key to my heart

何だか。足元が浮いている感じだ。
現実味が無いというのか。
だけど、緊張しているわけでもない。
自分でも……よく分からない。
この気持ちの表し方を、言葉にすることなんて出来ない。

未知花に会うのは何年ぶりだろう?


歩きながら、頭の中で指を折る。


……5年……


同窓会が行われるのは、新宿の何処にでもあるありふれた居酒屋。
地下に伸びる薄暗い階段を降り、透明なドアが左右に開かれると、独特の空気が流れ込み包まれる。
煙草と酒の香り。人の熱気のようなモノ。

週末ということも手伝い、店内はかなり混雑していて、煩いくらい人の声がどこもかしこも上がっている。

その中を歩き出し、奥の座敷の方へ知る顔を探すと、急に後ろから、ぐん、と腕を引かれた。
誰だ? と、反射的に振り返る。


「海斗、くん……」


息が、止まった。
会うつもりで来たのに。
だけど。いきなり目の前に現れるなんて。


未知花も、動揺したような瞳を見せた。
オレの腕を掴む細い指が、微かに震えている。指先も、冷たい。


「久しぶりだな……」


ふっ、と。自然と笑みが零れた。


「うん」


緊張していた頬が緩んで、ピンク色の小さな唇がそう答えながら柔らかく笑った。


――変わって、ない。


そう思った。

随分と大人っぽく、綺麗な女性にはなったけれど。
人を温かくさせるようなこの微笑みは、昔のままだ。
ずっとずっと。好きだった笑顔。
オレだけに向けて欲しいと。どれほど強く思ったことか。
今、腕に触れる指も。どれほど触れたいと、手に入れたいと思ったか。
そう――ずっと。


「あたし……会いにきたの。海斗くんに」

「……え?」

「今更だ、って……思うかもしれないけど……。
ずっと、会いたかったの。
忘れたこと、なかった……」


未知花の声が、すうっと頭の中に入り込んだ。

それ以上を口籠もった未知花とオレの間には、ただ店内の雑音と人の声が流れる。

未知花は、潤んだ瞳で真っ直ぐにオレを見つめた。


――ずっと、会いたかったの。
――忘れたこと、なかった……。


それは。そういう意味だろう。
オレがずっと望んでいた言葉。

それなのに。
何も感じない。
心は動かない。

今、目の前に。手が届く位置にいるのに。
未知花が触れている腕よりも。
アイツがさっき触れた背中の感触が蘇り、疼く。


何で恋愛感情ないとか、会ってきてとか言うんだよ。
何で背中を押すんだよ。
何で平気なんだよ……。


分かんねぇ……
オレに気があるのかと思ってたのに。
全く、分かんねぇ……。


目元を赤く腫らせた顔が、頭の中に思い浮かぶ。


何であんな顔してたんだよ。
何が原因でオレが行く前に泣いてた?


未知花に会って確かめたいと思っていた気持ちよりも。
菜奈をあのまま一人で置いてきた罪悪感のほうが、大きく胸を締める。

自分の気持ちの先が何処に向かっているのか。
ハッキリと。思い知らされた感じだ。


――抱き締めたい。

今、アイツのところに行って、抱き締めたい。
壊れる程、強く。


こんなときなのに。
そんな感情がせり上がった。



「海斗くん……」


未知花が呟いた声に、ハッと引き戻される。
それと同時に、「海斗―」と、奥から大きな声が聞こえた。
未知花が驚いたようにぱっと腕を放した。


「久しぶりだなー。遅かったじゃんよ。もう始まってんぞ?」


馴れ馴れしく話し掛けてくるけれど。内心、誰だったけ? と心の中で首を傾げる。
数秒ののち、バスケ部の松井だ、と思い出す。


「久しぶりだな、松井。
皆、揃ってんの?」

「おう。
萩野も何やってんの? こんなトコで。
早く飲もーぜー」


松井に付いて歩き出すと、奥の方に知った顔ぶれが並んで見えた。柾もいる。

だけど、あの頃とは随分と違う。
顔つきも、髪型も、身体つきも。雰囲気も。
皆、変わった。

オレも。

――5年。
長い長い、歳月。


一歩先を歩いていた松井が、ふっと、振り返った。


「つーか。もしかして邪魔した?」


ニヤリと笑う。
未知花が顔を少し赤らめて何か言葉を出そうとしたけれど、オレが先に口を開いた。


「じゃー、声掛けんなよ」


同じようにニヤリと笑って、冗談で返す。
未知花を前に、こんな余裕も今は出来る。


「海斗は相変わらずー」


ニヤニヤと笑う松井に、「まーな」と言って、デニムのポケットに手を突っ込んだ。


――あれ?


「どうかした?」


思わず足が止まったオレを、未知花が横で不思議そうに見上げた。


「何でもない」


そう答えながらまた再び足を動かす。


――鍵。
あのときの。湘南平の鍵だ。

アイツは。
5年。長い間――ずっと抱えていたモノも、閉じ込めていたモノも。
誰かが入り込むのを頑なに拒んでいた心のドアも。
いとも簡単に開けやがった。


全く。
参ったなぁ……。


オレは何でもない振りをしながら、ポケットの中のソレを愛しむように握り締めた。




END

update : 2008.09.25