ドルフィンスルー

水平線が真夏の光線で煌めく。
気持ちまで晴れ渡るくらいの空の青と白い雲が、波の動きと同じようにゆらゆらと揺れている。

オレは、ゆっくりとパドリングしながら沖へと向かう。

低気圧が近づいているおかげで、七里にしては波も大きい。
サイズは、ムネ〜カタくらいある。


7月の土曜の午前中。
乗れる波の数より、人のほうが多いんじゃねーか? つーくらいだ。


サーフィンにもルールがある。
ひとつの波には一人しか乗れない。
ピークで乗ったヤツのモノになる。

良い波に乗るためには、先を読む力も見極めも必要だ。
うねりがどのくらいの大きさで、どの方向からどの速度でやってくるのか。
波の立ち上がり方や崩れ方も読めないとならない。
そして、その波に合ったルートとタイミングも必要とされる。

波を見るだけじゃない。
しみついた感覚が、自然と身体を突き動かすのだ。

だから、技術を持ったヤツが、波を捕まえる確率も高い。


一度海に入ると、波のことしか考えない。

いや。考えないんじゃない。
考えられない、だ。


海に吸い寄せられるように、身体に大きな力を感じた。
波が来る。

デカい、ダンパーだ。
めちゃくちゃに崩れ始めた波は、サーフィンには適さない。

ボードのノーズを両手でぐっと深く沈め、足を蹴り込み海中に潜り、その波をくぐり抜けてかわす。

ドルフィンスルー――
こうやって、乗れない波は上手くやり過ごす。

でも、オレは結構コレが嫌いじゃない。
自然の力を大きく感じる海の中を、こうやって魚のように潜ってかわすのも気持ち良いモノだ。


パドリングをしながらいくつか波をかわし、ポイントに辿り着くと、波待ちの状態に入る。

緩やかな海の動きにバランスを取りながら、沖から来るアイツを待つ。
まるで恋人との待ち合わせのように期待を膨らませながら。

端からリズミカルに崩れていく見た目も美しい波は、乗り心地も最高なのだ。
それに乗るためなら、それが来るのならば、そんな時間さえ気分を高揚させる薬だ。

コバルトブルーの海と空。
どこまでも広がり続けている。

――静か、だ。


神経と感覚を尖らせる。
こうなると本当に他のことに頭を使う余裕などなくなるのだ。
頭の中は波の動きが全てで、ただ、それ一色に染まる。


――来る。

向こうの海面が小さな立ち上がりを見せた。
うねりを身体にも感じる。
少しずつ育つように勢いが増し、そこに作りだされていく。
自然が作り出した大きな怪物が、音を立てて迫ってくる。

身体の向きを変え、波を掻き分けてパドリング。
腕に渾身の力を入れ、加速させる。
加速されたボードが波に押されて滑り出す。
ボードが滑りやすいように手をつき、ぐっと抑え込む。

波のスピードにボードが打ち勝ち、ノーズが波の先を追い越し始める。
素早く立ちあがる。――テイクオフ。

崩れ始めた波を勢い良くボードが滑り出すと、膝をつき出し、腕でバランスを取る。
白い斜面を猛スピードで滑り降りる。

爪先から頭の天辺までぞくぞくとする感覚が身体中を駆け巡った。
最高に気持ちイイ。

滑り下りた先の切り立つフェイスにそのままボトムターン。
波とじゃれ合うような気分だ。


そのままプルアウトしてスープに飲まれ、海面に顔を出す。
空を仰ぐと、滴り落ちる水滴の合間に、なぜか菜奈の顔が浮かんだ。

何だか波と似てる、なんて、さ。

分かりやすくて、からかいがいのあるアイツ。
だけど掴み難くくて、きまぐれ。

アイツの反応見てると、面白いんだよな。
飽きないっつーか。
その辺の女とは、ちょっと違うよな。

乗りこなすには、コツとテクがいる。





海から上がって岸に向かうと、気だるそうに砂浜に座り込みペットボトルのお茶を飲むアイツが見えた。

おお。ちゃんと水着、着てるじゃん。


「お待たせ」

「遅いよ」

「見てた?」

「………。
遠くてどれかわかんなかった」


ほら。
こーゆートコ。

普通の女なら、見てるだろっての。
『凄いね』とか『格好良いね』とか、お世辞でも言うだろ?
お互いの気分を高めるためにさ。

つーか、だから余計に何か意地悪したくなるんだよ。
これって小学生みたいか?

何だか妙に笑いが込み上げてくる。


まぁ、いいよ。
今んトコ、全然オレのがうわてだから。

かかってきなさい。

上手くかわしてやるから、さ。




END


<用語解説>

(読んでいて知らない用語も何となく分かるとは思いますが一応記載しておきます)

*パドリング・・・ボードを進ませるために腕で漕ぐこと
*ピーク・・・波が崩れる一番高いところ
*ダンパー・・・横に一気に崩れる壊れた波
*ドルフィンスルー・・・波の下に潜って来る波をかわす技。日本独特の言い回し。
*テイクオフ・・・波に乗ること
*フェイス・・・波が崩れる瞬間の切り立った壁
*ボトムターン・・・波の下部で方向付けをするターン
*プルアウト・・・乗っている波から意図的に降りること
*スープ・・・波が崩れた後の白い泡

update : 2007.06.19