年以上片思いしている。

あたしの気持ちなんて絶対に叶わないと思っていた。

だって、彼の横にはいつも当たり前の様に真沙美(まさみ)がいたから……。



1年生にしてサッカー部のレギュラーで、背が高くって甘いマスクの北村くんが女の子にモテない筈がない。
それなのに今まで1度だって彼女の噂なんか聞いた事はなかった。

それは彼の幼馴染、真沙美がいつも彼の横にいて、誰もが2人は相思相愛だと思っているから。

だけど、幼馴染という枠から抜け出せないのか、素直になれないのか。
今も2人は平行線のままでいる。

そんな北村くんに少しでも近づきたくて、あたしは真沙美と仲良くなった。

あたしは本当は凄く醜い心を持った女なのだ。
真沙美が北村くんを好きと知っていて、彼女に友達として近づいたんだから……。



『亜矢は好きな人いないの?』


いつだか真沙美にそう聞かれた事があった。

その時、あたしは迷わず嘘をついた。


『いないよ』


でも、真沙美もあたしに嘘をついた。


『真沙美こそ、北村くんが好きなんでしょ?』

『え?郁?
まさか!あいつは幼馴染以外の何でもないよ!』


真沙美は強い口調で言って、おどけてみせた。

だけど。
その後。一瞬、悲しそうな顔をした。
曇らせた表情の、瞳の奥は揺れていて。

あたしはそれを見逃さなかった。
見逃すことは出来なかった。

――何より彼女が彼の事を好きだという証拠の顔。





胸に抱えた数本のペットボトルが、じわじわと指先を冷していく。

あたしは泣いているのを隠すように、北村くんと反対を向いて言った。
何事も無かったかの様に。


「皆、待ってるよ……」


クラスの仲の良い何人かで今日の花火大会に来た。
じゃんけんで負けた買出し係のあたしに、持ちきれないだろうからといつもの調子で真沙美が北村くんに言ったのだ。

『郁がついてってやりなよ。一応、男なんだから。荷物係!』

と。

戻るのが遅かったら、きっと真沙美に変に思われる。

きりきりと胸が痛む。

北村くんと少しでも仲良くなりたくて彼女に近づいた。
――その筈なのに。



あたしは俯いて無言で歩き出した。


「待てよ」

「………」

「ゴメンって。嫌だったよな」


早足で人混みを縫い歩くあたしの背中から、彼の声が響く。


嫌なワケないよ……。
でも、本当は真沙美が好きなんでしょ。
何でこんな事するの……?


でも言葉が出なかった。
きゅっと、唇を引き結び、進める足を更に速める。


「こっち向いて、って」


ぐっと、北村くんは後ろからあたしの腕を掴んだ。
触れる部分が、熱い。
目頭が、更に熱く痺れる。


泣いてるの、ばれちゃうじゃん……。
どうしよう。


振り向けない。
だけど、あたしの腕を掴む彼の手に力が籠る。

あたしは観念したように足を止めた。

あたしの前へと回りこんできた北村くんは、驚いた表情を見せた。


「ゴメン。こんな急に……。
嫌なの当たり前だよな」

「………」

「でも、横で笑ってる亜矢を見たら我慢できなかった。好きだから。」


え?
……嘘


俯いていた顔が反射的に上がる。
その先の表情は、とても嘘や冗談を言っているような顔つきではなくて。

心臓は、バクバクと音を立てる。
体中の血液が熱く脈打ち始める。

掴まれた腕から彼に伝わるんじゃ、と思うくらい、熱く。


「だって……真沙美は……?」

「真沙美?」


へ?と北村くんはきょとんとした顔をした。


「北村くんは、真沙美の事が好きなんじゃ……?」

「真沙美はただの幼馴染じゃん」


――ただの幼馴染?
……そうなの?

でも……でも真沙美は……。


あたしは茫然と立ち尽くして彼の顔を見つめた。

すると、北村くんはあたしの手を離し、ポケットをごそごそしてからあたしにリボンがくしゃくしゃになった小さな箱を差し出した。


「これ」

「……え?何……?」

「だって、今日誕生日だろ。17歳の」


嘘……


ビックリした。
多分、間抜けな変な顔した、と思う。

じんわりと胸の奥の方から温かいものが込み上げてくる。


「何で知ってるの……?」

「真沙美から聞いた」


その言葉を聞いた途端、さあっと血の気が引いた気がした。
真沙美への罪悪感が込み上げて、心臓を鷲掴みされたように苦しくなる。


真沙美はどんな気持ちで北村くんに教えたの……?


目の前に差し出された小さな小さな箱。
手をほんの少し伸ばすだけで届く位置なのに、あたしはそうする事が出来ない。


受け取れずにいると、北村くんはあたしの浴衣の袖にそっとその箱を入れた。


「そんなに飲み物もってたら受け取れないよな」


そう言って、あたしに極上の笑顔を向けた。


憧れてた。ずっと。

こんな風に、あたしだけにこの笑顔が向けられる事を。

でも……。


あたしは思わず走り出した。

彼になんて答えていいか分からなかったから。
真沙美に対しての気持ちも溢れ出して、今、この場から逃げ出すことしか出来なかった。


恋と友情。
どちらもあたしには大切なもので。
選べる筈なんてなかった。

不純な動機。
だけど、今はもう。
あたしにとって今の真沙美は、常に心の深いところにある。

――大切な、かけがいのない友達になってしまった。


北村くんの声が聞こえた気がした。
だけど、それはすぐに花火と人のざわめきに紛れた。





……苦しい。

そう思って、ようやく足を止めた。

何処だろう?
長く真っ直ぐ続く河川敷。

自分でも何処をどう走ってきたのかも分からなくて、息がもの凄く苦しくなったから足を止めた。


息だけじゃなく、胸も熱く苦しい……。


立ち止まったあたしの目の前を次々と人が通り抜けて行く。

楽しそうに笑う子供連れの家族。
熱帯夜の中寄り添う恋人達。

あたしはぼーっと通り行く人を見つめていると、いきなり後ろから衝撃を受けた。
誰かがぶつかったのだ。
その衝撃でまた持っていたペットボトルを落とした。

深く溜息をついた後、ゆっくりとした動作で拾い始める。
冷たかった筈のペットボトルは何時の間にかもう生ぬるくなっていた。


顔だって涙でぐしゃぐしゃだし……。
このままじゃ皆のトコに戻れないじゃん……。


ふう。と。深い溜息。

それと同時に携帯が鳴った。
メールの着信音。


戻るのが遅いから、心配して誰かがメールしたのかも……。


あたしは、手からぶら下げていた小さな巾着袋から、携帯電話を取り出した。


どきりと心臓が跳ねる。

ディスプレイには、真沙美の名前。


手が震える。

また心臓が誰かに鷲掴みされたようにぎゅうっと苦しくなった。

瞼を閉じる。
ゆっくりと息を吸い込み、細く吐き出す。

そして。瞼と、携帯を開く。


『亜矢 どうだった?上手くいった?
これはあたしからの誕生日プレゼント。
いつまでも素直に言ってくれない亜矢へのサプライズ。
郁のコト好きなのバレバレだからね。
前に聞いた時、教えてくれなかった事かなりショックだったんだからね!

P.S ちなみにあたしの好きな人は郁のお兄ちゃん。

親友・真沙美ちゃんより』



え……?
これって……。

誕生日プレゼント?
サプライズ?
好きな人は、北村くんのお兄さん――?


頭の中が上手く纏まらない。


そして、次の瞬間、後ろから誰かに引き寄せられた。


「女の子一人じゃあぶねーじゃん!」

「北村く…ん……」


掴まれた腕の先には、彼が――いる。


息を切らして、心配そうな顔をする彼。
腕で汗を拭った。
そんな姿が、また花火の光で赤く染まって浮かび上がる。

皆の為に買ったペットボトルも、もう1本も持っていない。
あたしのコト、走って本気で探したのが覗える。


「俺のコト嫌いでも、マジで花火大会に女の子一人で歩くのなんてヤバイし。
気まずいなら、皆の所まで送って行くから……」


あたしの目からはまた熱いものが込み上げた。


「違うの……。
嫌なんかじゃない。そんな訳ある筈ない……」

「え……?」

「だってずっと好きだったんだから……」

「マジ、で……?
だって、さっき……」


北村くんは驚いたような、嬉しいような、二つが入り混じった顔をした。


「ごめんなさい。
あたし、真沙美と北村くんはお互いに好きなんだって勘違いしてて……」

「ええっ!?有得ないし!」


そう言うと彼は、一度恥ずかしそうに咳払いしてから続けて言った。


「だって、俺、1年のときからずっと亜矢に片思いしてたんだけど」

「えっ?」

「でもどうしていいか全然わかんなくてさぁ。
2年で同じクラスになった時はラッキーって……。
どうにか仲良くなりたくて、真沙美に亜矢と仲良くなってくれって頼み込んだんだ。」

「………」


言葉が詰まる。


……嘘……
北村くんも、真沙美に……!?


「アイツは俺の兄貴が好きだから、いつもお互いに相談しあってた。
俺らってちっこい頃から一緒にいて、ホントに兄妹みたいなもん。
まさか、誤解されてたなんて思わなかったな……」


今度は、はぁ。と。大きく溜息をついて項垂れる。

誤解されてたのが、そんなにショックだったのかな?


「つーか、亜矢、俺のコト好きって言ったな?」

「えっ?う、うん。好き、だよ……」


あたしは言ってから、顔がみるみる熱くなるのがわかった。
きっと、真っ赤な顔してる。


「じゃ、2人でバックれよ?」


――え?


そう答える間もなく、あたしの唇は彼の唇で塞がれた。

――2回目のキス。

さっきの軽いキスとは違う。
温かくて優しい彼の想いが伝わってくるキス。


これから始まる、ふたりの。


頭上では、大きな音を立てて色とりどりの花が乱れ咲いていた。
赤、青、黄色、緑――光の粒が、あたしたちに降り注ぐ。


そして。

あたしの恋の蕾も。
一緒に大きく花開いた。




END

 update : 2008.05.19